「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」123回 人間問題

文●ツルシカズヒコ

 一九一四(大正三)年十月に奥村と千葉県の御宿に行ったらいてうは、当初、上野屋という旅館に宿泊していたが、しばらくして漁師の家の広い部屋を借りた。

 野枝が書いた『青鞜』十二月号(第四巻第十一号)「編輯室より」(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)によれば、らいてうが滞在した漁師の家は「千葉県御宿村須賀、長尾浅吉方」である。

 らいてうは御宿海岸が気に入った。

 つよい日の光を反射して白く見える大きな砂丘が、波浪のような豊かな曲線をえがいていくつもつづき、その面に、雲が紫色のかげを大きく落としてゆっくり流れてゆきます。

 砂丘と砂丘の間に坐っていると、まるで砂漠のなかにひとりいるような孤独感が迫ってきます。

 でも足もとを見れば、菊のようで、もっと花びらの厚ぼったい黄色い花が、日をうけて、逞しく金のように光ってあちこちに咲いていますし、遠くには、青草をはむ牛の姿ものんびりと目に映ります。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p547)

『青鞜』にはこんな文章を寄稿している。

 野枝さん、

 何か書いて御送りしたいと思つて……原稿紙をもち出して浜に出て来た処です。

 まだ五日ばかりですが私の皮膚はもう大分黒くなりました。

 それもその筈です、かうして殆ど終日浜にゐて、海や山や雲を見ながら日なたぼつこをしてゐるのですもの。

 先刻(さつき)から真裸(まつぱだか)な浜の子が二三人私のまはりに突つ立つて、不思議さうに私の書いてゐるのをしばらく見守つて居ました……。

 ……白い蝶々が二つもつれながら飛んで来ました。

 そして今、私のペンの先で戯れて居ます。

 波の音は静かに、そしてリズミカルに寄せては退き寄せては退きして居ます。

 どうしてこの地球上に今大戦争が起りつゝあるといふやうなことが信じられませう。

 号外の呼声もあの鈴の音も私にはもうあんまり遠ひことのやうに思はれますもの。

(平塚らいてう「御宿より」/『青鞜』1914年11月号・第4巻第10号_p50~52)

 このらいてうの滞在先に、野枝から『青鞜』十一月号と厚い手紙が届いた。

 野枝は『青鞜』同号に以下の原稿を書いている。

 ●「人間と云ふ意識」

 岩野清「個人主義と家庭」(『青鞜』第四巻第九号)を読んだ、野枝の論考である。

 自分の家族とのしがらみを断ち切り婚家から出奔した野枝だったが、辻家の姑、小姑との関係が深刻になってきたことによる葛藤が書かれている。

 注目すべきは、野枝の思考に「社会問題」という視点が入り込んできたことである。

 私は今こそ本当に直接にヒタと本当の問題に出会(でく)はした。

 それは社会と云ふ大きなものに包まれたいろ/\なものについての疑問である。

 それは痛切な私の問題である。

 それは無論他人の問題をも含んでゐるに違ひない。

 一人の私が直接した問題であり数万数億の人の面前に迫つてゐる問題である。

 そうして私は真実に自分の孤独と云ふことが今迄考へてゐたやうに狭くも何ともないことを発見した。

 その孤独は自分一人丈けの孤独でなくあらゆる人をとり巻いてゐる孤独であつた。

 もつと広い深いものであつた。

 あらゆる事物を包含した偉大な孤独であつた。

 私の今迄の考へはあまりに狭く小さかった。

 私は今迄足元ばかりを見詰めてゐた。

 漸く私は人達の所謂社会問題を自分の問題として考へることが出来るやうになつた。

小さな私の問題が拡がつた。

そして深い根ざしをもつた。

(『青鞜』1914年11月号・第4巻第10号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p125~126)

 ●「松本悟郎氏に答ふ」(※「悟郎」は「悟朗」の誤記)

『第三帝国』(第二十二号・十月二十五日)に掲載された、松本悟朗「青鞜社同人に与ふ」に答えたもの。

 野枝は社会問題について、こんな発言をしている。

 ……それが自分の生活に関はつて来る時にはじめて問題になるのです。

 ……私にとっては何をするのにも自分の要求から出たことでなくては満足が出来ません。

 自分の本来の心からでたことと他動的な事との差はその熱情の点に於てまた力の点に於て、忍耐の点に於て大きな懸隔があるとはお思ひにはなりませんか、所謂社会の為めの社会改良と自分の為めの社会改良……その差は殊によくわかります。

(『青鞜』1914年11月号・第4巻第10号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p127~128)

 そして、野枝は今後、自分がどこへ向かっていこうとしているのか、その回答をした。

 先づ根本から改革してゆかなければ何の効果もありません。

 婦人問題と云ふよりも私はまだ人間問題だと思ひます。

 私の漸く社会と云ふものに向つてあいて来た目に、久しい以前から私の心の隅にちヾこまつてゐたものと一緒に個人主義を根底としたアナーキズムに向つてあるものをもとめやうとしてゐます。

(『青鞜』1914年11月号・第4巻第10号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p129)

『青鞜』の業務をひとりでこなさなければならなかった野枝は、その大変さをこう書いている。

 私はすつかりまごついてしまつた。

 相談する人もいない。

 加勢を頼む人もいない。

 こんな時に哥津ちやんでもゐてくれるとなど愚痴つぽいことも考へる。

 広告をとりにゆく、原稿をえらぶ、印刷所にゆく、紙屋にゆく、そうして外出しつけない私はつかれきつて帰つて来る、お腹をすかした子供が待つてゐる、机の上には食ふ為めの無味な仕事がまつてゐる。

 ひまひまを見ては洗濯もせねばならず食事のことも考へねばならず、校正も来ると云ふ有様、本当にまごついてしまつた。

 その上に印刷所の引越しがあるし雑誌はすつかり後れそうになつてしまつた。

 広告は一つも貰へないで嘲笑や侮蔑は沢山貰つた。

 私はすべてのことを投げ出したくなつてしまつた。

 そんな訳なのでこの号は本当に間がぬけて手落ちがあるけれどこの号丈けはどなたもがまんして頂きたい。

(「編輯室より」/『青鞜』1914年11月号・第4巻第10号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p130)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

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