「詳伝・伊藤野枝」第195回 青鉛筆

文●ツルシカズヒコ

 大杉からの五月六日の手紙に、野枝はこう返信した。

 停車場を出ると、前の支店でしばらく休んで、それから宿に帰へりました。

 帰つてからも室(へや)にゆくのが何んだかいやなので、帳場で話をして、それから室にはいると直ぐあの新聞を読んで、中央公論を読んで仕舞ひました。

 思つたほど何んでもなかつたので、すつかりつまらなくなつて室中を見まはしました。

 何も彼も出かけた時のままになつてゐます。

 座布団が二つ、それからたつた今まであなたが着てゐらしつた浴衣。

 それを見てゐると急にさびしくなりました。

 枕を引きよせてもう何にも考へまいと思つて横になると、五時頃まで眼りました。

 それから起こされてお湯にはいつて、子供を寝かして、御飯をすませて、今煙草を一本のんだところです。

 それから菊地(幽芳)さんに手紙を書かうと思つてペンをとりますと、先づやつぱりあなたに書きたいので書き初めたのです。

 今時分は四谷(堀保子)のお宅にでもゐらつしやるのでせうね。

 あなたが行つてお仕舞ひになると、私の気持もさびしく閉ぢ、天気も曇つて風が出てまゐりました。

 潮の遠鳴りが一層聞えます。

 でも、大変静かな、落ちついた気持でゐられます。

 この分では仕事もずん/\進むでせう。

(「書簡 大杉栄宛」一九一六年五月七日・一信/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p357/「恋の手紙ーー伊藤から」/『大杉栄全集 第四巻』)

 『定本 伊藤野枝全集 第二巻』の解題によれば、「あの新聞」とは『東京朝日新聞』の野枝の家出を皮肉った「青鉛筆」というコラムのことである。

▲細君の伊藤野枝と別居した辻潤氏は今迄は「内の野枝が」と呼んで居たが別居以来「野枝女史」と敬称を用ひ出した、男の友人達が気の毒がつて暇さへあれば連出して酒を飲んで居る、当人は野枝に就いては余り語らない、只老母が居るから又職を求めなければなるまいと云つて居る

▲氏は上野高等女学校の英語教師をして居たが野枝が其の学校を卒業すると同時に同棲して細君署名の翻訳は大抵氏が縁の下の力持をして居た

▲野枝女史も赤ン坊を負(おぶ)つて「青鞜」の校正に出かけるなど一時は新しい女にも珍らしいと褒められて居たが古い言葉で云へば魔がさしたんだ

▲イヤ野枝といふ女は大杉氏の前にも木村某と接近したしアレは恋の常習犯だと噂する文学者もある

(「青鉛筆」/『東京朝日新聞』1916年5月5日)

 『中央公論』とは中村狐月「伊藤野枝女史を罵る」と西村陽吉「伊藤野枝に与ふ」が掲載された同誌五月号のこと。

 野枝がこの手紙を書き投函したのは、この日の午前中だった。

 すぐに仕事に取りかかるつもりだったが、仕事が手につかず、この日二通目の大杉宛の手紙を書いた。

 ……何んだかグルーミーな気持になつて仕舞つて、机の前に座るのがいやで仕方がありませんので、障子を開けてあすこから麦の穂を眺めながら、あなたの事ばかり考へて、五六本煙草を吸つて仕舞ふまで立つてゐました。

 ひどい風で、海岸から砂が煙のやうに飛んで来るのが見えるやうなのです。

 ……早くいらつしやい、こちらに。

 お迎へにゆきませうね。

 あなたが私と直ぐにゐらつしやるおつもりなら、土曜日の昼頃そちらに着くようにゆきませう。

 そして日曜の、あなたのフランス語がすんだら直ぐに五時のでこちらに来るようにしては如何です。

 それまでには、私の方でも少しはお金の都合は出来ると思ひます。

 保子さんには、もう少し理解が出来るようにはお話しになれませんか。

 私は何を云はれてもかまひませんが……。

 私には、何んだかもつとあなたがよくお話しになれば、お分りにならない方ではないやうな気がします。

 けれど、あなたは保子さんによくお話しをなさる事を、面倒がつてゐらつしやるのではありませんか。

 もしさうなら、私は出来るだけもつと丁寧にあなたがお話しになるようにお願ひします。

 どうでもいいやと云ふやうな態度はお止しになつた方がよくはありませんか。

 ……あなたが神近さんに対して、また私に対して、さしのべて下さつたと同じ手を、保子さんにもおのばしになる事を望みます。

 私は神近さんに対しては、相当の尊敬も愛も持ち得ると信じます。

 同じ親しみを保子さんにも持ちたいと思ひます。

 保子さんは私に会つて下さらないでせうか。

 私は何んだか頻(しき)りに会ひたい気がします。

 私も保子さんを知りませんし、保子さんも多分よく私と云ふものを御存じではないだらうと思ひます。

 尤(もつと)も、保子さんが私に持つてゐらつしやるプレジユデイスが可なり根深いものであるかも知れませんけれども、この私のシンセリテイとそれとが、どちらが力強いものであるかを見たい気も致します。

 けれどもまた、若しその結果が保子さんに大変な傷を与へるやうな事になるとすれば、これは考へなければならない事であるかも知れません。

 あなたのお考へは如何でございますか。

 それから……経済上の事は、私は、保子さんにとつては一番不安な事ではないかと思ひます。

 私は私だけでどうにかなりますから、あなたの御助力はなるべく受けたくないと思ひます。

 ああ云ふ風に思はれてゐることは、私には大変不快ですから。

 これも小さな私の意地であるかも知れませんが。

 あんな事を云はれて、笑つてすますほどインデイフアレントな気持ではゐられないのです。

 あなたはお笑ひになるかも知れませんが。

 その事は、私がお八重(野上彌生)さんに話をした時に一番に注意された事でもありました。

 お八重さんはその問題に就いては絶対に何の交渉も持つてはいけないと思ふとさへ云ひました。

 お八重さんが私に持つた不快の第一は、万朝にあつたあの記事によつて、直にもう私があなたのその助力を受けたと云ふ事を知つたからだと思ひます。

 殊に、保子さんの私に対する侮蔑はすべてが其処にあるやうにさへ私には思はれます。

 国民の記事にしても、万朝のにしても。

 今のところ、私にはそれが一番大きな苦痛です。

 私は自分で自分を支える事が出来ない程の弱い者でもないつもりです。

 愈々(いよいよ)する事に窮すれば、私は女工になつて働く位は何んでもない事です。

 体も丈夫ですし、育ちだつて大して上品でもありませんからね。

 まあこれ位の気持でゐれば大丈夫喰ひつぱぐれはなささうです。

 何卒さう云つて説明して上げて下さいね。

 何んだかいやな事ばかり書きましたね。

 御免なさい。

 もう一週間すれば会へますね。

 今少し嵐が静かになつて来ました。

 いくらでも書けさうですけれども、もうおそいやうですから止めませう。

(「書簡 大杉栄宛」一九一六年五月七日・二信/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p358~360/「恋の手紙ーー伊藤から」/『大杉栄全集 第四巻』)

 『定本 伊藤野枝全集 第二巻』の解題によれば、「万朝にあつたあの記事」とは『万朝報』に「新婦人問題–––伊藤野枝子と大杉栄氏」と題し、五月三、四、五、六、八日の五回にわたって連載された記事のこと。

 野枝が「もう一週間すれば会へますね」と書いているが、五月十三日(土曜日)昼頃に野枝が上京し、五月十四日(日曜日)のフランス文学研究会が終わったら、ふたりで御宿に行くという段取りにしたのだろう。

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)

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