「詳伝・伊藤野枝」第206回 野狐さん

文●ツルシカズヒコ

 ……永代静雄のやつてゐるイーグルと云ふ月二回かの妙な雑誌があるね。

 あれに面白い事が書いてある。

 自由恋愛実行団と云ふ題の、ちよつとした六号ものだ。

 『大杉は保子を慰め、神近を教育し、而して野枝と寝る』と云ふやうな文句だつた。

 平民講演の帰りに、神近や青山と一緒に雑誌店で見たのだが、神近は『本当にさうなんですよ』と云つてゐた。

 青山は、あなたが僕に進んで来て以来、僕等の問題に就いては全く口をつぐんで了つた。

 先日も『女の世界』を借(ママ)してくれと云ふから、『あなたはもう僕等の問題には興味がない筈であつたが』とひやかしたら、『でも、折角皆さんがお書きになつたのだから』とごまかしてゐた。

 『大杉は保子を慰め、神近を教育し、而して野枝と寝る』は一寸面白いだらう。

 いつか安成二郎が日向きん子の所へ行つたら、大杉に対して女の反対同盟をつくるといい、憤慨してゐたさうだ。

 又、田村俊子は、『女の世界』を見て、さすがに女の人達は可愛らしい、だが大杉だけは本当に憎らしい、と云つてゐたさうだ。

 それから徳田秋声は、野枝と云ふ女は本当に恋の天才だ、ほめたんだかどうだか、それは分らない。

 とにかく『女の世界』以来、僕の評判は頗るわるいやうだ。

 原稿は……きのうふのうちに菊地(幽芳)の名で送つて置いた。

 あの中の日比谷での事ね。

 あれにも書いてある通り、あの時のあなたのキツスは、随分ツメタかつた。

 あなたとのキツスの一番あつかつたのは、僕が御宿を去る日、あなたが泣いてした事があつたね、あの時のキツスだつた。

 ああ、もう止さう。

 あなたの真似をして馬鹿ばかり書きたくなるから。

 栄

 野狐さん

 狐さんと云ふのは、保子のオリヂナルではなくて、あなたの一名を、嘗つてから野狐と云ふのださうだ。

 出所は話さないが、何れ山田からのほかはあるまいし、其の山田の本元もきまりきつてゐる。

 あなたにはそんな覚えが少しもないの?

 いい名だね。

 僕もこれからはさう呼ぶ事にしよう。

(「戀の手紙–––大杉から」大正五年六月七日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』_p635~637)

『定本 伊藤野枝全集 第二巻』に収録されている「書簡 大杉栄宛(一九一六年六月二十二日)」の解題によれば、野枝が流二を里子に出した六月中旬ごろ、大杉が御宿の上野屋旅館にやって来て六月二十一日(推定)まで滞在した。

 ゆふべ、また、二階の室(へや)に行つて、ひとりであの広い蚊帳(かや)のなかにすはつて手紙を書き続けようとしましたけれども……ぢつと眼をつぶつて一時頃まで考へてゐました。

 四五日すれば会へる事が分つてゐながら、こんなにかなしい思ひをするなんて、どうした事でせう。

 これで二た月も会はずにゐられるでせうか。

 私はもう何処へも行きたくない。

 矢張り東京であなたの傍にゐたい。

 かぢりついてゐたい。

 それに昨日は、神近さんの手紙をあなたが読んで聞かして下すつてから、余計に気がふさいだんです。

 私だつてあの人がどんなに苦しんでゐるかは解りますけれど、ああして他の人に聞いたりすればそれが強く来ますもの。

 そして私の一番心配になるのは子供なのです。

 あの人(辻潤)が何時でもそのやうでゐれば、本当にあの子が可哀さうなのですもの。

 今まで本当に大事にして来たのですから、他家の厄介になんかなつてゐると思ひますと堪(た)まりせん。

 私は預けた子供よりも、残して来た子供を思ひ出す度びに気が狂ひさうです。

 あの子の為めに、幾夜泣いたでせう。

 私の馬鹿を笑つて下さい。

 今まで、あんな、これ以上の貧しさはないやうなみぢめな生活に四年も五年もかぢりついてゐたのだつて、皆んなあの子の為めだつたのですもの。

 そしてそのみぢめな中から自分だけぬけて、子供をその中に置いて来たのですもの。

 こんな無慈悲な母親があるでせうか。

 でも、私がどんなにあの子を大事にして来たかを知つてゐるあの人は、私がゐなくなつてからの子供の可哀さうな様子を見たら、少しは考へてくれるだらうと思つたのは、私のいい考へだつたのでせうか。

 忘れようとする程あの子の為めには泣かされます。

 あなたに、もう前から云はうとして云ひ得ないでゐる事があります。

 それはお金の事です。

 ……あなただつて余裕がおありになるのでもないのに、本当にすみません。

 何卒々々お許し下さい。

 神近さんからまで、ああして下さる事は、本当に申訳けがなくて仕方がありません。

 大阪に行きましたら、直ぐ叔父に話してどうかする積りではありますけれど。

 神近さんは怒つてらつしやりはしませんでしたか。

 もしか、今度会つたら私がおわびします。

(「恋の手紙ーー伊藤から」 /大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/「書簡 大杉栄宛」一九一六年六月二十二日/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p391~392)

 あれからどうした?

 僕は、あなたにあんまり泣かれたものだから、妙に頭痛がして来て、汽車の中でも、いつものやうには眠れないで、例の眼と眼の間の所を左の中指のさきで圧(おさ)へたまま、渋い顔ばかりしてゐた。

 途中でこちらへ電報をうつ積りで、頼信紙を一枚用意して来たのだけれど、大原を通つてからは頭痛が益々はげしくなつて、遂に其の気にもなれなかつた。

 神近の家へ行つてからも、神近は切りに何や彼やと話ししたがるのだが、済まないとは思ひながらも、それに乗る気持にはなれなかつた。

 ……そして遂には、大きな声を出して、怒鳴りつけさへもした。

 けさ起きてからも、まだ其の頭痛がとれないで、やはり切りに話ししたがるのを圧へつけて、黙つて、寝ころんで本ばかり読んでゐた。

 とにかく此処まで帰つて来るのに、本当にいくらあればいいのか。

 今こちらでは三十円ほどなら、直にも出来さうな気がする。

 そして、日曜日までには、きつと帰るようにしてくれ。

 僕はもう、あんな所に、とてもあなた一人を置けない。

(「戀の手紙–––大杉から」/大正五年六月二十二日夜十時/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』_p638~639)

 朝起きて見ても、手紙は来てゐないし、ガツカリして、仕方なしに仕事でも始めようと思つてゐる所へ、来た。

 本当にあなたは、何処へも行かずに、東京にゐるのが一番いゝのだ。

 僕にも、其の事が、切りに考へられてゐた。

 今のあなたと僕とは、とても永い間離れてゐる事は出来ないのだ。

 大阪や九州へは、若し是非とも行かなければならぬものであつたら、半月位の間に一切の用を済まして来る事は出来ないものだらうか。

 辻(潤)君や子供の事は僕には少しも愚痴だとは思へない。

 よし愚痴だとした所で、何んの遠慮もいらない愚痴だと思ふ。

 いつかも、上の児の事を話し出してあなたを泣かした事があつたが、そしてそれはあなたばかりの問題ではなく、等しく又僕自身の問題なのだと云つた事があつたが、あの時にも僕はあなたに十分に話して貰ひたかつたのだ。

 先日辻君の事を話し出したのも、やはり同じ意味からであつたのだ。

 あなたと辻君とは、又あなたと子供とは、他人になつて了ふ必要は少しもない。

 あなたは、辻君に対しては、十分にあなたの気持を話して置かなければいけない。

 下の児を預けた通知を出す時には、是非ともそれをしなければいけない。

 そしてこんど東京に帰つたら、何よりも先きに、辻君とも、又子供とも会つて見るがいい。

 少なくとも子供とは、今後も始終会ふようにするがいい。

 そして、もし出来れば、あなたの手許に置く方法を講じるのが一番いい。

 金の事だつてさうだ。

 そんなつまらない遠慮をされてゐてはいやだ。

 いつも云ふやうに、僕は決して、自分がいやな無理はしない。

 神近だつて、あなたの為めではなく、僕の為めにした事なのだ。

 宮田からの辻君の仕事は、ミルの婦人論にきまつたさうだ。

 いつまでも/\書いてゐると、仕事の方がおくれるから、いい加減で止さう。

 仕事も、すつかりなまけて了つたので、今日からは又夢中になつて始める。

 こんどこそは、よしあなたが帰つて来ても、あなたの事は向ひの室に閉ぢこめて置いて、ロクにお相手もしないでコツ/\やつて見せる。

 其の覚悟で、金が出来たら直ぐに、本当に早く帰つておいで。

『女性改造』1923年11月号・第2巻第11号/「戀の手紙ー大杉から」大正五年六月二十三日朝/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』_p639~642)

 この大杉から野枝への手紙の初出は『女性改造』一九二三年十一月号だが、その日付けは「六月二十五日朝」になっている。

 四月二十九日から御宿の上野屋旅館に滞在していた野枝が、帰京したのは六月末から七月の初めのころだった。

★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

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