「詳伝・伊藤野枝」第205回 スリバン

文●ツルシカズヒコ

 女の世界もとうたうやられましたか。

 すると、もう私達は何も云ふ事が出来なくなつた訳でせうか。

 しかし、他の人に云へる事が何故私達が云つてはいけないのでせうね。

 着物の心配までして下さつてありがとう。

 もうお天気の今日には暑くてセルを着られませんから、直ぐと単衣(ひとえ)でゐられます。

 従妹から湯上りに着るのを二反送つてくれました。

 それを仕立てて着てゐればよろしうございますから。

 それと、羽織を、私は東京にあると思つてゐましたら、田舎に置いてあるさうですから、それを送つて貰ひます。

 子供は預かつてくれさうです。

 上野屋の親類の人で、鉄道院へ出てゐた人の細君で、子供二人をかかへてゐる、まだ若い人です。

 その人は預りたがつてゐます。

 ただ親戚の同意がありさへすればいいのです。

 主人はなくなつたのださうです。
 
 思ひ出させるようになんて、私があなたを思はないでゐる時があると、あなたは思つてゐらつしやるの。

 今日は本当にいいお天気ですよ。

 東京もさうでせうか。

 あなたがゐらつしやらなくなつてから仕事が出来たのは、あなたの事を思ひ出すたびに、苦しまぎれに仕事にかぢりついたからです。

 邪魔だつたのぢやありませんよ。

 麦がもうすつかり刈られて仕舞ひました。

 毎晩お星さまが綺麗ですね。

 私は相変らず、あすこに出ては歌つてゐます。

(「恋の手紙ーー伊藤から」/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/「書簡 大杉栄宛」一九一六年六月一日/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p381~382)

「伊藤野枝年譜」(『定本 伊藤野枝全集 第四巻』)によれば、流二は六月中旬、千葉県夷隅郡大原町根方(ねかた)の若松家に里子に出され、結局「里流れ」になり若松姓を名乗ることになる。

 きのふから仕事を始めるつもりでゐたところが、朝は青山女史(山川菊栄)が遊びに来る。

 午後は朝鮮の同志が暫く目で訪ねて来る、夕飯後に漸く原稿をひろげる事が出来たが、何んだか少しも気が乗らず、あなたへの手紙をとも思つてお八重(野上彌生)さんの事を書きかけても見たが、それもあまりに馬鹿らしく、とうたう十時近くなつてから宮島(資夫)の所へ出掛けた。

 お八重さんが、いつか、それは自然の事でせう、と云つたと云ふ言葉は、その後どこへ行つて了つたのだらう。

 其時には一人と一人と思つてゐたのが、謂はゆるモルモン宗であつたので、急に前の言葉を取消すようになつたのぢやあるまいか。

 強い力、なるほどあなたは、それにあこがれてゐたかも知れない。

 しかし、僕との接近は、単にそればかりぢやあるまい。

 お八重さんだつて、自然の事でせうと云つた時には、其の謂はゆる強い力以外の何物かを考へてゐたに違ひあるまい。

 きのふ僕は、此の『何物か』に就いて、僕の思ふ所を書いて見ようと思つた。

 そして又、僕があなたに求めて行つた事の、僕にとつては、如何に必然的であつたと云ふ事に就いても、少しく詳細に書いて見ようと思つた。

 しかし、もうそんな事は、僕等二人の間には、少しも問題にならない。

 二人で、それに就いてのまとまつた話はした事はないが、少なくとも僕の方では、断片的にはちよい/\と話してある。

 そして其際に、よしあなたが何んにも云はなかつたとしても、あなたの返事は僕には分つてゐた。

 又、二人とも少しもそんな事を話さなかつたとしても、あんな事になる以前から、既に久しく互ひの黙契は出来てゐたのだ。

 今じぶんになつて、事新しく二人の前で論じる必要はない。

 ね、さうだろう。

 こんな風に思つたので……とうたう手紙を書くのをよして了つた訳だ。

 しかしお八重さんのお陰で、又あたまの中で始めからのいろんな事のおさらへが出来た。

(「戀の手紙ー大杉から」大正五年六月二日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』_p626~628)

 ……十二時になり、とまれ(※筆者注/宮嶋の家に)とすすめられるままに床に入ったが、一時頃にスリバンで驚かされて、二人で見物に出かけた。

 巣鴨の終点の、車庫の向うの、何んとか小学校のすぐそばだつた。

 四五軒も焼けただらうか。

 お八重さんや岩野の家はあの辺なのだらう。

 岩野の家でも焼けたんだと、本当に面白かつたのだがね。

 けさ、帰らうとしてゐると、幻滅居士の狐月が来た。

 宮島と二人で、お八重さんの所へでも行く約束があつたらしい。

 もう白地の、と云ふよりは厳密には醤油地とでも云ふのだらう、単衣をきて、元気よく盛んにハシヤイでゐた。

『野枝さんが切りに怨んでゐるから、せめてはハガキの一本も出して見たらどうだ』とひやかしても見たが、一向にこたへないやうな顔付をして笑つてゐた。

 バアやが又来てくれたのはいいね。

 あなたのやうな人は、お守りが上手も下手もあつたものぢやない。

 少し子供がぐづり出すと、そばへうつちやり放しにして、脹れ面をして三味線なんかいぢり廻してゐるのだもの。

 本当に僕は、自分の子ででもあれば、すぐさま三味線をとり上げて、あなたを滅多打ちに打ちのめしたのだらうと思ふ。

 子供をあづからうと云ふ人は、あなたは会つて見たの。

 向うの親類の人とかが承知するか否かの前に、一度会つて見たらどう。

(「戀の手紙ー大杉から」大正五年六月二日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』_p628~629)

 四谷へ行つたら、『中央公論』と『新潮』が買つてあつたので、さつき送つた。

 何れも、随分つまらぬものばかりだ。

 攻撃するならするで、本当に、ウンとやつつけてくれる奴がないものかな。

 本当を云ふと、僕は、僕に対するあなたの悪口を一番きいて見たかつたのだ。
 
 ……一つ一つ詳細に聞いて見たかつたのだ。

 そして僕も亦、あなたに対して今まで思つてゐた事を、すべてあなたに打ちあけて見たかつたのだ。

 お互ひのそれ位の交渉は、もう余程以前から、無ければならない筈であつたのだ。

 そして、お互ひに余りに好き合つてゐたと云ふ事と、従つて比較的によく理解し合つてゐたと云ふ事と、及びお互ひに余り接近する事の出来なかつた事との為めに、遂に、其の交渉を十分に経ないで恋愛関係に陥つて了つたのだ。

 慎重の態度を欠いたと言へば言へもしよう。

 しかし又、一方から見れば、お互ひの可なり永い間の沈黙の内的交渉は、今更に慎重な態度をとると云ふ程の必要を認めないまでに進んでゐたのだ。

 けれども僕等は、二人の間の此の必然的な恋愛にはいつて了つた上は、更に此の交渉を出来るだけ厳密に深入りさせて行かなければならない。

 ーーーーーーーーーー

 野枝さん。

 随分御無沙汰をした。

 又怒つてゐるのだらうね。

 あなたからの手紙と原稿が来てゐる。

 大いそぎで読んだ。

 なか/\よく書けてゐる。

 感心もした。

 しかし、まだ余程物足りないものがある。

 もう少し長く書かなければいけなかつたのだね。

 狐月との三人の会話のところは大ぶダレてゐた。

 あそこは一寸カイつまんで書いて、もつとほかの所へあれだけのペエジを費した方がよかつたのだらう。

 あの夜の二人、殊に狐月に対するあなたの反感が、あそこをあんなにまづく書かしたのだね。

 原稿は直ぐ送つて置いた。

 けれども……会ふと矢張り、今更話す必要もないと思つて、僕の方でも随分黙つて了ふ。

 そして無駄話しや、恋のたはむれにばかりに陥つて了ふ。

 あなたにだつて、あなたの謂はゆる悪い癖のほかに、やはりそんな気持が大ぶあつたのだらう。

 僕等二人の、今までの悪い事の大部分は、前にも云つたやうに、二人があまり好き合つてゐた事と、其の大すきな事を本当に云ひ現はす機会がなかつた事に帰する。

 兎に角、大阪の原稿が済んでよかつた。

 あとは『女の世界』のきりだね。

 此の手紙が着く頃には、もう『女の世界』の方の原稿もすんでゐるだらう。

 一寸電話をかけてくれないか。

(「戀の手紙ー大杉から」大正五年六月六日夜/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』_p630~634)

 大杉が野枝に送ったのは『中央公論』六月号と『新潮』六月号である。

『中央公論』には高島米峰の青鞜社、野枝批判が掲載された。

 ……「新しい女」の集団たる青鞜社の勇将猛卒が、殆ど悉くその主義主張を抛(なげうつ)て、見苦しい戦死を遂げる中に、最も年少にして、且つ、最も繫累多き伊藤野枝君が、たゞ一人踏みとゞまつて、孤城落日の中……薄ノロの僕の眼には、兎に角、見上げたものだと、感心したものだと映じて居たのである。

 然るに……姦通の公行。

 かくして遂に、青鞜社は全く落城してしまつた。

 「新しい女」は悉く滅亡して仕舞つた。

 婦人界覚醒の新運動(?)も遺憾なく滅亡して仕舞つた。

 こゝに於て、思想界の衛生掛は、ホツと一息つくところである。

(高島米峰「新しい女の末路を弔す」/『中央公論』』1916年6月号・第31年第6号)

『新潮』には赤木桁平の大杉と野枝批判、さらに同誌「不同調」欄に中村狐月の野枝批判が掲載された。

 要するに予は大杉栄氏と伊藤野枝なる一女性との間に醸生された這般(しゃはん)の事件に対し、最も熾烈なる嫌悪と唾棄との感を抱いてゐるものであると共に、這般の事件を異常なる思想的意義を有する重大事として見るべきとに非ずといふことを一般社会に告げんと欲するものである。

(赤木桁平「市井の一瑣事のみーー伊藤野枝、大杉栄問題を論ず」/『新潮』1916年6月号年6月号・第24巻6号)

 野枝は『中央公論』』と『新潮』を読んだ感想を、こう書いている。

 雑誌ありがたう御座いました。

 今皆よんで見ました。

 この位方々でやつつけられゝばいいゝ気持になります。

 よくも/\口をそろへて下らないことを云つたものですね、すつかり痛快になつてしまひます。

 随分私は憎まれ者ですね。

 恋をすれば何時も石を投げられるにはきまつてゐますがね、少し烈しすぎますね、あなたに余程可愛がつて頂かないぢやこのうめ合せはつきませんよ、本当にあんまり可愛相ぢやありませんか……。

 今頃は原稿が届いたでせうね、狐月には少し遠慮してやりましたが、あんなことを言つてゐる人だと知つたら、あのくだらなさ加減をもつとありのまゝにさらしてやればよかつたと思ひます。

 本当に馬鹿ですね。

 大阪からは早く来るやうにと幾度もさいそくがきます。

 でも今度ゆけばまた暫くあなたに会へないのですね、それを考へると、いやになつてしまひます。

 今度東京にかへりましたら、米峰のところへと、西川夫人の処へ二人でゆきませんか、山田先生のところへも一寸からかひに行きたい気がします。

 お八重さんのところへも。

 とき/″\かう云ふふざけたことを考へてはひとりでよろこんでゐるのですよ、罪がないでせう。

 今度かへつたら本当にまた長く別れてゐなければならないのですから、恩にきせたりなんかしないで私のおつき合ひをして下さいね。

 だらしのない手紙ばかりね、もう止しますわ、

 はいちやい のえ

 六月六日 

 大杉さま

(『女性改造』1923年11月号・第2巻第11号_p162~163/「恋の手紙–––伊藤から」/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/「書簡 大杉栄宛」一九一六年六月六日/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p383)

★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

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