「詳伝・伊藤野枝」第229回 センチメンタリズム

文●ツルシカズヒコ

 大杉が逗子の千葉病院を退院したのは、一九一六(大正五)年十一月二十一日だった。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、看病をした野枝と、近くに宿泊して見舞いに通った村木が付き添い、夕刻の電車で本郷区菊坂町の菊富士ホテルに帰った。

 『東京朝日新聞』(十一月二十二日)によれば、大杉たちは「午後六時四十三分逗子駅発列車」で帰京した。

 近藤富枝『本郷菊富士ホテル』によれば、菊富士ホテルの玄関に通じる細い露地を、頭から肩にかけて痛々しい包帯姿で杖をついて大杉が、野枝の肩にすがり歩いて来るのを、ホテルの人たちが総出で出迎えた。

 『東京朝日新聞』(十一月二十七に日)によれば、菊富士ホテルに戻った後、神近からの二通の書簡が届き、大杉は慰謝の返事を書いた。

 近藤富枝『本郷菊富士ホテル』によれば、大杉と野枝のカップルは野枝の帯まで質入れするほど窮乏していてが、野枝は療養中の大杉の体を気づかって、

 「牛乳をほしい」

 「今晩は牛肉を買ってきてちょうだい」

 と遠慮なく女中に注文した。

 牛乳も牛肉もホテルの立て替え払いなので、大杉も野枝も気楽に構えているのだった。

 佐藤春夫は日蔭茶屋事件後、大杉と野枝が滞在していた菊富士ホテルに二度訪れてふたりに面会している。

 一度目は冬の夕方、荒川義英と一緒だった。

 荒川は菊富士ホテルの応接間を覗きこみながら呟いた。

 「尾行の奴が退屈してやがらあ!」

 ふたりの尾行が応接間にいることによって、大杉の在宅を知った荒川は案内も乞わずに三階に上がり、ふたりは階段のとっつきの部屋に入った。

 野枝はふたりを歓迎の言葉で迎えた。

 佐藤の記憶によれば「野枝は針仕事か何かをしてゐたような気がする」。

 碁盤を前に座っていた大杉は、例のように吃って言った。

 「やろう」

 佐藤が大杉に会うのは一年か一年半ぶりぐらいだった。

 ……大杉の私に対する様子はまるで昨日も逢った人間に対するもののやうにわだかまりがなかつた。

 その自然な調子につり込まれて私も、碁盤の前へ座つたなり五目並べを三四へんやつた。

 大杉が上手とも格別下手とも覚えないところを見ると、きつと私同様に下手だつたのであらう。

 荒川は野枝と何かと話題に耽つてゐた。

(「吾が回想する大杉栄」/『中央公論』1923年11月号/『佐藤春夫全集 第十一巻』_p313)

 その晩、大杉はひどく愉快そうに興に乗って獄中の話などをした。

「新しく同棲するやうになった野枝が傍にゐたので、大杉は楽しかつたに違ひない」と佐藤は書いている。

 四人は夜の十二時まで話しこんだ。

 「こんなお客は尾行泣かせだな。どーれ、いよいよ帰ろう」

 荒川が最後にそう言って立ち上がった。

 気がつくと、部屋は煙草の煙でいっぱいになっていた。

 玄関の脇の部屋にいたふたりの尾行は居眠りをしていたらしく、荒川は半ば揶揄するように、

 「や! ご苦労さん」

 と大声で呼びかけた。

 「君……」

 佐藤は下駄をはきながら荒川に囁いた。

 「尾行というものは、いったい何時まで番をしているのだい?」

 「必要あればいつまででもさ。奴さんたち、僕らが帰るのを待ちくたびれていたのだぜ。署へ帰って、大杉はもう寝ましたとも報告はできずさ。この寒いのに–––まったくご苦労さまなことだよ」

 荒川はそんなことを言った。

 佐藤が二度目に菊富士ホテルを訪れたのは、佐藤も同ホテルに下宿しようかと思い、大杉にいろいろ相談するためだった。

 すると大杉は「それじゃ、この部屋に来ちゃどうだ」と言った。

 下宿代を支払わず、食事が不味いと言って自炊する大杉と野枝は、菊富士ホテルからすると早く厄介払いしたい対象になっていたからである。

 大杉の宿料は一度も支払われないまま、二ヶ月、三ヶ月と経った。

 我慢出来ず主の(羽根田)幸之助がさいそくに行った。

 「大杉さんのような社会主義者が私たちのような小商人を苦しめるなんておかしいじゃありませんか」

 となじると、

 「いや、決してそんなつもりではありません。必ず支払うから待って下さい」

 と大杉は苦味走った顔に、いよいよ当惑の色をうかべて返辞する。

 そして「いついつまでに必ず支払う」という誓約書を書いて幸之助に渡す。

(近藤富枝『本郷菊富士ホテル』_p71)

 そのころ大杉の部屋の筋向こうには印度人の青年が住んでいたが、その部屋は西洋間だったので、大杉はその部屋に佐藤を連れて行き見学させてくれたりした。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、シャストリーというその印度人の青年は「無政府主義者との評のある者にして早稲田大学哲学講師」である。

 佐藤は結局、当時の自分の経済状態では住めそうにないと思ったが、大杉の部屋で話しているうちに、ふたりの会話は文壇の話題になった。

 当時、新進作家といわれる者が輩出していた。

 佐藤は大杉に誰か気に入った作家がいるかと尋ねてみた。

 大杉は只一口につまらないと言つたが、「武者小路だけはちよつと面白いよ–––機会があつたら論じて見てもいいと思つてゐる」と言つた。

 志を得ないでゐた私は誰のことでも、感心したくはなかつた。

 それで私は大杉に「だつて武者小路の人道主義は要するにセンチメンタリズムぢやないか」と言った。

 その時の大杉の答を私は面白いものに思つて忘れないでゐる。

 大杉は答へた–––

 「さうさ。センチメンタリストだよ。まさしく。だけどすべての正義といひ人道といふものは皆センチメンタリズムだよ、その根底は。そこに学理を建てても主張を置いても科学を据ゑても決して覆へらない種類のセンチメンタリズムなのだよ」

 「佐藤さん。人の悪口などばかりおつしやらずに、あなたも早く何かなさいよ」

 野枝がそばから私にそんなことを言つたりした。

(「吾が回想する大杉栄」/『中央公論』1923年11月号/『佐藤春夫全集 第十一巻』_p316)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★近藤富枝『本郷菊富士ホテル』(中公文庫・1983年4月10日)

★『佐藤春夫全集 第十一巻』(講談社・1969年5月30日)

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