「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」9回 波多江

文●ツルシカズヒコ

 代一家の上京により、長崎から今宿に戻った野枝は、一九〇八(明治四十一)年十一月、家から三キロほど離れた隣村の周船寺(すせんじ)高等小学校四年に転校した。

 周船寺高等小学校には一年から三年まで通っていたので、転校といっても勝手知ったる古巣に戻ったようなものだ。

 野枝がこの周船寺高等小学校四年在学中に起きた、忘れがたき出来事について書いたのが「嘘言と云ふことに就いての追想」(『青鞜』1915年5月号・第5巻第5号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p202~212)である。

 西山女児高等小学校では、受持教師が生徒を自由にさせてくれる教育方針だったので、生徒は教師に干渉されることなく無邪気に飛んだりはねたり腕白をしていた。

 それに比べて田舎の周船寺高等小学校の校風は質素で、野枝は違和感を持ったが、長崎時代と同様に無邪気に過ごしていた。

 生徒の中で校長室や職員室にずかずかと入っていけるのも野枝くらいのものだった。

 先生の多くはその快活さを可愛がってくれたので、野枝も多少増長していたところがあったかもしれない。

 しかし、高等小学校の最高学年である四年生にもなれば、ひとり前の大人の女であってしかるべきと考える女の先生からは、慎みのないお転婆な娘として睨まれてもいたようだが、当時の野枝はそういうことに無頓着だった。

 周船寺高等小学校四年の受持の先生は、Tというやさしい先生だった。

 野枝のおしゃべりや歌やお転婆な行動をいつもニコニコ笑って見守っているような先生だったので、野枝だけでなく級(クラス)のみんながT先生に親しみを持っていた。
 放課後、野枝は一週間に一、二回、周船寺高等小学校から半里ほど離れた波多江(はたえ)というところの小学校に遊びに出かけていた。

 その波多江の小学校の校長は、野枝が西山女児高等小学校に転校する以前、周船寺高等小学校に在学していたときに同校に赴任していたH先生だった。

 野枝が今宿尋常小学校一年のときに教わったことがあり、野枝の家の近所に住むKという女の先生も、その波多江の小学校で教員をしていた。

 野枝はH先生やK先生とテニスをしたり、オルガンを弾いたりするのが楽しかったのである。

 その日も野枝は波多江の小学校に遊びに行った。

 しばらくすると急に天気が悪くなり嵐になってしまった。

 二、三間先も見えないほどひどい雨が降り、風がピューピュー唸っている。

 嵐が止むのを待っていると、夜になってしまった。

 家までは二里以上の距離があり、もう歩いては帰れないので、H先生は学校の宿直室に泊まり、女のK先生と野枝は学校のそばの先生たちの知り合いのYという家に泊まった。

 野枝の家には翌日、K先生が事情を説明に行き詫びることにした。



 翌日、野枝はいったん家に帰り、それから登校しようと思っていたが、寝坊をしてしまい宿泊先から直接、登校した。

 その日は図画の授業があり、その準備をしてくることができなかった理由を野枝がSという女の図画の先生に説明すると、S先生は男のH先生と外泊したのではないかと勘ぐった。

 野枝は子供ながらも無礼なS先生に激しい憤りを覚えた。

 S先生は学校の規則に非常にやかましい人だったが、野枝は落とし物や忘れ物が多い横着者だった。

 S先生は日ごろから野枝に睨みをきかせていた。

 野枝もS先生の気に障るようなことを無意識に意地悪くしていたかもしれない。

 放課後、野枝が帰りかけると、他の級の生徒が来て、担任のT先生のことづけを伝えた。

 少し用事があるから残っていてほしいとのことだった。

 当番の手伝いなどをして待っていたが、T先生はなかなかやってこない。

 野枝はT先生がことづてを忘れたのかと思い、教室を出て職員室に向うと、T先生が向こうから歩いてきた。

 T先生は野枝を廊下の角に待たせ、職員室に入り火鉢を抱えて出てきて、ふたりは二階の講堂に行った。



 がらんとした広く寒い講堂に入るなり、野枝は泣き出したくなった。

 野枝は今までさんざん待たせたあげく、こんなところに連れ込んだT先生に腹が立った。

 T先生によれば、S先生は野枝が料理屋だと知っているのに嘘をつき、家の許しも得ないで外泊したと主張しているという。

 野枝が泊まった家は料理屋のようだったが、野枝は知らないことだった。

 野枝は涙がこみ上げてきた。

 H先生とK先生のところに遊びに行っただけで、ひどい嵐が夜になってもやまず、乗り物もなく寂しい道を二里以上も歩いて帰宅することはできないから、やむを得ず、すすめられるままに、不安ながら泊まっただけだ。

 それがどうしていけないことなのか、野枝にはどうしても理解できなかった。

 野枝は理由もなしに虐待されていると思った。

 S先生の憎々しい様子を思い出さずにはいられなかった。

 日ごろ、やさしいT先生まで一緒になって叱っていることが悲しく腹立たしかった。

 膝の上に置いた野枝の手の甲に涙がボタボタ落ちた。

 火鉢を見ると、T先生の目からも涙がポトリポトリ続けさまに灰の中に落ちていた。

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

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