第1240回 巾着袋は見ていた




ツルシカズヒコ執筆の
伊藤野枝1895-1923「第61回眼鏡」
に絵をアップしました。

1913(大正2)年6月30日の夜、
麹町の木村荘太の下宿を
午後10時ごろ辞した野枝が、
辻の待つ上駒込の家に戻ったところです。

伊藤野枝1895-1923「第61回眼鏡」 by ワタナベ・コウ on pixiv

今の駒込巣鴨あたりは、当時、
田んぼや牧場のある郊外だったようです。

野枝自身も田んぼがどうとか書いてるし、
荘太の友人でもあった詩人の千家元麿
(せんげ・もとまろ1888-1948)は、
「自分は見た」という自然を賛美する詩に
〈巣鴨の大通りを田舎から百姓の車が〉
と書いていたりします。

いやまあ、
そんな詩を引き合いに出すまでもなく、
上駒込というのは、
私が中退した東京外国語大学
2002年に府中に移転するまであった
北区西ヶ原の近くなので、
100年前のあのへんの「田舎」ぶりは、
アタシにも容易に想像できます。

だって、
アタシは1981年に外語大入学なわけだけど、
二次試験ではじめて巣鴨駅を降りたとき、
「ココ、東京じゃねえだろ!」
って心の中で叫んでたもん。

34年前に上京してわかった現実は、
東京っつったって、
ホントの「都会」はほんの一部で、
その大半は田舎と同じ田舎である、
ってことでしたがね。

さて、今回の絵の主役は、
辻と野枝が交わした手紙がつまった
「ふたつの大きな袋」です。

「ふたつの大きな袋」としか
野枝は書いていないのですが、
どんな袋だったんだろうと
想像たくまくして、
当時は着物はすべて自作ですから、
その着物のハギレをパッチワークした
大きな巾着袋だったら面白いなと。

動揺(牽引)事件での最大の危機を、
このふたつの巾着袋は見ていた、
ってわけですよ。
小津の映画『晩春』の壷みたいに……。

そして、辻は、
その大きな袋に入れておいた野枝からの手紙を
1944年の死の直前まで持ち歩き、
最後に石井漠に預けるんですが、
1945年、自由が丘にあった石井漠の
ダンススタジオが空襲を受け、
野枝の手紙も焼失してしまいました。

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