「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」99回 ジプシイの娘

文●ツルシカズヒコ

 一九一三(大正二)年から一九一四(大正三)年にかけて、野枝は隣家に住む野上弥生子と親密な交わりをしていた。

 弥生子は『青鞜』の寄稿者であったが、野上邸は野枝が住んでいた借家と生け垣ひとつ隔てた隣り合わせにあった。

 辻と野枝が北豊島郡巣鴨町上駒込三二九番地、妙義神社前の借家に住み始めたのは一九一三(大正二)年五月ごろであるが、そのころから弥生子と野枝の公私にわたる親交が始まった。

『定本 伊藤野枝全集 第一巻』「雑音」解題によれば、弥生子の「ソニア、コヴアレフスキイの自伝」の翻訳の連載が『青鞜』で始まったのは、この年の秋である(一九一三年十一月号〜一九一五年二月号)。

 野上弥生子はこのころの野枝をモデルにした短篇小説「彼女」を書いている。

「平塚さんからこれをことずかりましたから」

「さようですか、どうもご苦労でございました」

「急ぎますか。ならすぐ速達ででも出させましょう」

「それには及びません。午後からまた社に参りますから、そのときまでに直しててくだされば出がけに頂きに参ります」

 弥生子と野枝が出会ったころ、ふたりは野上邸の玄関先でこんな会話を交わすことが常であった。

 当初、弥生子は野枝の名前も知らず、ただ彼女が『青鞜』の編集を手伝っていること、そして彼女と自分の住居が極めて近い距離にあることぐらいしか関心がなかった。

 女中が取り次ぐ「いつもの青鞜社の方」は、声が太く調子も粗野だったが、それがかえって弥生子には率直に響いた。

「いつもの青鞜社の方」は小柄であったが、お下げにしたり、束髪であったり、またときには銀杏返しに結ったりしているので、弥生子は彼女の年齢の見当がつかなかった。

  一九一三年(大正二年)五月半ば過ぎ、締め切りの迫った『青鞜』の原稿を受け取りに、野枝が弥生子の家を訪ねた。

 銀杏返しに結っていた野枝を見た弥生子が尋ねた。

「あなたが小林さんでしょう」

 弥生子にとって青鞜社の社員は未知の存在だったが、誌面を賑わす社員たちの文章によって、小林哥津が下町風の意気な娘さんであることを知っていた。

「いいえ、私は伊藤です」

 野枝が底太い声で答えると、ふたりは一緒に微笑んだ。

 これがきっかけになり、ふたりは事務的関係から一歩踏み込んだ間柄になった。

「いつかゆっくり遊びにいらっしゃいな」

「お近いのですから、またお邪魔に上がります」

「どちらなのですか」

「ええ、すぐそこなのです」

 別れるときには、ふたりは友達のようなさよならをした。

 その夜、野上家には野上豊一郎の友達が集まり、晩餐をともにした。

 その席で弥生子は、野枝の野生的で素朴な美しさを話題にした。

「ジプシイの娘といったような顔つきをした人なんですよ」

 その日に焼けた円い頬や、大胆らしい黒い瞳、口をおおう薄い健康そうな唇、李桃(すもも)だの、野苺だの、林檎だのという形容詞を弥生子が並べ立てたので、要するに千疋屋の店先のような顔だと思えば間違いはないということになって、男たちは笑った。

「同じ果物でも水菓子屋の店曝らしではなくして、あの顔は果樹園の枝からもぎたてのものですわ」

 それからしばらくして、野枝は初めて弥生子の書斎に通された。

 野枝は茶っぽいネルの着物に、緋無地の真っ赤な帯を大きくお太鼓に結んでいた。

 いつも地味な、いやむしろ見すぼらしい身なりであった野枝の、その日の真っ赤な巾広な帯は、弥生子の目を著しく刺戟した。

 その帯の一色が野枝を十四、五の小娘のように見せた。

「なんて可愛らしい娘さんでしょう」

 弥生子はそう思って、ゴム人形のようにふくれた珈琲色の頬を眺めた。

 眼も一層底深く水々と澄み渡っていた。

 活気にあふれた頬や眼の輝きに反して、何か言うたびに額には不似合いな縦皺を印する不思議な一抹の翳があった。

 弥生子がその特殊な顔面表情の謎に気づいたのは、それから数ヶ月後のことであった。

 それは彼女が初めて経験しつつあった、女性としての重大な任務に対する、歓喜、期待、同時に懊悩、争闘、苦痛の表現であったのだ。

弥生子ゆかりの臼杵の地探訪

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『野上彌生子全集 第3巻』(岩波書店・1980年10月6日)

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