「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」101回 エンマ

文●ツルシカズヒコ

 大杉と荒畑寒村が編集発行していた『近代思想』八月号に、「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」が掲載された。

「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」は、エマ・ゴールドマン『Anarchism and Other Essays』に収録されている、ヒポリット・ハヴェルによる「エマ・ゴールドマン小伝」を、寒村が抜粋訳したものだった。

 寒村はその冒頭で青鞜社の面々を挑発する文章を書いている。

 僕は此の一篇を、彼の社会改革を除いて個人的解放の存せざるを悟らず、女性の奴隷的境遇が現社会の経済組織の所産なるを知らず、自己完成と称する羊頭をかけて芸術的遊戯の狗肉を売れる、謂ゆる『新らしい女』に示したいと思ふ。

(荒畑寒村「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」/『近代思想』1913年8月号)

 野枝は『近代思想』八月号に掲載された「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」に触発されたという。

 野枝は自分と『近代思想』との関わりについて、こう書いている

 私は何にも知らずに、そのうすつぺらな創刊号を手にしたのであつた。

 私の興味は一度に吸ひ寄せられた。

 号を逐ふて読んでゐるうちに、だん/\に雑誌に書かれるものに対する興味は、其人達の持つ思想や主張に対する深い注意に代つて行つた。

 そのうちに私の前に、もつと私を感激させるものが置かれた。

 それは、エンマ・ゴルドマンの、特に、彼女の伝記であつた。

(「転機」/『文明批評』1918年1月〜2月号・第1巻第1号〜第2号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p403~404/『定本 伊藤野枝全集 第一巻_p230)

 そして野枝はさっそくエマ・ゴールドマンの伝記を読んでみた。

 頭の上には、真青な木の葉が茂り合つて、真夏の焼けるやうな太陽の光りを遮ぎつてゐた。

 三四間前の草原には、丈の低い樫の若木や栗の木が生えてゐるばかりで、日蔭げをつくる程の木さへなく、他よりずつと高くのびた草の、深々とした真青な茂みの上を遠慮なく熱い陽が照つて、草の葉がそよぐ度びによく光る。

 とし子は、森の奥から吹いて来る冷たい風を後ろに受けながら、坐つて、草の葉の照りをうつむいた額ぎわに受けながら、ぢつと書物の上に目を伏せてゐた。それは、

『伝道は、或る人の想像するやうに、「商売」ではない。何故なら、何人でも奴隷の勤勉を以て働らき、乞食の名誉を以て死ぬかも知れないやうな「商売」には従事しないだらう。かくの如き職業に従事する人々の動機は、ありふれた商売とは違つてゐなければならない。誇示よりは深く――利害よりは強く――。』
 
 と云ふ言葉を冒頭においた、エンマ・ゴルドマンの伝記であつた。

(「乞食の名誉」/『文明批評』1918年4月号・第1巻第3号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p348~349/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p258)

「とし子」は野枝のことである。

『伝道は、或る人の想像するやうに……』の原文は、以下である。

 Propagandism is not, as some suppose, a “trade,” because nobody will follow a “trade” at which you may work with the industry of a slave and die with the reputation of a mendicant.

 The motives of any persons to pursue such a profession must be different from those of trade, deeper than pride, and stronger than interest.

(Hippolyte Havel「Biographical Sketch」/Emma Goldman『Anarchism and Other Essays』)

 野枝は「エマ・ゴールドマン小伝」を読んだ感動を、こう書いている。

 自分は彼女の小伝を読むにあたつて自分のもつた大いなる興味と親しみと熱烈な或る同情と憧憬を集注させて、いろいろな深いところから来る感激にむせびつゝ読んだ。

『何と云ふすばらしい、そして生甲斐のある彼女の生涯だらう!』

 自分はある感慨に打たれながら心の中でかう叫んだ。

『婦人解放の悲劇』自序/『定本 伊藤野枝全集 第四巻』_p11)

 寒村が抜粋訳した「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」には、冒頭の『伝道は、或る人の想像するやうに……』の下りがないので、野枝は英文の原書『Anarchism and Other Essays』を入手したのであろう。

『定本 伊藤野枝全集 第四巻』解題によれば、エマ・ゴールドマンらマザーアースのグループが幸徳秋水らが連座した大逆事件に対する抗議運動をしたことなどを理由に、日本政府はアナキズム関連の洋書の輸入を厳しく規制していた。

 では、野枝は『Anarchism and Other Essays』をどこから入手したのだろうか。

『定本 伊藤野枝全集 第四巻』解題は、辻潤を通してか、あるいは直接的に大杉や寒村から本を借用したのではないかと推測している。

 野枝の英語力では原文を読みこなせないので、辻の助けを借りて日本語に訳したと思われる。

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『定本 伊藤野枝全集 第四巻』(學藝書林・2000年12月15日)

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