「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」109回 猫板

文●ツルシカズヒコ

 野枝が訳した『婦人解放の悲劇』に鋭敏に反応したのが大杉だった。

 大杉はまず女子参政権運動者とエマ・ゴールドマンとの違いをこう指摘している。

 女子参政権運動者等は、在来の男子の所謂政治的仕事を人間必須の仕事と認めて、女子も亦男子と同じく此仕事に与る事を要求する。

 然るにゴルドマンは、此在来の男子の所謂政治的仕事を人間の仕事として否認し、従つて男子も女子も共に此の仕事の破壊に与らなければならぬ事を要求する。

(「婦人解放の悲劇」/『近代思想』1914年5月号_p16)

  そして、大杉はエレン・ケイとエマ・ゴールドマンの違いを述べた。

 ……エレン・ケイに至つては、たとえば彼の政治などを人間の仕事でないとして、直ちに其等のものゝの破壊を企てると云ふやうな思想はない。

 又エレン・ケイは主として人生を恋愛の方面から観た。

 ゴルドマンは主として経済と政治との上から観た。

 これ等の諸点は、わかり切つたやうな事ではあるが、それを余程明白にして置かないと、新婦人論の真の概念が得られない。

(「婦人解放の悲劇」/『近代思想』1914年5月号_p16)

 そして、大杉はエレン・ケイに私淑するらいてうと、エマ・ゴールドマンに私淑する野枝を、こう批評した。

 僕はまだ、らいてう氏のエンマ・ゴルドマンに対する思想の如何を、全く知る事が出来ない。

 けれども氏の平素の議論から想像すると、或は野枝氏程の同感を持ち得まいかと思はれる。

 そしてゴルドマンによつて『まだ自分達はやつとこの頃意識が動き出したばかりだ』と自覚した野枝氏は、此点に於て、或はらいてう氏を多少追越してゐるのではないかと思ふ。

 僕は、僕等と同主義者たるエンマ・ゴルドマンに、野枝氏が私淑したからと云ふので、直ちに氏をほめ上げるのではない。

 かう云つては甚だ失礼かも知れんが、あの若さでしかも女と云ふ永い間無知に育てられたものゝ間に生れて、あれ程の明晰な文章と思想とを持ち得た事は、実に敬服に堪えない。

 これは僕よりも年長の他の男子が等しくらいてう氏に向つても云ひ得た事であらうが、しかしらいてう氏の思想は、ほんやりした或所で既に固定した観がある。

 僕はらいてう氏の将来よりも、寧ろ野枝氏の将来の上に余程属目すべきものがあるやうに思ふ。

(「婦人解放の悲劇」/『近代思想』1914年5月号_p17)

 堺利彦も『へちまの花』(第4号・1914年5月1日)の書評欄「提灯行列」で反応した。

 青鞜の人達がエンマ、ゴールドマンに触れて来たのは少し注意して置くべき事である。

 そしてチヨツト拾い読した丈の所でも、訳文の中々しつかりして、女らしい弱味がなく、明晰に兼ぬるに勁抜を以てすといふような趣きのあるに感服した。

(「婦人解放の悲劇」解題/『定本 伊藤野枝全集 第四巻』_p470)

 野枝は『青鞜』四月号に「惑い」を書いた。

「惑い」によれば、野枝は上野高女五年の三学期ころから、辻に対する愛を意識下で育んでいたと自己分析している。

 注目すべきは、辻にはおきんちゃんという相思相愛らしき「恋人」がいたにもかかわらず、野枝は力ずくでライバルのおきんちゃんを退け、辻の愛を奪い獲ったことである。

 堀保子、神近市子から大杉を奪った恋の勝利者としての野枝はよく知られているが、実は辻との同棲でもおきんちゃんから辻を奪った恋の勝利者だったのだ。

 赤いメリンスの半幅帯をいつもきりっと締めて、小柄で体が締まった田舎娘といった感じの野枝は、新参ながら、編集室ではなかなか役に立つ存在になっていた。

 寄贈本の書評なども、辻が手伝っていたのかもしれないが、手際よくまとめていた。

 いつもニコニコしている野枝だったが、青鞜社への攻撃に一番向きになって怒るのも彼女だった。

 ……わたくしは後にも先にも、野枝さんほど血の気の多い、口惜しがりやを見たことがありません。

 決してだまっていられず、その新聞なり、雑誌なりをたたきつけてすぐペンをとり、反駁分を書くのでした。
 
 時には「私、これから帰ってすぐに書いてやるわ」などといい捨てて、読みさしの雑誌を持ったまま、編集室を出てゆくようなことも幾度かありました。

 そんな野枝さんに対して「いそいで書いては駄目よ」と注意するのですが、感情が先走って我慢のできない性質ですから、ゆっくり考えて、理論的にものを書くということができない人でした。

 筆も早く、即座になんでも書ける人ですが、理論的に突込まれると、やはり弱いのでした。

 けれども、行動と感情が一つになって、たいへんな勢いで噴き上るようなところは、わたくしなどには、むしろ羨ましいほどに思われたものです。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p494~495)

 前年九月に長男・一(まこと)を出産した後、野枝は一を連れて編集室に出るようになった。

 目のくりっとした、可愛い赤ん坊は、女ばかりの編集室の人気者でしたが、こちらが仕事に熱中しているさなかでも、時をかまわず泣かれるのには閉口したものです。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p496)

 らいてうによれば、野枝は人の迷惑に対して驚くほど鈍感なところがあった。

 ……赤ん坊が動き回るようになって、畳の上に粗相をするようなことがあっても、ちょっと形ばかりおむつで拭いておくという程度で、後始末ということをしません。

 縁側から庭先へ、赤ん坊に排便させたあとなども、そのまま帰ってしまうので、いつも保持さんが文句をいいながら後始末をするのでした。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p496)

 野枝の自宅も汚かった。

 ……わたくしもよく出入りしていた野枝さんの住居では、紙屑でもなんでも庭へ掃き出して、庭がゴミの山になっているのに、平気で暮らしておりました。

 ……その点では辻さんも同様で……気が揃っていたようでした。

 物を書くにしても、赤ん坊が騒いでいるそばで、自分の机というものもなしに、長火鉢の猫板の上などでも、さっと書き上げる神経の太さと、精力はおどろくばかりでした。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p496~497)

※伊藤野枝訳『婦人解放の悲劇』/国立国会図書館デジタル資料

★『定本 伊藤野枝全集 第四巻』(學藝書林・2000年12月15日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

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