「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」第116回 世界大戦

文●ツルシカズヒコ

 一九一四(大正三)年、九月。

 創刊「三周年記念号」になるはずだった『青鞜』九月号は、休刊になった。

『青鞜』の一切の仕事をひとりで背負うことになったらいてうは、疲れていた。

 部数も東雲堂書店時代を頂点に下り坂に向かう一方だった。

 堀場清子は『青鞜』の部数減と第一次世界大戦との因果関係を指摘している。

  一九一〇年に始まった“女の時代”に、終りが来ていた。

 それは“青鞜の時代”の終りをも意味する。

 戦争が起れば窒息させられ、平和が蘇えれば息を吹きかえすーー女性解放運動の鉄則に添った現象が、この時はじめて日本社会にも生起していた。

(堀場清子『青鞜の時代ーー平塚らいてうと新しい女たち』_p219)

 山川菊栄は第一次世界大戦について、後年こう回想している。

 大正三(一九一四)年の夏、七・八月の交、ジッとしていてもあぶら汗のにじみ出るような暑い、暑い日でした。

 私は庭に向かった風通しのいい茶の間で、新聞をひろげて外電の大きな活字にくい入るように見入っていました。

 すると頭のうえで父の声がしました。

「たいへんなことになるぞ、これは。ヨーロッパ中の戦争だ。たいへんなことになる。世界中めちゃくちゃだ」。

 父はそれきり黙って考えこみ、じつに沈痛な顔つきで畳の上を、のっし、のっしと歩きまわっていました。

 今から思えば、父は戦火のなかのヨーロッパの美しい都市、むかし世話になった人々の姿を思っておののいたのではなかったでしょうか。

 しかしそのときの私は、またお父さんが大げさなことを、と思っただけでした。

 というのは、私がまだ学生時代、例の時事問題の時間に国際情勢が話題になるごとに、やれモロッコ問題だ、近東の利権だとか、ドイツやイギリス、フランスの間にゴタゴタのたえまがなく、しかもいつでも最後のドタン場にはなんとか危機がきりぬけられたので、こんどもなんとかなるものとタカをくくっていたのでした。

 それがみごとに裏ぎられて、たちまち父のいったとおりになった。

 なんという恐ろしさ!

 私の父の見通しが当ったこととともに、この恐しい現実の前に頭をさげました。

 人間の世の中にはどんなことでも起りかねない、世界戦争なんてそんなばかなことが、と頭から問題にしなかったようなことでさえも。

 私はあの日の驚き、あのときうけたショックを今でも忘れることができません。

 じりじりてりつけるあの日の暑さをまだ肌に感じ、庭に鳴く蝉の声さえもまだきこえてくるような気がするほどです。

 じっさいあの日から世界は変りました。

(山川菊栄『おんな二代の記』_p210~211)

 第一次世界大戦が勃発した一九一四年夏、菊栄は二十四歳、麹町区四番町の実家に住んでいた。

 菊栄の父・竜之助は食肉製造・貯蔵の研究のためヨーロッパに滞在経験があった。

  『定本 伊藤野枝全集 第二巻』解題によれば、『婦人評論』一九一四年六月一日に、下田次郎「日本婦人の革新時代」が掲載され、新しい女は「その主張の真の根底を有し、真の自覚をして居る訳では」なく、周囲から新しくさせられただけだと批判した。

 野枝は『青鞜』一九一四年七月号に「下田次郎氏にーー日本婦人の革新時代に就いて」を書き、下田に反論した。

 これに対して、石橋臥波が『婦人評論』一九一四年八月十五日に「新しき女の反省を促すーー伊藤野枝女史に与へて」を寄稿し、名指しで野枝に反論。

 石橋臥波は鬼の研究などで知られる民間学者。

 野枝は『反響』一九一四年九月号に「石橋臥波氏に答えて再考を促す」を書き、石橋に反論した。

 『反響』は生田長江と森田草平の共同編輯の文芸思想雑誌である。

 当時の日本の常識ではアメリカは先進国なのだが、エマ・ゴールドマンはそのアメリカを批判している。

 エマ・ゴールドマンに刺戟を受けた野枝は、そこまで自分は深く思考していると反論した。

 大杉と荒畑寒村は『近代思想』九月号を最後に、『近代思想』(第一次)を廃刊にして、十月から月刊の『平民新聞』を発刊することにした。

 文学的哲学的になりすぎた『近代思想』に嫌気がさし、もっと実際の社会運動に直結した出版物を出したくなったからである。

 大杉が渡辺政太郎(わたなべ・まさたろう)と小石川区竹早町の辻と野枝の家を訪れたのは、『平民新聞』創刊のための金策になんとか目処が立った九月のある日だった。

 渡辺は大杉の同志であり、辻の知り合いでもあった。

 大杉がこのときのことを書き記している。

『ほんとうによくいらして下さいました。もう随分久しい前から、お目にかかりたいお目にかかりたいと思つてゐたんですけれど。』

 彼女は初対面の挨拶が済むと親しみ深い声で云つた。

『まあ随分お丈夫さうなんで、わたしびつくりしましたわ。病気で大ぶ弱つてゐらつしやるやうにも聞いてゐましたし、それにSさんの「OとA」の中に「白皙長身」なぞとあつたものですから、丈はお高いかも知れないが、もつと痩せ細つた蒼白い、ほんとうに病人々々した方とばかり思つてゐたんですもの。』

『ハハゝゝゝゝ。すつかり当てがはづれましたね、こんなまつ黒な頑丈な男ぢや。』

 一言二言話してゐるうちに、二人はこんな冗談まで交はし合つてゐた。

(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p553~554/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p242~243)

「Sさんの『OとA』」とは、堺利彦が『近代思想』創刊号(一九一二年十月号)に書いた、大杉と荒畑の人物評のことである。

 大杉は二年前の『近代思想』に載った、そんな記事を野枝がよく覚えていることが不思議だった。

 ……そして曽つてS社の講演会で、丁度校友会ででもするやうに莞爾々々(にこにこ)しながら原稿を朗読した、まだ本当に女学生女学生してゐた彼女が、すつかり世話女房じみて了つた姿に驚いて、暫く黙つて彼女の顔を見つめてゐた。

 眉の少し濃い、眼の大きくはないが、やさしさうな、しかし智的なのが、其の始終莞爾々々しながら綺麗な白い歯並を見せてゐる口もとの、あどけなさと共に、殊に目立つて見えた。

(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p554/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p243)

 しばらくして大杉が帰ろうとすると、野枝はあわてたように引き止めた。

「まあ、いいじゃありませんか。もう辻も帰って来ますから」

「辻」という言葉を耳にして、大杉は少し面食らった。

 今の今まで赤ん坊に乳房をふくませながら話している野枝と対面していて、辻のことは大杉の頭にちっとも浮かんでこなかったからだった。

「それに辻もお会いしたがっているんですから」

 大杉は仕方なしにまた腰を下ろした。

 辻はすぐに帰って来た。

 しかし、大杉は野枝との受け答えには、なんでもないことにでも何かの響きを感じたが、辻との話には少しもそんな響きを感じなかった。

★堀場清子『青鞜の時代ーー平塚らいてうと新しい女たち』(岩波新書・1988年3月22日)

★山川菊栄『おんな二代の記』(岩波文庫・2014年7月16日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

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