「詳伝・伊藤野枝」第208回 和歌浦

文●ツルシカズヒコ

 野枝は大杉に宛てた大阪からの一信に、こう書いた。

 叔父(代準介)は午後から旅行するのだと云つて可なり混雑してゐる処でした。

 叔父は三時にたつと云つてゐたのですのでけれども九時まで延ばしていろ/\お話をしました。

 何か云はうと思ひますけれども、何を云つても駄目なのでいやになつて仕舞ひました。

 叔父はアメリカに直ぐに行けと云ふのです。

 そして社会主義なんか止めて学者になれと云ふのです。

 とにかく二十日ばかり留守にするからそれ迄ゐろと云ひますから、ゐる事にはしましたが、叔母が何も分らないくせに、のべつにぐず/\云ふのを黙つて聞いてゐるのがいやで仕方がありません。

 要するにあなたと関係をたてと云ふのですけれども、それをはつきり云はないのです。

 神近さんはどうしてゐらつしやいますか。

 本当に私はあの方にはお気の毒な気がします。

 私は毎日々々電話がかかつて来る度に、辛らくて仕方がありませんでした。

 私がどんなに彼(あ)の方の自由を害してゐるかを考へると、本当にいやでした。

 そして又、あなたのいろ/\な心遣ひがどんなに私に苦しかつたでせう。

 私はかなしいやうな妙な気がして仕方がなかつたのです。

 今度も帰りましたら、直ぐに家を探しておちつきたいと思つてゐます。

「書簡 大杉栄宛」一九一六年七月十五日・一信/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p393~394/「恋の手紙ーー伊藤から」/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』)

 『伊藤野枝と代準介』によれば、代準介が二十日間の旅に出ることにしたのは、野枝が二十日間も代の家に滞在すれば、キチの説得により大杉にのぼせている彼女の心も冷静になるだろうという代の策略だった。

 野枝はすぐに二信を書いた。

 すこし甘へたくなつたから、また手紙をかきたいの。

 野枝公もうすつかり悄気(しよげ)てゐるの。

 だつて来ると早くからいぢめられてゐるんだもの、可哀さうぢやない?

 けれど、もう大阪なんか本当にいやになつちやつた。

 野枝公もう帰へりたくなつたの。

 もう帰つてもいい?

 まだ早い?

 叔母なんてあなとの手紙のやりとりだつて、あんまりしちやいけないなんて云ひ出すんですもの。

 あたしそんなこと云はれちややりきれないわね。

 帰つてもいい?

 叔父の帰つて来るまでなんてゐること出来やしない。

 叔父でも叔母でも、あなたに誘惑されたのだと思つて、今あなたから離しておきさへすれば、元にもどるのだと信じてゐるのですね。

 私はもう断然ここの家とも今度きりで交渉をたつて仕舞はうかと思つてゐます。

 ……一日中のべつにぐず/\云はれては、唯さへ暑くてうるさいのに大変ですもの。

 見せろ/\つて云ふので『生の闘争』を見せました。

 堺さんの序文に幸徳さんの後を受けてゐるんだと書いてあつたのと、あの表に無政府主義とあつたのに猶驚いて、大変だと思つたんですね。

 叔母はもうどうしても私がもう一ぺん思ひ返してくれなくては困ると云つて、是非さうさせると云ふやうな訳なのです。

 野枝公もうすつかり閉口してゐるんです。

 私には大阪と云ふ土地は本当に性に合はない処だわ。

 矢張りあなたのそばが一等いいわ。

 野枝公すつかり計画が外れていやになつちやつたけど仕方がない。

「書簡 大杉栄宛」一九一六年七月十五日・二信/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p395~396/「恋の手紙ーー伊藤から」/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』)

 『生の闘争』は大杉の最初の論文集で、一九一四年に新潮社から刊行された。

 大杉は野枝からの一信と二信に、こう返信した。

 きのふ出した手紙が二通ついた。

 大ぶ弱つてゐるやうだね。

 うんといぢめつけられるがいい。

 いい薬だ。

 あれほどの悪い事をしてゐるのだから、それ位は当り前の事だ。

 そして、ついでの事に、うんと喧嘩でもして早く帰つて来るがいい。

 そのご褒美には、どんなにでもして可愛がつてあげる。

 そして二人して、力を協せて、四方八方に出来るだけの悪事を働くのだ。

 それとも……叔父さんの云ふ通りにアメリカへでも行くか。

 そして二年なり三年なり、語学と音楽とをうんと勉強して来るか。

 人間の運命はどうなるか分らない。

 何が仕合になるのか、不仕合になるのか、どちらとも判断がつかない。

 ただ後の方は今の所ではあまりにつらすぎる。
 
 あつけなさすぎる。

 まだ/\ふざけ足りない。

 僕はもう、野枝子だけには、本当に安心してゐる。

 若し行かうと思ふのなら、あと一と月か二た月かかぢりつかしてくれれば、何処へでも喜んで送る。

 野枝子が何処へ行つた所で、野枝子の中には僕が生きてゐるんだ。

 僕の中にも野枝子が生きてゐるんだ。

 そして二人は、お互ひの中のお互ひを、益々生長さす事に努めるのだ。

 何んだか、こんな事を書いてゐると、本当に今野枝子が遠くへ行つて了うやうな気がする。

 そしてそれを送るの辭でも書いてゐるやうな気がする。

 ヒロイクな、しかし又、悲しい気がする。

 そして無暗に野枝子の事が恋しくなつて来る。

 とにかく、都合が出来たらすぐ帰つて来たらどう?

 本当に、そんな叔母さんと二人ぎりでゐるのぢや、とてもたまるまい。

 僕だつて、可愛いい野枝子をそんないやなところに置くのは、とても堪らない。

 帰つておいで。

 早く帰つておいで。

 一日でも早く帰つておいで。

 手紙を開封したやうな形跡があつたら、警察へおしりをまくつてあばれこんでやるがいい。

(「戀の手紙ー大杉から」大正五年七月十六日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』_p646~647)

 野枝子は今何をしてゐるのだらう。

 伯母(ママ)さんと向ひあつて、飯でも食ひながら、愚図々々とお小言の御馳走でも戴いてゐるのだらうか。

 大阪へ行けば、本当に口に合つたおいしいものが食べれると、よく口癖のやうに云つていたのだが、いつか、かつちやん(小林哥津)の所へ行つたときに、お小言を聞きに大阪へ行つて来る、と冗談に云つてゐたが、本当にそればつかりで行つたやうなものだね。

 ここまで書いたら、和気から朝日(大阪朝日)の夕刊を送つて来た。

 野枝子の満艦飾を施した頭と云ふのは、どんなものだらうね。

 こんど帰つて来る時には、ぜひ其の満艦飾で来てもらひたい。

 『吹出もののある可愛らしい顔』はいかにもいい。

 最後の『訳の分らぬ事まで述べ立てて引退つた』は、みだしの『大気焔』と云ふのにちつともふさわしくないね。

 こんどは、新橋で降りることにして、到着の時間を電報で知らしておくれ。

 翻訳だと手がまるで機会的に働いて行くが、こんな手紙のやうなのでも、いざ書くとなるとなか/\骨が折れる。

 ほんとに早く帰つて来ておくれ。

 ね、いいかえ、野枝子。

 今、荒川(義英)と吉川(守邦)とがやつて来たから、これでよして、直ぐ女中に出させる。

 吹出もののある可愛らしい顔の野枝子へ。

(「戀の手紙ー大杉から」大正五年七月十七日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』_p648~649)

 『日録・大杉栄伝』と『伊藤野枝と代準介』によれば、七月十七日、キチは野枝の気分転換のために、和歌山の和歌浦浜に電車の旅をして、野枝に得意の海水浴を楽しませた。

 ちなみに、当時の水着はこんな感じだったようです。

 しかし、キチは野枝を懐柔することはできず、野枝は七月十九日午後の列車で帰京した。

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)

★矢野寛治『伊藤野枝と代準介』(弦書房・2012年10月30日)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

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