「詳伝・伊藤野枝」第188回 白山下

文●ツルシカズヒコ

 野枝はそのころの自分の感情や考えを、青山菊栄にもうまく話せていなかったようだ。

 菊栄はこう書いている。

 其頃(※一九一六年春ごろ)から例の大杉さんを中心に先妻と神近市子氏と野枝さんとが搦(から)み合つた恋の渦巻が捲き起こつたのであるが、私は大杉さんの野枝さんに対する強い愛情は知り抜いてゐたものの、野枝さんの方であゝ難なく応ずるとは思はなかつた。

 そして大杉さんの傍若無人な態度を片腹痛く思つてゐた矢先、野枝さんの方では断じて大杉を拒絶するといつて、大杉さんの悪口をいつた時には、私も大(おほい)に同感して『全く大杉さんは怪しからん』などゝ云つたものであつた。

 ところが『モウ家庭生活には懲り/\した。私は辻とは別れますが一生結婚はしません』といつてゐる野枝さんは、いつの間にか、私の生家の近処の大杉さんの下宿に同棲してしまつた。

(山川菊栄「大杉さんと野枝さん」/『婦人公論』1923年11月・12月合併号・第8巻20号_p15~16)

 堀保子「大杉と別れるまで」によれば、三月上旬、大杉と野枝の関係が新聞に出て世間が喧しくなったが、野枝はしきりにこの風説を打ち消し弁解しだしたという。

 それで青山菊栄さん(今の山川菊栄さん)でさえ野枝の弁解を信じ、野枝の為めにわざ/\私をお訪ねになつて『世間の風説は全く無根です。どうぞ誤解のないように願いたい』と仰いました。

 ……野枝の弁解は唯世間体を繕ふ一時の言逃れとしか見ることが出来ませんでした。

 ……又野枝は山田わか子さんをお訪ねして次ぎのやうな談話を交換したさうです。

 わか子さん『この頃妙な噂が大分盛んですがあれはどうなんですか』

 野枝『アラうそですよ。世間て本当に随分ね。この間も外でそんな事を聞いて私はビックリしましたわ。本当に私は呑気ですね。世間でそんなに云っているのに御当人の私はちっとも知らずにいたんですもの』

 わか子さん『けれどもあなたが大杉さんにあげた手紙の意味は、確かにお二人の関係を明かにして居ると保子さんは云つてお出でしたよ』

 野枝『……あの谷中村の事件の時に、あの事件に対する私の意見を大杉さんにお話したゞけなんですよ。なんで私が大杉さんに手紙など上げるものですか。それは保子さんの邪推ですよ』

(堀保子「大杉と別れるまで」/『中央公論』1917年3月号_p13~14)

 野枝にとってはまず辻との別居ありきなのであるが、世間はそうは見ない。

 大杉との恋愛が生じたゆえの別居と受け取られることに対する、野枝のそれなりの手練手管だったのかもしれない。

「書簡 大杉栄宛」(一九一六年四月三十日・一信)の解題(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)によれば、『萬朝報』に辻の談話が掲載されたが、辻の同意を得て野枝が流二を連れて辻の家を出たのは四月二十四日の午後だった。

 辻はその日のことをこう回想している。

 別れるまで殆どケンカ口論のやうなことをやつたこともなかつた。

 がしかし、唯だ一度、酒の瓶を彼女の額に投げつけたことがあつた。

 更に僕は別れる一週間程前に僕を明白に欺いた事実を知つて、彼女を足蹴りにして擲(なぐ)つた。

 前後、唯だ二回である。

 別れる当日は御互(おたがひ)に静かにして幸福を祈りながら別れた。

 野枝さんはさすが女で、眼に一杯涙をうかめ(ママ)てゐた。

 時にまこと君三歳。

(「ふもれすく」/『婦人公論』1924年2月号_p14/五月書房『辻潤全集 第一巻』)

 この辻家のゴタゴタの渦中に、宮嶋資夫は白山下の辻の家を訪れている。

 玄関を明ければとつつきの部屋である。

 案内を乞ふ必要もなく、ガラリと障子を明けると、辻は右手の机に背をもたせて胡座をかいて、野枝がその前に坐り、野枝の後ろには、辻の母親が赤子を抱いて坐つてゐた。

 丁度野枝をはさんで、何か話し合つてゐた所であらう。

 うつ向いた野枝の左の眼のふちは紫色にはれ上つてゐた。

 辻は私の顔を見るといきなり、

 「もう駄目だよ、もう俺んとこもすつかり駄目だ、今日でこの家も解散だ」と怒鳴るやうに云つた。事態はもうそこ迄進んでゐるのかと思つたが、

 「一体どうしたんだ」とほかに云ふこともないから、そんな事を云ひながら坐つた。

 「なあに此奴は、キスしたゞけなんて云やがるけれどキスしたゞけかどうか判るもんか、俺はもういやだ」と彼が言ふあとについて母親は、「えゝ、もう本当に、こんな事を繰り返してたつてしやうがござんせんからね、この子はこの子でほかに預けて、このうちを一旦たゝまうと思つてゐるんですの、その方がよつぽど清々しますわ」と鋭い目で、野枝の方をキラリと睨んだ。

 「それであんたはどうするんですか」と何のつもりだか私は野枝に訊いた。

 「わたしは、気持のきまるまで当分一人で暮しますわ、わたしだつて辻が好きなんですけど仕方がありません」と云つて顔を蔽つた。

(宮嶋資夫「日本自由恋愛史の一頁〈遺稿〉大杉栄をめぐる三人の女性」/『文学界』1951年5月号_p144)

 この日、辻の家には一(まこと)は不在だった。

 「あんな話をしてゐる際に家に置くのは好くないと思つて近所に預けてゐたやうであつた」と宮嶋は推測している。

 翌日も宮嶋は辻の家を訪れた。

 天気がよく、自分の子供とほぼ同年齢の一(まこと)をいっしょに植物園にでも連れて行って、一(まこと)を一日朗らかにしてやりたいと思った宮嶋は、菓子などを用意して子供を乳母車に乗せて辻の家を訪ねた。

 が、彼の家は全く昨日解散されてゐた。

 玄関は堅く閉ぢられてゐた。

 裏口へ廻つて見るとすゝけた障子の穴から中の様子がよく見えた。

 昨日私が来た時におかれてあつた、ネーブルの食ひからし(ママ)の皿はもとのまゝ、辻の坐つてゐた前にあつた。

 座布団も何も彼も昨日と寸分ちがつてゐなかつた。

 そして黄色くすゝけた障子に、朝の陽があたつてゐたのであつたが、部屋の中は夕暮のやうなお(ママ)どんだ色をしてゐた。

 私は急いで踵を返して、乳母車を押して、植物園には行かずに家に帰つた。

(宮嶋資夫「日本自由恋愛史の一頁〈遺稿〉大杉栄をめぐる三人の女性」/『文学界』1951年5月号_p144~145)

★『辻潤全集 第一巻』(五月書房・1982年4月15日)

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