「詳伝・伊藤野枝」第197回 カンシヤク玉

文●ツルシカズヒコ

 五月八日の夕方、読売新聞社を訪れた大杉だったが、荒川義英も同社に来ていたので、大杉、土岐、安成、荒川の四人は一緒に社を出た。

 すると一行は道で荒畑寒村に遭遇した。

 ともかくみんなでカフェ・ヴィアナに入った。

 いろんな話のついでに、野依秀一の話になり、彼を呼ぼうということになった。

 当時の野依は二年前に起こした愛国生命保険恐喝事件の保釈(仮出獄)中の身だったが、不謹慎活動により禁固4年の実刑が確定し豊多摩刑務所に入る直前だった。

 大杉と野依は一年ほど前から絶交状態だった。

 野依が仮出獄で出獄し、更に新しい事件が始まった時、荒畑や僕などと交際してゐては、裁判官の心証を悪くするからと云ふので、僕等二人に自分の社への出入をことわつて来た。

 其時の向うの出かたが少々シヤクにさはつたので、その後、堺(利彦)を介して二度ばかり和解を申込んでも来たが、こちらでは不承知でゐた。

(「戀の手紙–––大杉から」大正五年五月九日夕/『大杉栄全集 第四巻』_p611)

 野依が入獄するまで十日ほどしかなかったので、大杉は野依と直接会って話をつけようと思ったのである。

 安成が野依に電話すると、野依は木挽町の待合・野澤家を指定してきたので、土岐を除いてみんなでそこに行った。

 野澤家では松本悟郎、堺利彦も加わり会食、懇談した。

 この席で大杉が荒れた。

 だが、とうたうしまひに、僕のカンシヤク玉を破裂さす言葉が、野依の口から出た。

 あいつ、人を侮辱する事を平気でやれる人間なのだ。

 殴つて、蹴つて、うんと罵倒して、それで謝らして漸く少々の腹いせが出来た。

 皆んなはアツケラカンとして、只だ黙つて見てゐた。

 所が、再び叉、僕のカンシヤク玉を破裂さす事にぶつかつた。

 それは例の堺(堺氏をそこへ呼んだのだ)の冷笑だ。

 いきなりコツプを額にぶつけた。

 向うでも徳利をほうつた。

 皿が飛ぶ、ぼんが飛ぶ。

 遂に二人は起ちあがつたが、其の間に座つてゐた二三人に抱きとめられて了つた。

 芸者共も女中共も、ビツクリして逃げ出した。

 堺はすぐ帰つた。

 堺と僕とのイキサツは、『生の闘争』の中にある「正気の狂人」以来の、叉いつもあの意味の事なのだ。

 いつかも、矢張り同じやうな事で、平民講演で口論した。

 それが遂に、此処までに進んで来たのだ。

(「戀の手紙–––大杉から」大正五年五月九日夕/『大杉栄全集 第四巻』_p611~612)

 夜も更け、午前一時近かった。

 他の皆は帰ったが、大杉と野依は野澤家に泊まった。

 大杉にとって、待合に上がるのはこれが初体験であった。

 野依秀市『人物は踊る』によれば、大杉と野依が喧嘩になったのは、野枝のことが原因だった。

 ……野枝が或る日私の社に訪ねて来て、原稿を買つてくれないかと云ふ話なのである。

 ……まあ考へておきませうが多分駄目でせうと云ひ、そのついでに大杉といゝ仲になつてゐるので多少ひやかしの気分も交へて……何か多少話した。

 その話の中に野枝にとつて面白く思はれないことがあつたと見え、それを大杉に野枝が話したものと思はれる。

 そこで大杉が自分のイロ女をひやかされたといふやうなことで含むところがあつたので……そこで原稿一枚一圓五拾銭位としても七八十圓になるやうな計算になるので、そこで大杉が、君は野枝が行つた時にからかつておき乍ら大事な原稿は買はないぢやないか、だから七八十圓出せというやうな言ひ掛りを言つて、私がそれを拒絶したので腕をふり上げたといふことになつたのである。

 つまり大杉としてはイロ女に対して、色男の強さをわれ/\の前で見せつけたかつたのであらう。

(野依秀市『人物は踊る』_p)

『人物は踊る』によれば、野沢家に泊まったのは大杉、荒畑、野依の三人で、大杉と野依は握手をしてその夜のことは水に流したという。

★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)

★野依秀市『人物は踊る』(秀文閣書房・1937年1月)

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