週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

伊藤野枝メモ 004「白痴の母」

初出は伊藤野枝の年譜によると『民衆の芸術』第1巻第4号(1918年10月号)。

この年(1918年)の6月下旬、避暑と金策のため九州へ出発し、8月中旬に帰京している。九州へ行ったのだから、当然、実家(現在の福岡市今宿)にも立ち寄ったはずだ。で、「白痴の母」は実家で体験したと思われる話を書いている。野枝の実家の隣りに住む、50歳を越えた白痴の男とその老いた母。老母が松の木で首つり自殺をするという悲惨なラストである。

野枝の実家の様子が描かれているところに注目したい。祖母や弟との会話、野枝が朝の海辺を散歩する、そのあたりの描写がいいです。


 其の朝は、特にうすら寒くて、セルに袷羽織を重ねてもまだ膚はだ寒い程でした。私はまだ日の上らない前に珍らしく床をぬけ出して、海辺に出ました。海は些の微動もない位によく和ないでゐました。何時もは直ぐ目の前に見える島も岬も立ちこめたもやの中に、ぼんやりと遠く見えて、海も松原も一面にしつとりとした水気を含んだ朝の空気につゝまれて静まり返つてゐました。私は足の下でかすかに音をたててゐる砂の音を聞くともなく聞きながら松原を出て渚に降りて行きました。小舟は静かに浮いて居ました。そして汀の水は申訳ばかりにピチヤ/\とあるかないか分らない程の音をたてゝゐます。私は出来るだけゆつくりその汀を歩いて東の方のはづれの砂浜がずつと広くなつた河尻まで行きました。私が引き返し初めた頃には長い/\その渚の彼方此方あちこちに黒い小さく見える人影がありました。私は本当に久しぶりで朝の海辺のすが/\しい気持を貪りながら高い砂浜を上つたり降りたりして家の方に帰つて来ました。

「白痴の母」
●初出:『民衆の芸術』第1巻第4号(1918年10月号)。
伊藤野枝年譜制作中