週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

伊藤野枝メモ:006 大杉栄自叙伝

『大杉栄自叙伝』(大杉栄/雪華社/昭和42年2月)を読んだ。

この本で注目したいのは、以下。

●大杉が軍国少年だったのは有名だが、
彼の父がバリバリの職業軍人だったというのはおさえておきたい。
日清、日露戦争に出征している。
日清戦争では威海衛の激戦に参戦。
愛馬が爆弾を4発受けたという、手紙を家族に書いている。

●東京監獄に収監されていた当時の話。
ちなみに東京監獄は現在『富久町児童公園』のある場所にあった。
大逆事件の被告たちが処刑されたのもここ。
現在の靖国通り住吉町交差点から市谷台町へ登る坂は、
市谷刑務所への入り口であり『刑務所通り』と呼ばれていた。

ここに収監されている時、
大杉は囚人仲間として野口男三郎と交流があったと書いている。
野口男三郎とはこういう人です。

野口男三郎

野口男三郎は3件の殺人事件に関与しているようだが、
そのうち検察側が立証できたのは、
麹町の薬店の店主である都築富五郎殺害だった。

う〜ん。
私は唸ってしまった。

なぜなら、都築富五郎というのは、
たぶん、都築響一さんのご先祖さんだろうなと思ったからです。

野口男三郎は東京外国語大学露文科に通っていたので、
大杉の先輩にあたるわけで、
そのあたりもあって、大杉は野口と交流していたのではないか。

以下の下りにも注目。

〈……大逆事件の被告等の殆ど皆んな見た。
丁度僕の室は湯へ行く出入口のすぐそばで、その入り口から湯殿まで行く十数間のそと廊下をすぐ目の前に控えていた。で、すきさえあれば窓からその廊下を注意していた。
皆んな深いあみ笠をかぶっているのだが、知っているものは風恰好でも知れるし、知らないものでもその警戒の特に厳重なのでそれと察しがつく。

ある日幸徳の通るを見た。
「おい、秋水! 秋水!」と二三度声をかけてみたが、そう大きな声を出す訳にも行かず(何んという馬鹿な遠慮をしたものだろうと今では後悔している)それに幸徳は少々つんぼなので、知らん顔をして行ってしまった。〉


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