週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

vol.40 清水達夫『二人で一人の物語』

清水達夫著『二人で一人の物語 マガジンハウスの雑誌づくり』(出版ニュース社)

【データ】
★発行/出版ニュース社
★1985年10月22日 初版第1刷発行
★1983年夏から1985年夏まで『出版ニュース』に連載。1985年はマガジンハウスの創業40周年。その流れの連載、単行本化。

               ※

現在のマガジンハウスは、凡人社→平凡出版→マガジンハウスと社名を変えているのだが、終戦直後、凡人社を創業したのが岩堀喜之助(1910年ー1982年)と清水達夫(1913年ー1992年)である。岩堀と清水は長く社長と副社長、会長と社長の関係にあった。〈二人で一人〉とは、この岩堀と清水の関係のことだ。

岩堀は清水に、こんな遺言を遺した。

〈人生一知己を得ば以て恨みなかるべし〉

そして、清水は岩堀の墓地のある小田原の秋を想い、こんな俳句を遺している。

〈生涯を二人で一人鰯雲〉

さて、僕が本書で注目したのは2点。
まず、清水の編集手法の「異種交配」は有名だが、その清水の「異種交配」を刺激した編集者がいたってこと。1958年、『女性自身』(光文社)を創刊した黒崎勇(1920年ー2005年)である。

〈(略)『女性自身』が光文社から黒崎勇さんの手で創刊された。アメリカの『セブンティーン』誌のファッション写真を表紙に使用した目を見張るようなモダンな表紙で登場したのである。(略)表紙に外国の女性が登場したことがショックだった。それまでの常識では、外国の女性などを表紙に使うなどとは考えられないことだった。婦人誌はほとんどが人気の高い映画スター(註:日本の女優)を表紙にしていた時代である。(略)外人の女性を表紙にするのは、部数の少ない外国映画の専門誌やファン雑誌が洋画のスター女優を表紙に使うぐらいである。『女性自身』が表紙にしたのはそういう洋画の人気スターでもなんでもない、アメリカのファッションモデルの写真である。大胆きわまりない表紙である。(略)しかし、なんとも新鮮で魅力的な表紙であったことか……。私は黒崎編集長に拍手を送った。やっぱり常識的なものでは新しい週刊誌の表紙は成功しないのだと、私は心に銘じた。私も、創刊前の『週刊平凡』の表紙をアレコレと研究していたころである。そして、私は『週刊平凡』の表紙を、スターとスターの異種交配でいこうと決心したのは、この『女性自身』の表紙の思い切った新しい企画に感動したからである〉

『週刊平凡』の創刊は1959年。

〈『週刊平凡』の創刊準備をすすめているとき、(略)表紙を担当した編集者は木滑良久(現在、編集担当副社長)で、まだ大学を卒業して間もない彼が、『週刊平凡』のグラビア担当をすることになっていた。『週刊平凡』の表紙は、創刊号が、当時NHKの人気アナ高橋圭三氏と、東宝の女優団玲子さん。後に暗殺された社会党の浅沼稲次郎氏と若尾文子さんお二人を組合わせた表紙なども話題をあつめた。当時の人気力士若の花(いまの二子山親方)と外人の子供たちを組合わせた表紙などは、その絵柄も傑作であった〉

浅沼稲次郎氏と若尾文子という「異種交配」もすごいなぁ〜。

僕が注目した2点目は、岩堀と清水の関係性に亀裂が生じそうになった事件があったこと。
経営面は岩堀、編集面は清水という明確な役割分担があり、それがふたりの関係をうまく成り立たせていたようだが、実は一度だけふたりの間に亀裂が生じそうになったという。
清水は意を決して「秘話」という形で、その顛末を記している。

それは1955年のこと。突然、岩掘の自宅や清水の自宅、会社に国税局の査察が入った。脱税容疑である。この国税局の査察事件がキッカケになり、オーナーでありワンマン経営社である岩堀に対する反発の声が社員の間に上がった。社員の先頭に立ったのは、立場上、清水だった。結局、岩堀と清水は和解し、民主的な経営を目指す株式会社としてスタートすることになるのだが、ふたりの和解のシーンが「濃い」です。

〈「岩さん……俺はこの会社をやめようと思うよ。」
私はそういって岩堀喜之助の前に手をついた。(略)
「達ちゃん……やめるときは俺も一緒だよ……。」
彼は私の両手を握りしめた。
私も思わず彼の両手を握りかえした。私もこられきれずにに泣きだして、二人ともしばらく手をとりあったまま泣いていた。(略)
そのとき手を握りあって泣きあうまで、私と岩堀喜之助の間には、ほんの少し、すき間風が吹いていた。おたがい百パーセント信じあってはいなかった。しかし、この一瞬に二人の間のすきま風はまったくなくなり、二人は完全に二人で一人に結ばれたのである〉

う〜ん、ちょっとキレイごとすぎるような気がする。
実際、そうだった(きれいに和解した)にしても、
描写がちょっと芝居がかっているというか(吉本新喜劇みたいな)。
清水達夫は夏目咲太郎というペンネームのユーモア作家だったこともあり、ユーモア作家時代の文章もこんな感じだったのかなとも思う。

『出版ニュース』に連載されていた文章なので、リアルタイムの話題も出てくる。リニューアル中の『平凡パンチ』、清水が手がけた『鳩よ!』や『ヒストリーズ・ラン』などの雑誌についても、希望的観測の視点から言及しているが、それらの雑誌がことごとく不首尾に終わった事実が、ちょっと悲しい。

装丁は清水さんの生涯のブレインだった堀内誠一さん。
パステルカラーのデザインがいい!