ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記

職業婦人

昨夜は宮城県の美里町の実家に泊まった。
夜、一杯やりながら母の昔話を聞く。

大正9年、1920年生まれの母は、
女川の高等小学校を卒業後、地元の青年学校に2年間通い、
その後、仙台の東北大学付属看護学校で3年間学んだ。

戦前、戦中、戦後、母は看護婦・保健婦として働いた職業婦人だった。
確か六十代半ばぐらいまで働いていたはずだ。
しかし、「青年学校」というところに通っていたという話は初耳だった。
母によれば「和裁とかを習っていた」らしい。

朝、起きると、玄関の靴入れの上に母が生けた山茶花が飾ってあった。

山茶花