ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記
大杉栄&伊藤野枝の次女・菅沼幸子
大杉栄&伊藤野枝には4人の娘がいた。
次女・エマは生後まもなく、
中国・天津在住の大杉の
妹夫妻の養子になり、
名前も幸子に改名されて
牧野田幸子として育った。
幸子が生みの親が
大杉&野枝であることを知ったのは、
静岡の女学校に在学中だったが、
一人っ子だと思っていたのが、
兄や姉や妹がいることを知り、
心がなごんだという。
大陸で育ち、
姓名も変わったため、
他の姉妹のように
非国民の子という圧迫もなく
大らかに育ったのが、
幸子だったようだ。
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戦時中に彫刻家の菅沼五郎と結婚した。
菅沼は朝倉文夫の弟子なので、
朝倉は野枝と尾竹紅吉の家で
話したことがあるという逸話
(【伊藤野枝1895-1923】第36回)を、
菅沼夫妻に語っていたかもしれない。
森まゆみ「菅沼幸子さんのこと」
(『新日本文学』/
2003年9・10月号)によれば、
幸子は異父兄・辻まこととも
親密な交流があったらしい。
池袋モンパルナスにいたころは、
菅沼夫妻と辻まこと&イヴォンヌ夫妻は、
共同生活のようなこともしていたという。
長女・魔子の生涯は
薄幸だっただけに、
幸子の大らかな人生を知って、
ちょっと救いになったのは事実です。
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