ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記
伊藤野枝の個人主義
伊藤野枝が編集発行人である
『青鞜』1916年2月号が、
結果的に同誌の最終号に
なってしまったわけですが、
これに関してツイッターで、
以下のような情報が流れ、
それがけっこうな数の
リツイートをされている。
ーーーーーーーーーーーーーーー
『青鞜』最終号が発行され、
無期休刊となる。
編集長の伊藤野枝が
大杉栄と恋愛関係になり、
仕事をしなくなったため……
ーーーーーーーーーーーーーーー
これは非常に浅薄なものの見方だと、
私は思います。
「仕事をしなくなった」のではなく、
野枝は大杉と新たな仕事をするために、
自分の人生をリセットしたのでしょう。
ついでに言うなら、
野枝は夫・辻潤とふたりの子供を捨てて、
愛人・大杉のもとに走った、
だから野枝はけしからん
という視点がありますが、
野枝に言わせれば、
だからどうした?
ということになるでしょう。
夫や子供については
あくまでも私事なんですよ、
野枝にとっては。
辻との話し合いで
結論を出せばいいだけのことで、
他人からとやかく言われる
筋のことではないと、
彼女は考えていたと断言できます。
野枝は徹底した個人主義者でした。
親が子のためにする自己犠牲、
子が親のためにする自己犠牲、
そんな考え方や生き方を
嫌悪していました。
野枝は堕胎反対論の立場でした。
それはたとえ胎児でも、
すでに親とは別個の生命を持つ「個人」だから、
その生命を他人が絶つ権利はない
という考えに立脚していたからです。
↓
【伊藤野枝 1895-1923】第93回
★ツルシカズヒコとワタナベ・コウの最新著作
★ツルシカズヒコTwitter
@k_tsurushi からのツイート