詳伝・伊藤野枝

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「詳伝・伊藤野枝」第163回 ロンブローゾ

文●ツルシカズヒコ 野枝が物書きとして順調にステップアップしていく一方で、辻の評判は芳しくなかった。 辻は、前年一九一四年の十二月、ロンブローゾ『天才論』の訳著を植竹書院から植竹文庫第二篇として出版した。 英訳本『Man of Genius...
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「詳伝・伊藤野枝」第162回 日常生活の日誌

文●ツルシカズヒコ 『新日本』一九一五年六月号(第五巻六号)に掲載された「日本婦人の観たる日本婦人の選挙運動」は、アンケートに回答するスタイルの記事で、野枝も回答を寄せている。 他の回答者は鳩山春子、矢嶋楫子(かじこ)、木村駒子、与謝野晶子...
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「詳伝・伊藤野枝」第161回『痴人の懺悔』

文●ツルシカズヒコ 『青鞜』六月号「寄贈書籍」で、野枝は木村荘太訳『痴人の懺悔』(ストリンドベルヒ著)と青柳有美『美と女と』を紹介している。 ストリンドベルヒの自伝の一部で氏の最初の結婚生活を書いたもので御座います。 この小説は是非誰にも一...
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「詳伝・伊藤野枝」第160回 堕胎論争

文●ツルシカズヒコ 『青鞜』一九一五(大正四)年六月号は発売禁止になった。 『青鞜』にとっては三度めの発禁である。 『定本伊藤野枝全集 第二巻』「私信–––野上彌生様へ」の解題によれば、原田皐月が書いた「獄中の女より男に」が「風俗壊乱」だと...
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「詳伝・伊藤野枝」第158回『美は乱調にあり』の間違い

文●ツルシカズヒコ 野枝にとってショッキングな事件が起きたのは、一九一五(大正四)年五月ごろだった。 辻はこう書いている。 ……僕らの結婚生活ははなはだ弛緩してゐた。 加ふるに僕はわがままで無能でとても一家の主人たるだけの資格のない人間にな...
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「詳伝・伊藤野枝」第157回 マックス・シュティルナー

文●ツルシカズヒコ 大杉は野枝からの手紙に返事を書かねばならぬという、義務感に責められていた。 しかし、どうしても書けない。 書くならば、野枝への沸騰した情熱をストレートに表明した文面にならざるを得ないが、それもできない。 大杉は野枝とふた...
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「詳伝・伊藤野枝」第156回 同窓会

文●ツルシカズヒコ 一九一五(大正四)年四月ごろ、野枝は上野高女の同総会に出席した。 上野高女は校舎移転改築のため銀行から資金を借り、校舎の外観が整い入学者が増えるにつれて、資本主の干渉が始まった。 その対立の末「創立十周年の記念日を期し」...
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「詳伝・伊藤野枝」第155回 婦人の選挙運動

文●ツルシカズヒコ 『青鞜』一九一五年四月号「編輯室より」に、野枝はこう書いた。 ●先月は随分つまらないものを出したので大分方々からおしかりを受けました。 そのうめ合はせに今月は特別号にして少しよくしやうかと思ひましたけれど何しろちつとも準...
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「詳伝・伊藤野枝」第154回 死灰の中から

文●ツルシカズヒコ 大杉が野枝の第一の手紙に非常な興味を持ったのは、もうひとつの大きな理由があった。 当時の大杉は内外に大きな不満を持っていた。 外に対する不満というのは、個人主義者らの何事につけても周囲への無関心であり、そして虐げられたる...
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「詳伝・伊藤野枝」第153回 友愛会と青鞜社

文●ツルシカズヒコ 一九一五(大正四)年、当時の文壇思想界は個人主義全盛の時代だった。  自己完成、自己の生命の充実、自己を煩わし害(そこな)わんとする周囲からの逃避、静かなる内省と観照。 これが当時の個人主義の理論であり実際であった。 大...
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「詳伝・伊藤野枝」第152回『谷中村滅亡史』

文●ツルシカズヒコ 葉山から帰京して二、三日後、大杉に野枝からの手紙が届いた。  『先日はもう一足と云ふところでお目に懸ることが出来ませんでしたのね。 御縁がなかつたのでせう。 雑誌(『青鞜』※筆者注、以下同)を気をきかしたつもりで葉山に送...
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「詳伝・伊藤野枝」第151回 待合

文●ツルシカズヒコ 大杉は堀保子とは、もう八、九年ほどきわめて平和に暮らしていたが、大杉が野枝の家を訪れたときには、いつも保子の機嫌はよくなかった。 少なくてもいつも曇った顔をしていた。 野枝についての何かの話が出るときも同様だった。 そし...