コウコラム:「服を買わない生活」の中で考えたアレコレを書きます

第26回 大嫌いな、大事なこと

クレヤン11号、22日に印刷所に入稿するんで、
最後の最後の最後の校正をやっています。
校正っていうのはホント、大変な作業ですねえ。
雑誌作りっておもしろいんだけど、
校正だけはどうにも苦手というか、大嫌いです。

いっつも「雑誌の根幹に関わるいちばん大事な作業だ」と
編集長に言われてやるんですが、
なんだか気づくと編集長に、起こされて、いるんです……。

私が校正したときはなんにも間違いがなかったはずなのに、
編集長が校正するとなぜか間違いが発見されるのも、不思議です。

自分たちが作った本の間違いが見つけられないのに
(私だけですね、ハイ)、
他人が作った本だとボロボロ見つけられるのも不思議です。

最近は新聞でもわりと間違いがあるでしょ。
デジタル製作になったから同音の漢字違いとか、
校正者の技術が劣ったせいか知らないけど人名の間違いとか。
そういうヨソの間違いはわりと発見できて、
発見できるとなぜかすごくうれしくなったりします。
邪悪な心の中では「○○新聞だって間違えるんだから」と思ったりして。

ちょっと前になりますが、
日経新聞で瀬戸内寂聴さんが連載している『奇縁まんだら』に
校正ミスなのか、あとで訂正文が出たことがありました。

『奇縁まんだら』はすごくおもしろい。
小説家編のときは特におもしろくて、
毎回、楽しみにしていたんですが、
どう読んでも意味が通じない文があって、
でも小説みたいなもんだから、意味が通じなくても
(というか、意味が反対になってしまうような感じだった)、
まあそういうもんなのか、
寂聴さんの文にまさか間違いがあるわけがないと思っていたら、
その部分は間違いだったと後日訂正が入りました。
そのときもなぜかものすごくうれしかった。