週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

『平凡』と『月刊OUT』

『月刊OUT』の同窓会が開催されるという。
私もかつてこの雑誌の編集者をやっていたので、
ゲスト出演させていただくことになっている。

『月刊OUT』という雑誌ですが、
ウイキでも調べられるようだし、
拙著『「週刊SPA!」黄金伝説』でも
言及しているので、
興味のある方はそのへんで
チェックしてみて下さい。

で、『月刊OUT』の同窓会ですが、
30年前に同誌に載ったある記事、
それが発端になって
開催されることになったのです。

その記事を書いたのが
堀井雄二さんというのもすごいですけど、
30年の時を経て当時の同誌の愛読者たちが
自主的にイベントを開催するというのは
本当にすごいことだと思うんですよ。

それで「日本の雑誌文化史上稀」と
FBに書いたところ、
日本近代文学研究者の藤木直実さんが、
コメントを寄せてくれました。
藤木さんは森鴎外からあさのあつこまで、
足かけ3世紀におよぶ
文学作品群を論じている方です。
以下、藤木さんのコメント。

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「日本の雑誌文化史上稀」とまで言えるかは…。
「(近代)日本の雑誌文化史」って、
130年くらいにはなりますよね。
『少女世界』『少女界』『少女の友』『平凡』
あたりの読者サークルは
人数も活動規模も大きかったので、
そのうちのコアメンバーが
「同窓会」やってる可能性はあると思います。
最近出た『少女の友』の「1号だけの復刊」は、
読者の熱い要望に版元の側が折れた形でしたし…。
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このコメントに対する私のコメント。

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藤木さんが挙げてくれた雑誌と『月刊OUT』の共通項は
作り手と読者の双方向性でしょうか(他にもありそう)。
しかし、前者の読者は女性、
後者の読者は男女が混在(半々ぐらい?)
していることです。
私が「日本の雑誌文化史上稀」と推測したのは、
そこです。
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藤木さんのコメント。

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『平凡』読者の男女比はほぼ半々です。
読者会員名簿をデータ分析した結果です。
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私のコメント。

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『平凡』読者の男女比はほぼ半々という指摘、
阪本博志著『「平凡」の時代
1950年代の大衆娯楽雑誌と若者たち』(昭和堂)で
確認しました。

「平凡友の会」の男女構成は確かに半々ですね。
『平凡』は女性誌というのは私の思い込みでしたね。
男女両方が読者だったという点は
『平凡』と『月刊OUT』は共通項ですね。
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というようなやりとりがあり、
ちょっとおもしろなと思い、
『平凡』と『月刊OUT』について
ちょっと考えてみました。

『平凡』のピークを1955年、
『月刊OUT』のピークを1980年と仮にすると、
読者の年齢差はワンジェネレーション、
親子の年齢差なんですね。

前者はリアルスター(映画)、
後者は二次元スター(アニメ)という対比もおもしろい。
あるいは『平凡』の全盛期は
高度経済成長期へ向かう過渡期、
『月刊OUT』の全盛期はバブルに突入する過渡期だった
とかの比較もできるのかも。

『平凡』は地方在住の勤労青少年を
読者ターゲットにしていたようですが、
『月刊OUT』は都市在住の学生
(高校生が中心か)がメイン読者でした。
ここは違いますね。

『月刊OUT』の部数のピークは10万部ですから、
国民の誰もが知っている国民的大衆雑誌の
『平凡』とはスケールが違います。
会社の規模も違います。
『月刊OUT』の版元のみのり書房は
全従業員が15人ぐらいの零細企業ですから。
「平凡友の会」は販促のための
版元の仕掛けがあるけれど、
『月刊OUT』の読者の繋がりは
読者たちが勝手に自主的に作ったもので、
このへんも違いますね。

『平凡』はスターの情報誌ですが、
『月刊OUT』は連載人からスターが誕生する
というあたりは決定的な違いですね。
堀井雄二、さくまあきら、ゆうきまさみ、
米澤嘉博……など。
読者だった方の中からも
クリエーターが多く輩出しているようです。

『月刊OUT』はアニメ雑誌でしたが、
投稿誌とも言えるのでそのへんも違いますね。
全140頁中30頁は読者投稿の頁ですね。

その投稿頁は今のネット社会に繋がる
前段階だったのではないかと思います。
投稿常連同士が実際にアウシタン集会で会うのは、
つまりオフ会の感覚だったのでしょう。

今回の30年ぶりぐらいの同窓会が
盛り上がっているのは、
当時『月刊OUT』を愛読し『月刊OUT』に投稿していた
高校生ぐらいだった人たちの間に
なにか連帯意識があるのでしょう。
それは今に繋がる前段階的ななにかを
いち早く察知していた仲間という
連帯感なのかな、と私は思います。