週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

伊藤野枝メモ001「ある男の堕落」

「ある男の堕落」が掲載されているのは『女性改造』1923年11月号である。『女性改造』10月号目次を見ると1冊丸々、関東大震災号になっている。震災直後に編集されたのだろう。11月号目次には以下、虐殺された大杉と野枝関連記事が掲載されている。

野枝さんのこと / 野上彌生子
七年前の戀の往復 / 大杉榮 ; 伊藤野枝
憶ひ出づるまゝ / 橘あやめ
文藝欄 遺産 或る男の墮落 / 伊藤野枝

「或る男の墮落」が野枝の「遺産」、つまり遺稿になっているが、実は野枝がこの原稿を脱稿したのは、この年の1月なのである。つまり、2月発売の3月号あたりに掲載するはずの原稿だったと予測できる。なぜ掲載されなかったのか? ボツになったからであろうか? 編集部の意向に沿った内容でなかったからであろう。編集部の意向とズレた内容だった可能性もあるし、編集部の修正要求を野枝が受け入れなかったとも考えられる。

原稿に書かれている時期は1919年(大正9年)から1920年(大正10年)ごろである。田端の家が全焼し滝野川に移転、さらに駒込曙町に移転し、さらに神奈川県の鎌倉に移転したころである。その間、大杉が入獄(巡査殴打事件で懲役3か月)、雑誌『労働運動』(第一次/第二次)を編集発行していた時期でもある。

野枝が「ある男の堕落」で主眼を置いて書いているのは、当時、大杉&野枝の家に同居していて同志たちのひとり、Yという男である。彼がいかにして「堕落」していったかを書いているのだが、正直、そんなことより、Yの「堕落」を具体的に描写していく過程で見えてくる、大杉&野枝家の暮らしぶりに私は興味を持った。

どんなものを食べていたのか、お金はどうなっていたのか、などなどである。特に「へぇ〜」と思ったのは、滝野川に住んでいたころ、犬を飼っていたんですね。「茶ア公」という名の大型犬です。おそらく毛の色が茶色だったんでしょう。犬は大杉も野枝も好きだったのかもしれません。確か野枝が書いた「雑音」というエッセイ(青鞜時代のことを書いた)に、犬を撫でるシーンがあったような。名前はジョンだったかな。辻潤の家で飼ってた犬だったかもしれない。

そして「ある男の堕落」によれば、滝野川に住んでいたころ、大杉&野枝は犬の他に白い山羊まで飼っていたことが記されている。しかし、なんで山羊なんでしょうか? まさか乳を搾って飲んでいたとか? そうだとしたら、まるでハイジの世界ですよね。

それと、大杉と野枝は特別要監視人なんで、常に巡査に尾行されているわけですが、その様子も描写されています。