週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

伊藤野枝メモ002「甘粕事件の号外」

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甘粕事件を報じる号外です。『号外百年史』(小野秀雄編/読売新聞社/昭和44年4月20日第1刷発行)から引用。

たむたむ」によれば、甘粕事件の報道に関しては、以下のような経緯があったようです。

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大杉が行方不明になると、友人安成二郎(やすなりじろう=1886~1974。大正から昭和時代の歌人・ジャーナリスト。安成貞雄の弟で、「実業之世界」編集長,「読売新聞」「大阪毎日新聞」記者をつとめたのち平凡社に勤務した)らは事件と直感して捜索を始めるが、そうした最中の9月20日の『時事新報(じじしんぽう=1882〔明治15〕年福沢諭吉が創刊した日刊新聞で、1936(昭和11)年「東京日日新聞」に併合、廃刊)』や『読売新聞』が号外で大杉殺害を報じ、少年が殺されたこともあって、大問題となる(大杉、伊藤を虐殺したのが甘粕、宗一少年を殺害したのが鴨志田安五郎、本多重雄の両上等兵であり、また犯行全体に森慶次郎が干与していた)。

軍と警察の対立ともあいまって憲兵隊は大杉虐殺を隠しきれず、9月20日付けで甘粕を軍法会議に送致するとともに、福田雅太郎(まさたろう)戒厳司令官を更迭、小泉六一憲兵司令官、小山介蔵東京憲兵隊長を停職処分としたうえで、同月24日に事件の概要を発表するところとなるが、他方、甘粕減刑運動も起こった。
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図書館でこの『号外百年史』を借りたのは、辻潤「ふもれすく」に以下の記述があるからだ。

〈夕方道頓堀を歩いている時に、僕は初めてアノ号外を見た。地震とは全然異なった強いショックが僕の脳裡をかすめて走った。それから僕は何気ない顔つきをして俗謡のある一節を口ずさみながら朦朧とした意識に包まれて夕闇の中を歩き続けていた。〉

辻が手にした〈アノ号外〉、そのイメージをつかみたかったのだ。