週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

vol.31 SPA!創刊とメディアミックス

ツイッターを始めたんだけど、拙著『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1955』を読み、88年〜95年発行のSPA!に興味を持ち、実際に読んでいる方がいるみたいです。
http://twitter.com/nabe_yas1985

85年生まれの大学院生。
55年生まれの僕とはちょうど親子ほどの年齢が違うのだけれど、彼の疑問とか読んでると、そのジェネレーションの違いが「おもしろい」。

しかし、まあ、僕がSPA!を作っていたころの時代背景とかは、彼は実感できないわけで、そのへんをちょっと書いてみたいと思います。『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1955』には書けなかったことを補足してみたいという僕自身の欲求もあるんですが。

で、まず、SPA!創刊のバックグラウンドですが、キーワードは「メディアミックス」です。今は「クロスメディア」とかいうんでしょうか。

SPA!は産經新聞のカラー化の一環として創刊されたのだが、そもそも産經新聞のカラー化はフジサンケイグループのメディアミックス戦略の一環だった。フジテレビの料理番組のレシピを産經新聞に載せる際、写真はカラーの方が断然見栄えがする。その他、諸々についても、カラー頁があるというのは、メディアミックス戦略には不可欠の要素だったのでは。特に広告収入ですね。カラーの方が広告料金は高いですから。

SPA!の前身は『週刊サンケイ』ですが、ザラ紙で1色ページがメインの『週刊サンケイ』を廃刊にして、4色グラビア頁メインのSPA!を創刊したのも、そうしたフジサンケイグループのメディアミックス戦略の流れだった。その戦略を押し進めたのは誰かというと、当時グループの議長だった鹿内春雄。だから、SPA!を創刊した功労者というか黒幕は鹿内春雄ではないかと思います。

ところで、「メディアミックス」という言葉はいつごろから、流布し始めたのか。僕の記憶では70年代の後半、角川春樹が打ち出した戦略だったような……。
〈つづく〉