週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

vol.32 SPA!創刊とメディアミックスーその2

「メディアミックス」は、1975年に角川書店社長に就任した角川春樹が打ち出した戦略である。いわゆる角川映画ですね。鹿内春雄が目指したのは、フジサンケイグループ内でのメディアミックスだった。

SPA!創刊時の編集長はフジテレビのプロデューサー・宇留田俊夫だったが、出版経験が皆無のテレビマンを編集長に抜擢したこの人事こそが、大胆なメディアミックスだったのだと今になって思う。

宇留田はフジテレビ関連の人脈を生かし、ビートたけしやタモリなどビッグネームを誌面に登場させたが、宇留田編集長時代のSPA!の売れ行きは芳しくなかった。ビッグネームを起用すれば売れる──雑誌はそんなに単純なものではないのだ。ただし、初代編集長の宇留田の起用がもたらしたプラス要素もあった。それは『週刊サンケイ』からSPA!へという、ドラスティックなリニューアルにおいて「場の空気を換える」という効果だった。

そもそも、僕は「メディアミックス」というものを信用していない。紙媒体で成功したものが、そのおまけで映像化されことはありうることだが、その逆は無理があると考えている。

なので、SPA!の編集者時代、僕は「テレビ的なもの」をできるだけ排除する方向性だった。それはSPA!の2代目編集長、渡辺直樹さんも同じスタンスだったはず。僕はSPA!の3代目の編集長だったが、渡辺さんと僕が編集長時代、SPA!の黄金期には「テレビ的なもの」を排除する方向性があり、それがSPA!の成功の大きな要因のひとつだったのだ。

フジテレビの傘下にありながら、「テレビ的なもの」を排除する。このスタンスがSPA!の成功に結びついたのである。そのベースには「メディアミックス」などというビジネス用語をうさん臭いものと見ていた、出版人としての矜持や反抗心があった。