週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

vol.37 赤田祐一著『「ポパイ」の時代』ーその2

赤田祐一著『「ポパイ」の時代』(太田出版)。
初期『ポパイ』に関わった15人のインタビュー(対談も含む)が掲載されているんですが、それぞれ話がおもしろいです。例を挙げてたらきりがないので、その一部を紹介します。

★寺﨑央(てらさき・ひさし/編集&ライター)の証言
〈どだい、無理なのよ。われわれになんかいろいろ考えろとか言われてもね。(略)それはもう、木滑さんにしても石川次郎さんにしてもそうだと思うよ。他人が軽薄とかなんとか言っても「い〜のい〜の。お気楽に行きましょう」と。あんまり考えない。考えさせることもしない。終世お気楽。『ポパイ』はそんな雑誌だった〉

これはある意味、非常にストイックなことかもしれない(ツルシのコメント/以下同)。

★新谷雅弘(アート・ディレクター)の証言 
〈あと、『ポパイ』で重要なのはキャプションの問題でね。人は雑誌を、実は最初にキョプションから読むだろうと。(略)だから、キャプションがおもしろくなければ、雑誌はぜったいに売れないっていう説なわけですよ〉

〈イラストレーションという方法は、写真とは違うんですよ。イラストレーションはね、全部にピントがきてる。だから、パースを無視してわかりやすく並列的に並べるとか、イラストレーションの方法は無限にあるわけよ。そういう方法のおもしろさっていうものを、イラストレーターの側も、ぜんぜんプレゼンテーションできてない。それに編集者の側も、全部写真でやれると思ってる。とんでもない間違いだよ〉

新谷さんのキャプションとイラストについての発言は、雑誌編集のきわめて重要な基礎知識として、若い編集者は肝に銘じるべし。

〈まあ、言ってみれば、雑誌は感覚的に捉えるしかないという浅さが好きなんだね。何もかもがザワザワしている誌面から、ピカッと一條の光が飛び出してきて、瞬時に消えてしまうような。雑誌の美しさは、それかもしれないね〉

もう二度とこんな雑誌が出現しないとすれば、悲しいなぁ〜。

★内坂庸夫(うちさか・つねお/編集&ライター)の証言
〈だから服を通してアメリカの若い連中のことを話してたのがVANだとすれば、服だけじゃなくて遊びとかモノとかを通して話をしたいっていうのが『ポパイ』だったと思う。ぼくにとって『ポパイ』っていうのは、そういうことだった〉

内坂さんはVANからスカウトされて『ポパイ』に関わった人。

★北山耕平(編集&ライター)の証言
〈ぼくは『ポパイ』で文体をつくるっていうことを、うまくやったと思うんだよ。ある種のモノや本を紹介したりするための、シティボーイから見た文体をつくることにはかなり貢献したと思ってるけど、結局、その文体がひとり歩きしはじめることによって、自分が望んでいない方向に使われはじめるよね。結局『ポパイ』っていうものは、日本の物欲バブルの引き金を引いたみたいな雑誌であって……〉

〈でも、結局、21世紀の『リラックス』見たってモノの紹介しかしてないわけで。マガジンハウスの限界っていうのは、やっぱりお金を出して買えるもの以外、あまり感心をいだかないんだっていうのがある。その路線だけで行けばいつかは行き詰まるだろってところで、行き詰まってしまったんだろうね〉

北山さんの『ポパイ』批判が、『「ポパイ」の時代』という本の懐の深さを示している。そして、雑誌は文体が重要ってことも教えてくれている。

★征木高司(まさき・こうし/編集&ライター)の証言
〈ジローさんが『ポパイ』を発想したのは、ベトナム戦争が終わってアメリカの空気が変わったからって言うのは、確かに事実だと思う。それと同時に、(略)円が変動相場になり、76年頃から1ドルが200円を切るくらいになっていくわけ。つまり海外旅行に今までの半分の額で行けるようになったことも大きいだろうし。アメリカの建国200年祭も75年だったし、「ラスト・ワルツ」もこの年〉

ちなみに、『平凡パンチ』の創刊は東京オリンピックの年、『アンアン』の創刊は大阪万博の年。平凡出版は新雑誌創刊のタイミングが絶妙だった。成功する雑誌は創刊のタイミングがとても大事だってことだね。

〈『ポパイ』以前は、若者の雑誌っていうのはなかったんだよ。(略)あれ(『平凡パンチ』)は青年誌なんだよ。じゃ青年誌と若者雑誌のどこが違うかというと、強烈な上昇志向があったり、性欲に対しての機能をもった雑誌が青年誌であって。『ポパイ』っていうのは、思うに、極めて微妙に「セックス」が抜かれてるわけだよ。(略)で、もっとどこが画期的だったかというと、背広のおじさんがいないんだよ。それから政治もないんだ。(略)で、もうひとつあるのは、(それまでの雑誌は)音楽雑誌であるとか映画雑誌であるとかファッション誌であるとか、趣味雑誌なわけ。だから、かつては趣味雑誌と性欲雑誌しかなかったわけだよ〉

『ポパイ』と『平凡パンチ』の違い、これは僕もよく理解していなかった。採算の取れる男性誌は趣味雑誌と性欲雑誌というのは、今、またその状況なんだろうね。採算の取れる女性誌はファッション誌と実用誌か。性欲雑誌とはつまり男性誌の実用誌なわけで、趣味雑誌とはつまりオタク雑誌。

〈それから『ポパイ』、やっぱりいちばん特徴あるのはさ、編集部に女の人がいなかったというのが、ものすごく過ごしやすかったんだと思うのよ。まあ、『ポパイ』は疑似ホモ雑誌みたいなところがあるわけよね〉

『ポパイ』については、よく言われていることだね。『週刊少年ジャンプ』の編集部にも女性編集者はいないんだよね。この問題は、シリアスだと僕は思う。

★石川次郎(編集者)の証言
〈作家になる気なんかまったくない、雑誌をつくっているのが一番好きな、本当の意味で“100パーセント身体じゅう雑誌”っていうね。そいう人間が揃っちゃったのは、やっぱり『ポパイ』以降かもしれないですね〉

それまでは作家志望の人がとりあえず食うために出版社に就職していたってことなんだけど、なるほどねぇ〜。

★木滑良久(編集長)の証言
〈秩序なんかあったら駄目なんだよ、編集部って。やっぱり同人っていうのが集まって、核になるのが5人ぐらいで、あとは外のおもしろい人たちが集まってくれればできちゃう。そうじゃない? それを最初からデスクだトップだって言うなっていうだよね〉

若松孝二監督も、同じようなこと言ってますね。モノ作りをすることにおいて、大人数になってよいことなんてないって。

〈フリーランサーっていう人は、フリーなんだから、仕事に合わせて組み合わせ変えて「このテーマだったら、こういう人があそこにいる」っていうのを知ってるのが編集者の仕事なんだ。そうでしょう? 鋭いやつをちゃんといっぱい持ってるやつが偉いんだよね、ほんとは。それをぜんぜん知らないで、自分でなんか考えられると思ってる幻想が鎖国状態にしちゃうんだよね〉

これを勘違いして、フリーに仕事を振ることが編集者の仕事だと思っていたマガジンハウスの編集者が多かったという印象が、僕にはあります。

〈だからそういう管理職やってる人たちを騙すのが、一種の、編集者の仕事だったから。まず編集上の偉いやつをノセて、その次に資材とか金出すやつをごまかすっていうのは編集者の仕事〉

嵐山光三郎さんも、同じようなことを書いてます。というか、嵐山さんは木滑さんから影響を受けていたのか……。

〈アメリカの雑誌ってそうなんだって。要するに、雑誌って、販売利益で稼いでるんじゃなくて、広告で稼いでるんだっていうのがしっかりわかったわけ。で、そういう風にやんなくちゃ駄目なんだって気がつくわけ。(略)清水さんなんていうのは、『アンアン』はじめるまで、雑誌に広告を入れるのは売春だと思ってたんだね。(略)だから、広告が決まってるのに、これちょっとどかしてなんて言うんですよ。「文章がおもしろいから広告は流す」って。(略)『平凡パンチ』でそういうやりとりをしてたんです。(略)そういう人が『ELLE』とか外国の本に触れて、ああそうかと思って、そのためには広告にはいい紙をつかわなくちゃ駄目だ、それから紙面を大きくしなきゃ駄目だ、それが『アンアン』ですよ〉

天才編集者の清水達夫さんが、広告を邪魔者扱いしていたとは知らなかった。

この本は、編集者・赤田祐一の偉業だね。
でも、赤田さんは自分で『ポパイ』を編集してみたかったという気持ちは、なかったのかな? もし、赤田さんが『ポパイ』編集者になってたら、どうだったんだろう(救世主たりえたか)? 赤田さんは、あくまで『ポパイ』の読者でいたかったのか? いつか、赤田さんに直接聞いてみたいなぁ〜。