週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます
vol.36 赤田祐一著『「ポパイ」の時代』
本書には初期『ポパイ』に関わった15人のインタビュー(対談も含む)が掲載されている。「初期『ポパイ』」とは、70年代の後半から80年代初頭までの『ポパイ』のこと。
で、まず最初にう〜んと唸ったのは、編集長・木滑良久の下で現場を仕切っていた面々の世代のことだった。
石川次郎(社員編集者) 1941年(昭和16)生まれ
椎根和 (フリー後に社員編集者) 1942年(昭和17)生まれ
岩瀬充徳 (社員編集者) 1943年(昭和18)生まれ
寺﨑央(フリー) 1943年(昭和18)生まれ
新谷雅弘(アート・ディレクター)1943年(昭和18)生まれ
みんな、戦前、昭和10年代後半生まれなんですね。ちなみに木滑良久は1930年(昭和5)生まれです。創刊当初の『ポパイ』のメイン読者は、昭和30年前後生まれの当時の大学生だったが、雑誌作りの現場を仕切っていた世代はメイン読者よりだいたいひと回り上の世代だったということなんですね。そして、みんな『平凡パンチ』の経験者です。
昭和10年代の後半生まれの面々の下、エース級のライターという形で関わっていたのが、ザックリ言って団塊の世代です。松山猛・1946年(昭和21)、内坂庸夫・1950年(昭和25)、北山耕平・1949年(昭和24)、征木高司・1949年(昭和24)。
で、団塊の世代の弟分的な位置にいたのが、松尾多一郎・1956年(昭和31)、松木直也1955年(昭和30)、都築響一・1956年(昭和31)らの世代。彼らは『ポパイ』のメイン読者と同世代ってことになります。都築響一は本書のインタビューには登場してませんけど。
僕がなぜ、本書を読んで世代が気になったかというと、たとえば大学生をメイン読者に据えた雑誌だとしても、それを作っている中枢のスタッフはそのメイン読者よりひと回り上ぐらいの年長者がなんだということに改めて気づかされたから。つまり、雑誌の作り手と読者には世代ギャップが「必要」ということか。
それとですね、『ポパイ』ですら、作り手のメインがまだ団塊の世代ではないということ。これは、ちょっとビックリした。じゃあ、団塊の世代がメインの作り手になった画期的な雑誌ってなに? と考えを巡らすんだけど、僕は岡留安則(1947年生まれ)の『噂の真相』ぐらいしか思い浮かばない。しかも、『噂の真相』はカギカッコ付きの「画期的な雑誌」だし。
この事実って、すごくないですか。『ポパイ』以降、それに匹敵するような雑誌が生まれてないと言われているが、それも当然なのかも。だって、団塊の世代ですら、もう画期的な雑誌を作れていないんだから。例外はオタク関連だけなんでしょうね。鳥嶋和彦(1952年生まれ)の『ジャンプ』は、そいう意味では、日本の雑誌文化の歴史上、歴史的な継続性ではなく歴史の断絶と考えるのが妥当なのだろう。
〈この項 つづく〉