「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」129回 編輯室より

文●ツルシカズヒコ

 さらに、御宿に滞在しているらいてうに手紙を書いたこと、らいてうが上京してふたりで話し合ったこと、自分が『青鞜』を引き継ぐことになった経緯を書いた。

 助手の資格しかない田舎者の私がどんなことをやり出すか見てゐて頂きたい。

 兎に角私はこれから全部私一個の仕事として引きつぎます。

 私一人きりの力にたよります。

 そうして今迄の社員組織を止めてすべての婦人達のためにもつと開放しやうと思ひます。

 十一、十二と二ケ月間やつた私の経験では経営は左程困難ではありません。

 けれどももし私の力が微弱な為めにもつと困難になつて来たら私は或は雑誌の形式をもつと縮小するかもしれません。

 或は又もつとひどくて雑誌の形式がとれなくなるかも知れません。

 併し私の力がつゞくかぎりはたとへ二頁でも三頁でも青鞜は存在させるつもりです。

(「『青鞜』を引き継ぐに就いて」/『青鞜』1915年1月号・第5巻第1号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p154)

 子育てと仕事の両立についても言及している。

 私は一方にさう云ふ仕事のことで考へながらも子供を育てゝゆかなければなりません。

 ……私は出来ることなら一日子供につゐてその一挙一動も注意して育児と云ふこと丈けを仕事にして見たいと云ふやうな欲望もかなり強いのです。

 これ迄一ケ年以上私は少しも他手(ひとで)に委ねずに乳も自分の以外にはやらずに育てゝ来ました。

 私は子供をおいて外出するやうな事も全く稀なのでした。

 此度は一々連れ出すことは出来ませんから……それがたまらなく苦痛なのです。

 時々留守の間に私を思ひ出しては子供が其処にかかつてゐる私の不断着の傍にはい寄つてそれをながめては泣き出すなど云ふ話を帰つて来て聞きますと涙がにじみ出ます。

 けれども矢張り私は仕事をしなければなりません。

 私は子供に留守をさせることに慣してしまはふとして忍んでゐます。

 幸ひに子供は安心してなつくことの出来る小父(おじ)さんと小母(おば)さんを見出しました。

 私は漸く気安く外出することが出来るやうになりました。

(「『青鞜』を引き継ぐに就いて」/『青鞜』1915年1月号・第5巻第1号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p154~155)

 一(まこと)がなついている「小父さんと小母さん」とは、渡辺政太郎夫妻のことである。

 野枝が『青鞜』を引き継いだことについての世間の評判については、こう書いている。

 或る日私の処へ読売新聞の記者が面会を求めました。

 会ひましたらば此度あなたと平塚氏が何かあつてお別れなすつたさうですがどんな事があつたのですとのことでした。

 そしていろいろなうわさばなしをもちだしてあれもこれもと私に真偽をたしかめるのでした。

 それは平塚氏が懐妊されたと云ふこと、奥村氏と平塚氏は別れると云ふこと、私と平塚氏と衝突したと云ふことなど重なことでした。

 私は一々否定しましたけれど、可なりしつこく聞きましたので私は笑つてやつたのでした。

 いろいろな取沙汰が新聞で紹介され続けてゐても私と平塚氏はいそがしさにはがき一枚もろくに取りかはさなくても私達の友情には何のかはりもなくおなじ気持ちでゐられる程私達の間は平なのです。

 聞けば時事新報の記者柴田氏はわざ/\御宿まで出かけて真相をたゞさうとなすつたさうです。

 本当にたゞ妙な世の中だと云ふより他仕方がありません。

(「『青鞜』を引き継ぐに就いて」/『青鞜』1915年1月号・第5巻第1号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p155~156)

 そして、野枝は青鞜社の規則を排除した。

  ……私はこの雑誌の経営を自分の仕事として引き受けはしましたが私は今迄どほりの規則ではやり度ありません。

 先づ私は今迄の青鞜社のすべての規則を取り去ります。

 青鞜は今後無規則、無方針、無主張無主義です。

 主義のほしい方規則がなくてはならない方は、各自でおつくりなさるがいゝ。

 私はたヾ何の主義も方針も規則もない雑誌をすべての婦人達に提供いたします。

 但し男子の方はお断はりいたします。

 立身出世の踏台にしたいかたはなさいまし、感想を出したい方はお出し下さい。

 何でも御用ひになる方の意のまゝに出来るやうに雑誌そのものには一切意味を持たせません。

 たヾ原稿撰択はすべて私に一任さして頂きます。

(「『青鞜』を引き継ぐに就いて」/『青鞜』1915年1月号・第5巻第1号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p156)

 「編輯室より」には、野枝はこう書いている。

 ●編輯室も随分賑やかでしたけれ共とう/\私一人にされてしまひました。ひとりでコツコツ校正をやるつまらなさはあの文祥堂の二階の時分を思ひ出させます。

 ●私が青鞜を引き受けたについて大分あぶながつてゐて下さる方があるとのことですが併し私はどうかして引き受けた以上はやつて行くつもりです。私は何時でも私の年が若いと云ふことの為めに私の力を蔑視されるのが一番口惜しい気がします。私にこの雑誌を続けて行ける力があるものかないものか見てゐて欲しいと思ひます。私は私の呼吸のつヾく限り青鞜を手放さうとは思ひません。

(「編輯室より」/『青鞜』1915年1月号・第5巻第1号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p158)

 野枝は『廿世紀』一月号に「矛盾恋愛論」(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)を書いた。

 恋愛を罪悪視する旧世代に対する反論である。

 渡辺政太郎が関わっていた『微光』(一月二十日)には、「二人の子供の対話」(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)を書いた。

 三月に第十二回衆議院議員選挙が行なわれることになっていたが、金で票を買う「金権選挙」批判である。

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」 目次