週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

シンポジウム─浅間山荘から四十年 当事者が語る連合赤軍 その1

5月13日、目黒区民センターで開催された【シンポジウム─浅間山荘から四十年 当事者が語る連合赤軍】を観てきました。

●司会
金廣志(元赤軍派)、椎野礼仁(元社学同活動家)

●当事者
植垣康博(元赤軍派・連合赤軍)、青砥幹夫(元赤軍派・連合赤軍)、雪野建作(元革命左派)、前澤虎義(元革命左派・連合赤軍)。植垣、青砥、前澤の3氏は山での総括体験者。

●1部は「映像でふりかえる」

●2部ゲストパネラー
塩見孝也(元赤軍派議長)、三上治(元叛旗派指導者)、鈴木邦男(一水会顧問)

●3部ゲストパネラー
森達也(作家、映像作家)、田原牧(東京新聞)、大津卓慈(弁護士)

●4部ゲストパネラー
雨宮処凛(作家)、山本直樹(漫画家)、ウダタカキ(俳優)、小林哲夫(教育ジャーナリスト)、赤岩友香(週刊金曜日編集部)

という内容のシンポジウムでした。

連合赤軍に関してはクレヤン12号でも言及しているし、クレヤン放送局でも僕とワタナベ・コウがトークをしています。そんなわけで、このシンポジュウムを観に行ったわけです。

以下、僕の感じたことを書きます。5時間に及ぶトークの中で僕個人が「ここは要チェック」と感じた部分のアトランダムなピックアップです。実際のトークの前後の流れなども無視しているし、メモは取りましたが発言者の発言も記憶に頼った部分があります。そのへんはごご勘弁下さい。

まず、なぜ仲間殺しにいたったのか? これは誰もが聞きたいことのはず。植垣康博はこう答えています。
「共産主義化を突破する論理を持てなかったから」

Aはまだ真の革命家になりきれていないから制裁を加え真の革命家になれるようにする。A以外の同志もAに制裁を加えることにより真の革命家に成長することができる。真の革命家になれる見込みがない者は殺してもよい。連合赤軍のトップの森恒男と永田洋子が掲げた共産主義化とはつまりこういうことなのだろう。

前澤虎義の「それ以上の案を出せなかった」は植垣の発言と同じで、共産主義化より圧倒的に優れた代案を出せなかったから、トップの命令に従うしかなかったということであろう。

しかし、こんなことは日本の会社では特に珍しことではないだろう。やり手の上司がどう考えてもおかしな命令を下す。しかし、その上司を納得させる代案が出せない。ゆえに上司命令に従うしかなかった。その結果、会社ぐるみの犯罪を犯してしまったみたいなことはよくある話だ。たとえ過去の実績はすばらしくても、そんな上司の存在を認めていること自体、その会社はすでに腐っているのである。

それと議論をしている最中に「だったら代案を出せ」ということになることがよくあるが、これは要注意なのだ。なぜなら「代案を出せ」と言った当人の思考の枠をベースにした代案でなければ、その当人は納得しないからだ。こういう場合「おまえは完全に間違っている、狂っている」というのが最も正しい代案であろう。

植垣と前沢の発言は、森と永田に「もう、こんなことやめようよと言えなかったの?」という田原牧の質問に対する回答だったのだが、植垣と前沢は兵士で森と永田は幹部。この上下関係は絶対なので、たとえ代案があってもそれを口にすることは不可能だったと考えられる。こういう状況の中で幹部のひとりだった山田孝(山田も総括で殺されている)は、森と永田に対してこんな発言をしたという。
「死にはたいした意味はない。だからこんなことをしても無意味」

この話をしたのは金廣志だったか、記憶が定かではない。山田の発言もだいたいこんな意味のことという記憶で書いている。細部の僕の間違いは勘弁してほしいのだが、僕がここで言いたいのはこういうことだ。

山田の発言は、森と永田の思考枠内での最も効果のある代案だったということ。殺人を肯定している森と永田に殺人をやめさせるには、殺人は無意味だという論法でしか反論できなかったのだ。「山田さんは決して死が無意味だと考えていたわけではないはず」という金の発言もあったが、頭脳明晰だったという山田が考えに考えた末のレトリックだったのだ。

椎野礼仁はオウム真理教とも関連づけて「教義が理解できないのは自分が遅れているからだという心理に陥りがちになる」という主旨の発言をしていた。

宗教であれ共産主義思想であれ、トップが言う教義が理解できないのは自分がまだ未熟だからという思考になり、結果、トップの言いなりになるということだろう。こういうのも世の中にはよくあることだと思う。

それは組織にかぎらないことかもしれない。小林よしのりさんの言ってることは矛盾だらけだけど、それは自分の理解力が足りないから。小林さんの域に達するまで、小林さんを信じて努力しようとかね。作者と読者の関係性でもありうるのではないか。

※以下、続きます。後日掲載
なお、シンポジュウム出席者の方は敬称略にさせていただきました。