週刊ポチコラム:ポチことツルシカズヒコが雑誌批評などを書きます

vol.10 雑誌編集者・伊藤野枝

森まゆみ編『ふけよ あれよ 風よ あらしよ 伊藤野枝選集』(學藝書林)や『瀬戸内晴美全集12』(新潮社)を読んでいると、
大杉栄や伊藤野枝が生きた20世紀初頭が、
いかに雑誌の時代だったかがよくわかる。

中でも『青鞜』(1911年創刊)という雑誌の、
登場とその影響力は革命的だった。
たとえば、『青鞜』なくして、
アナーキスト伊藤野枝は存在しなかったわけです。

森まゆみ編『伊藤野枝選集』の中で、
僕がもっとも興味があるのは、
『青鞜』の「編輯室より」というコーナーに吐露されている、
伊藤野枝の生の声。

そこには彼女の意気込み、戸惑い、雑務の辛さ、
時には言い訳が書いてあり、
雑誌編集の現場の声が百年の時を超えて伝わってくる。

そうか、伊藤野枝は雑誌編集者だったのかという発見でもあった。
『青鞜』は1916年に廃刊になるが、
伊藤野枝はその時の編集長である。

「編輯室より」には、
荒畑寒村と大杉栄が作っていた『平民新聞』への、
伊藤野枝の応援メッセージも載っている。

〈大杉荒畑両氏の平民新聞が出るか出ないうちに発売禁止になりました。あの十頁の紙にどれだけの尊いものが費やされてあるかを思いますと、涙せずにはいられません。〉

大杉栄が伊藤野枝に強烈に惹かれていったのは、
彼女のこのメッセージが起爆剤になったとも言われている。

大杉栄と伊藤野枝は2年後(1918年)、
ふたりで『文明批評』という雑誌を創刊する。

雑誌とは本来、そういう強靭な何かなんでしょうね。
止むに止まれず作るとか、命懸けで作るとか。

昨日の新聞に出版業界の市場が、
21年ぶりに2兆円割れした云々という記事が載ってましたが、
「市場」という視点で雑誌を捉えることが、
そもそも大間違いなんじゃないかと思います。