伊藤野枝年譜

伊藤野枝年譜 1923年(大正12年)28歳

2014年9月3日 水曜日


【4月】
●伊藤野枝「私共を結びつけるもの」
 ➡『女性改造』4月号

【5月】
●アナキストだった平林たい子(18歳)と
山本虎三、大杉滞仏を知り、
労働運動社を訪れ野枝と面会。
➡『日録・大杉栄伝』p464

【7月】
●7/9
野枝、魔子を連れ博多から神戸入り。
神戸須磨の松月旅館に宿泊。

●7/11
大杉が乗船する日本郵船・箱根丸、神戸入港。
大杉「牢屋の歌」脱稿。
〈一九二三年七月十一日 箱根丸にて〉

その夜は松月旅館に一泊。
野枝洋装写真

●7/12
朝8時、大杉一家、1等車に乗り神戸を出発。
夜7時半、東京到着(神戸・東京間は12時間)。

大杉栄_192307
帰国した大杉栄と伊藤野枝、長女・魔子
(引用:『大杉栄 伊藤野枝選集 第三巻』
黒色戦線社)

●7/13
横浜に住む大杉の弟・勇、大杉宅を訪れる。
勇は妹の橘あやめの子、宗一を預かっていた。

米ポートランド在住のあやめは
結核を患い、帰国。
姉・菊がいる静岡の伴野病院に入院していた。

●7/19ころ
岩佐作太郎、大杉宅を訪れる。
大杉、野枝の膝枕で
白髪を抜いてもらっていた。

●7/21ころ
大杉、野枝、魔子、茅ヶ崎の南湖院に
横関愛造を見舞う。

●7/28
大杉、野枝、銀座・パウリスタの
帰国歓迎会に出席。
千葉亀雄も出席。

野枝、安成二郎に安成宅の近所に
家がないかと訊ねる。
➡安成二郎『無政府地獄 大杉栄襍記』
「かたみの灰皿」

●7/29
夕方、野枝が安成二郎宅を訪問。
安成が野枝を案内して探し当てる。
➡安成二郎『無政府地獄 大杉栄襍記』
「かたみの灰皿」

●7/30
大杉、ヴァガボンド社の
夏期社会思想講習会で講演。
講師陣は大泉黒石(大泉晃の父)、
千葉亀雄、神近市子など。

●この月
大杉、野枝と魔子を連れて
山崎今朝弥を訪問し帰国報告。
前年、山崎が大杉宅を訪問。
魔子と山崎の子・堅吉が大げんかをする。

●この月
大杉、労働運動社から離れていた
和田久太郎と面談。
和田は野枝と折り合いが悪かった。

【8月】
●8/1
大杉と野枝の共訳、
ファブル『科学の不思議』をアルスから出版。
ファブル科学知識叢書の第一編。
野枝、辻一(まこと)に送る。

●8/4
野枝、新居の掃除に来る。
一緒に来た魔子
は9/1の地震まで安成宅で過ごす。
➡安成二郎『無政府地獄 大杉栄襍記』
「かたみの灰皿」

●8/5
労働運動社に居候していた大杉一家が
豊多摩郡淀橋町大字柏木371番地に移転。
現在の北新宿一丁目16~27。
内田魯庵の家と同番地。

所轄の淀橋署は尾行に
老練な刑事3名と穴埋めに巡査3名を追加。

●8/6
大杉、野枝と魔子とルイズを連れ
内田魯庵宅を訪問。
➡内田魯庵『思ひ出す人々』「最後の大杉」

●8/9
野枝、長男ネストル(栄~1924年8/15)出産。
「無政府将軍」ネストル・マノフから。
大杉、博多の代準介に電報を打つ。

早産だった理由を
野枝が後で安成に語る。
➡安成二郎『無政府地獄 大杉栄襍記』
「かたみの灰皿」

遺児については
➡安成二郎『無政府地獄』「大杉君の遺児達」

●8/10
大杉「入獄から追放まで」脱稿。
〈一九二三年八月十日、東京にて〉

大杉「無政府主義将軍
ネストル・マフノ」脱稿。
〈一九二三年八月十日、東京にて〉

●8/10ころ
銀座の洋食屋・清新軒で佐藤春夫らに会う。

●8/11
大杉、ドイツから帰国した
森戸辰男に訪問伺いの書簡を書く。

●8/16
代準介がモト(野枝の叔母)、
エマ、女中の水上雪子
(野枝の親戚の娘/没落した
料理屋の娘・18歳)を伴い上京。
エマは十ヶ月ぶりに両親の元に戻る。
モト、水上雪子が同居。

エマ、九州弁になっていた。
➡安成二郎『無政府地獄』「大杉君の遺児達」

●8/23ころ
野枝、慶応病院に入院中の
安成二郎の妻を見舞う。
➡安成二郎『無政府地獄 大杉栄襍記』
「かたみの灰皿」
➡安成二郎『無政府地獄』「挿話」

●8/27
代準介、東京を発ち、大阪で二泊。
震災前日に博多に戻る。
➡野枝たちが柏木に引っ越してきたころから
虐殺された後については内田魯庵の文章。

●『婦人公論』8月号。
有島一郎・波多野秋子追悼号。

野枝「軽蔑と反感」
波多野秋子に「軽蔑と反感」を
持っていた旨を執筆。

【9月】
●『改造』9月号。
大杉「入獄から追放まで」

大杉「無政府主義将軍 ネストル・マフノ」

1921._Нестор_Махно_в_лагере_для_перемещенных_лиц_в_Румынии
ウクライナのアナキスト、
ネストル・イヴァーノヴィチ・マフノ
(1888年-1934年)

From Wikimedia Commons

●9/1
11時58分、関東大震災。

大杉栄&伊藤野枝の関東大震災

平塚らいてう&神近市子の関東大震災

その時、魔子は
安成二郎宅で昼食を食べていた。

安成二郎、大杉&野枝の最後の写真を撮る。

大杉&野枝最後の写真
引用:安成二郎『無政府地獄』

大杉栄&伊藤野枝の最後の写真

➡安成二郎『無政府地獄 大杉栄襍記』
「かたみの灰皿」

荒木郁子と岩野泡鳴と清子の子、
民雄(小学校三年)は
玉名館の二階の広い座敷にいた。
郁子と民雄、生き別れになる。
➡『「青鞜」の火の娘』

●9/2
戒厳令しかれる。

●9/3
亀戸事件。

野枝が父の亀吉宛にハガキを書く。
➡『吹けよ』p306 野枝、
代準介に米送れの電報を打つ。
代、米五俵を博多から船便で送る。

長江、品川の御殿山に住む
中村古峡の家に仮寓。

●9/4ころ
被災したロシア文学者・袋一平一家
(鴬谷の家が被災)、
銀座で焼け出された友人の
服部浜次夫妻が大杉家に。

●9/7ころ
大杉、馬場孤蝶宅を見舞うが留守。

●9/8
労働運動社の同志が一斉に検束される。

●9/12
大杉、金策のため出版社を回る。

●9/13
夜、安成二郎(たぶん読売新聞社から帰宅途中)
大杉宅に立ち寄る。
二階で野枝が淹れた
珈琲を飲みながら小一時間話す。

●9/15
大杉の弟・勇から
避難先を知らせる便りが届く。
横浜市西戸部町塩田の家を
焼かれた勇一家の避難先は
神奈川県橘樹(たちばな)
郡鶴見町字岸(鶴見三方園近く)。
勇の勤務先、東京電気会社の同僚・
大高芳朗宅。
➡『大正自由人物語』

横浜の大杉の弟・勇から大杉宅へ
無事との来信あり。

大杉、入露中の寒村の留守宅を見舞い
寒村の妻のお玉さんに面会。

夕方、村木が大杉宅を訪問。

野枝、村木と一緒に家を出て
神楽坂の叢文閣を訪れ
足助素一(あすけ・そいち)
から20円借りる。

足助素一➡近藤憲二『一無政府主義者の回想』pp285

●9/16
午前9時すぎ、野枝と大杉が家を出る。
尾行は淀橋署の江崎と
東京憲兵隊の鴨志田の2人。

川崎(砂子町)で辻潤の家を訪ねるが
家が損壊し無人。
この年の夏休みには一(まこと)が大
杉宅に遊びに来ていた。

京浜電車の生麦で降り、
鶴見町岸の大高芳朗宅を訪れたが、
勇一家は近所の貸家に移住していた。

大高の母の案内で
鶴見町東寺尾の勇一家を訪問。
東京電気(現・東芝)川崎工場勤務の
勇は在宅していた。

午後二時半すぎに勇の家を出る。
女の子用の浴衣を着た宗一も同行。

午後5時半頃、大杉の妹・橘あやめの子、
宗一(むねかず)(6歳)を
連れて帰宅の途中、
自宅近くで憲兵隊に拘引される。

その夜、麹町東京憲兵分隊において
野枝、大杉、宗一が陸軍憲兵大尉
(渋谷憲兵分隊長兼麹町憲兵分隊長)
甘粕正彦らに虐殺され、
簀巻きされ古井戸に投げ込まれる。

※荒畑寒村は池田藤四郎から
銃殺されたと聞いている。

●9/18
大杉の弟・勇が栄の家を訪問。
留守宅では勇宅に泊まっていると
推測していたので、
不審に思い淀橋署に捜索願を出す。

報知新聞夕刊に「大杉夫妻と長女三名を検束」
の記事載る。

●9/19
勇、報知新聞を読み大手町の
憲兵隊司令部を訪れるが、
門前払いされる。

後藤内相が警察情報により事件を報告。
山本首相が田中陸相に調査を指示。

事件が発覚し軍法会議と
小泉憲兵司令官らの処分を決定。

●9/20
東京朝日新聞記者から、
大杉らは憲兵隊に殺害された
可能性が高いと勇に連絡。
勇、憲兵隊司令部に行き質すが追い返される。

大阪朝日新聞と時事新報が号外で
「甘粕憲兵大尉が大杉栄を殺害」と報道。
以後、報道を禁じられる。

三人の遺体は憲兵隊本部の井戸から
三宅坂の東京第一衛戍病院へ搬送される。
田中隆一軍医により死体解剖。

●9/23
勇宛に第一師団軍法会議から、
事件の証人として召喚する旨の通知。
殺害を確信する。

●9/24
代準介、上京。

午後三時、陸軍省が
「甘粕憲兵大尉が大杉外二名を致死」と発表。

●9/25
三宅坂の東京第一衛戍(えいじゅ)病院から
三人の遺体を引き取る。

引き取りに行ったのは以下。
・大杉の弟の勇と進
・代準介
・安成二郎(読売新聞婦人部長/
大杉宅の近所に住んでいた)
・服部浜次(社会主義の洋服屋/
楽町の家が焼失し大杉宅に避難)
・山崎今朝弥
・村木

●9/25頃
辻潤、大阪道頓堀で号外を受け取り、
野枝が虐殺されたことを知る。
 ➡「ふもれすく」

●9/27
三人の遺体が落合火葬場で荼毘にふされる。
三人の遺骨が落合火葬場から労働運動社に到着。

【10月】
●10/2
和田久太郎、駒込署の留置場に
いる近藤憲二と面会。
大杉の子供を野枝の実家が
引き取ることの了解を得るため。

代準介、四人の遺児、
分骨した三人の遺骨を抱き福岡に向かう。
野枝の叔母・モト、雪子も同行。
進も神戸まで同行。

●10/3
近藤憲二、駒込署から釈放される。

●10/4
代準介、分骨した三人の遺骨を抱き、
四人の遺児を連れて博多駅に到着。

4人の子供たちは伊藤家に入籍され、
魔子は眞子、エマは笑子(えみこ)、
ルイズは留意子、ネストルは榮と改名。

午前7時ごろ、松阪駅近くで
甘粕正彦の弟・五郎(津市第一中学に在学)が
ギロチン社の田中勇之進に
短刀で切りつけられる。
 ➡『大正自由人物語』(p253)

改造社の提唱により識者が
「二十三日会」を組織。
首相や陸相などに建議書を提出。
識者は千葉亀雄、吉野作造、
鈴木文治、大川周明など。

●10/5
三人の遺骨、今宿の伊藤家に。

●10/6
安成二郎、大杉&野枝の形見を貰う。

大杉が愛用していた西洋の煙草盆セット。
安成の妻は野枝の支那扇。
そして「珈琲をつぶす器具」も。
➡安成二郎『無政府地獄 大杉栄襍記』
「かたみの灰皿」

●10/7
大杉らの遺骨、遺品が労働運動社に運ばれ、
あやめも仮寓する。
遺骨はその後、勇宅へ。

●10/8
甘粕正彦らの第一回公判。
午前9時から青山の
第一師団軍法会議新館法廷。

大杉ら虐殺事件記事が解禁になり
「外二名」が野枝、
宗一であることが公表される。

●10/9
議論沸騰の閣議で後藤新平内相が
顔を真っ赤に染めて不法行為をなじり
「人権蹂躙だ」と叫ぶ。
➡「読売新聞」1923年10月9日
『時代の先覚者 後藤新平』(p271)

柏木の家に留守居していた勇夫妻が退去。
菊池寛が空いた家を借りたいと申し入れ。

●10/16
福岡県糸島郡今宿村谷の松林中で
仏式(真宗)で三人の葬儀と埋骨式。
海を見下ろす松林の中の小高い墓原
(松原の墓地)に三人一緒に埋葬される。

後に伊藤亀吉、山から大きな自然石を引いて
来て墓碑銘のない墓を建てる。
➡『野枝さんをさがして』
(「野枝さんの墓」)

●10/22
真子、福岡市春吉尋常小学校1年に編入。
代の家(福岡市新柳町)から通う。

●10/25
大杉『日本脱出記』がアルスより出版。

収録著作中「外遊雑話」と「同志諸君へ」は
死後、机の引き出しから見つけられた遺稿。

外遊雑話_大杉栄伊藤野枝選集十一巻
大杉の遺稿「外遊雑話」
(引用:『大杉栄 伊藤野枝選集
第十一巻』黒色戦線社)

【11月】
●11/1
清、辻の三男秋生出産
(昭和二十年、ルソン島
イサベラ州イラガンで戦死)。

●吉野作造「甘粕事件の論点」
(『改造』1923年11月号)

●長江、府下滝野川へ転居。
この頃、今泉篤男、長江に教えを請う。
長江の顔を〈一肉塊と化した顔貌〉と表現。

●11/24
大杉『自叙伝』が改造社から出版。

●11/25
野枝の追悼式が野上弥生子宅で
旧青鞜同人により開催される。
幹事はらいてうと岩野英枝(泡鳴未亡人)

【12月】
●12/8
甘粕事件の判決公判。

甘粕は懲役10年(3年余で釈放)。
曹長・森慶次郎は懲役3年
(1年2ヶ月で釈放)。
伍長・平井利一、上等兵・鴨志田安五郎、
上等兵・本多重雄は無罪。

●12/11
大杉の遺骨、父・東の墓所である
静岡県清水町の鉄舟寺に
埋葬しようとしたが拒否される。

●12/16
上野桜木の谷中斎場にて
大杉、野枝、宗一の葬儀

主催は自由連合派労働団体と
無政府主義思想団体、参会者700人。

葬儀の日の朝、右翼・大化会の会員により
遺骨が強奪される。
警保局長と北一輝の
取り引きにより返還される。

●12/17
小島清の日記
「瓢然と潤がやってくる。
東京へ金策に出かけて又暫くは
宮崎に落ちてくつもりだと、
三月末頃上海へ行く予定だ相な」

●12/20
近藤憲二、和田久太郎、村木源次郎らが
第四次『労働運動』を創刊。
1926年7月まで18号まで発刊。

●12/27
虎ノ門事件。
難波大助が摂政を狙撃。

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1922年(大正11年)27歳

2014年9月3日 水曜日


●1/1
『東京毎日新聞』で
大杉「バクーニンの生涯」連載始まる。

●1/10
大隈重信、胆石症のため早稲田で死去。
満83歳。

●1/21
久板卯之助、天城山猫越峠で凍死。
➡『大正自由人物語』(p184〜)

●社会主義者新年会で堺、
右翼の大塚某から暴行を受ける。

●1/31
辻、この夜、神田の仏教会館に
おける久板卯之助の告別式に出席。
久板卯之助は伊豆山中に写生に出かけて
凍死したアナーキスト。
出席者は他に、望月桂、岩佐作太郎、
堺利彦、伊藤証信、宮嶋資夫、
谷口伝次郎ら。
告別式後の追悼懇談会は八時半にいたり、
臨監の西神田署が解散命令を出した。
(小松隆二『大正自由人物語』)

【2月】
●2/1
山県有朋死去(満83歳)。

●2/1
第三次『労働運動』第二号。

大杉「ロシアに於ける無政府主義者・一」
大杉「都会人に対する農民の不平」
野枝「無政府の事実」(後編)

●2/3
大杉ら八幡製鉄所罷工記念演説会へ向かう。

●2/5
大杉ら八幡市の有楽館で
罷工二周年記念演説で演説。

●2/6
大杉、今宿の野枝の実家を訪問。

●2/7
大杉、大阪で検束される。

●2/9
大杉、自宅に戻る。

●ワシントン海軍軍縮条約。

●治警五条修正案成立する。

【3月】
●3/2
大杉、魔子を連れ里見弴を訪問。

●3/2
大杉「政府の道具共」
『東京毎日新聞』掲載。

●3/3
京都市岡崎公会堂にて全国水平社結成。

●3/15
大杉、第三次『労働運動』三号を発刊。
「特殊部落の解放運動」を
載せ水平社創立大会を告知。

大杉「先ず奴等を叩き倒せ」
(『東京毎日新聞』
「政府の道具共」改題)。

大杉「八幡罷工記念演説会における演説」

大杉「久板の生活」
久板の追悼文
➡『大杉栄全集 第四巻』

【4月】
●辻、加藤一夫、津田光造らの「シムーン」
(第二号から「熱風」と改名。
第八号で廃刊)に
高橋新吉のダダの詩を紹介する。

●4/27
大杉、労働運動社のパンフレット
「青年に訴ふ」刊行。

【5月】
●5/1
大杉、第三回メーデーに参加。

●5/10
新婦人協会が取り組んだ
治安警察法五条改正施行。

【6月】
●6/1
三次『労働運動』五号。
大杉「どっちが本当か」

●6/6
大杉(37歳)と野枝(27歳)の
共著『二人の革命家』刊行(アルス)。
序で子供たちの命名の由来を
大杉が書いている。

●6/7
野枝、四女・ルイズ(留意子/
伊藤ルイ~1996年)を逗子で出産。

大杉、代準介に手紙。
「ぶじ女児を出産しました。
ルイズと名づけました。
またまた女の子です。仕方ありませんから、
婦権拡張に努めます」。

このころ、大杉宅に野枝の叔母・
坂口モトが同居。

●辻(38歳)、最初のエッセイ集
『浮浪漫語』(2円40銭)を
下出書店より刊行。

六月三十日から朝日新聞に発表された
「「犬の死」その他」を見ると、
この頃は妹夫妻が一階で
暮らしていたようである

●黒燿会第4回作品展覧会。
これが最後。柳瀬正夢、村山知義らも初参加。

【7月】
●7/1
辻、「労働運動組合」主催の月島での
社会主義思想講習会の講師となって、
「ダダイズム」についてしゃべる。(*2)

一週間ほどのち、この時知り合った
広島の十日市町の洋服屋の娘
小島清(きよ)を同伴して、
房州の白浜に宮嶋資夫をたずね
、同家に滞在する。
(倉橋健一『辻潤への愛 
小島キヨの生涯』)

●その後、辻、小島キヨと同棲開始。
翌年、秋生(比島で戦死)生まれる。

しかし、辻の気持は「白蛇姫」に残っており、
辻は肉体関係以外には
小島清に興味を示してはいない。
婚姻届けは清に一任し結局は
法的には結婚するが(辻の渡欧中)、
辻に自分の心情を理解されないことは清には
最後まで苦悩の源となる。
小島清は、うわばみのおキヨ、
女高橋、pomme de terre(
じゃがいも)とも呼ばれ
酒好きの女性であった。

小島清の前に「一寸四ケ月程一緒に
くらした女があるが
――これはその女の里の方で無理に
連れ戻ったのだが――
やっぱり死んでも僕と暮らす
程惚れていなかった
とみえてそのまま泣き寝入りになって
しまった」とあるが、
詳細不明。
この女のことは公に
書いていない、とある。(「里親」)

●『改造』七月号。
大杉「クロポトキンを想う」

●7/9
森鴎外、午前7時すぎ腎萎縮、
肺結核のために死去。
満60歳。

●長江の門下の集まり
「冬日会」から雑誌『月光』生まれる。

●7/15
非合法下、ソ連のコミンテルンの指導のもと
堺利彦・山川均・荒畑寒村らを中心に
第一次日本共産党結成。
機関紙は『解放』。

●7/23
大杉、野枝、魔子、
コズロフに別れを告げるために神戸に出発。

【8月】
●8/1
三次『労働運動』六号。
大杉「クロポトキンを想う」
大杉「革命の裏切者」

【9月】
●『改造』9月号。
大杉「お化を見た話」。

『改造』10月号。
神近「豚に投げた真珠」

●9/10
第三次『労働運動』七号。

大杉「生死生に答える」
(「なぜ進行中の革命を擁護しないのか 
大杉栄氏に問う」(生死生))に対す回答

大杉「トロツキーの共同戦線論」
大杉「労農ロシアの最近労働事情」
大杉「労働組合全国総連合について」

●中旬ころ
野坂参三が大杉宅を来訪。

●9/29
大杉、近藤と大阪に向かう。
総連合大会出席のため。
山川と汽車の同じ車両に乗り合わせる。

大杉はボルの山川とは対立する立場だったが、
山川は大杉のよき友であり理解者だった。

●9/30
大杉ら「日本労働組合連合」創立大会
(大阪天王寺公会堂)に傍聴人として出席。

党派を超えた全国的な
単一連合体を作る目的だったが決裂。

ボル系/鈴木文治、賀川豊彦、
堺、山川、荒畑ら。

アナ系/大杉、和田、近藤憲二ら。
➡大杉「組合帝国主義」
(『改造』1922年11月号)

●浅草区馬道一丁目九番地の
黒瀬春吉経営の「パンタライ社」が
お座敷ダンス営業のかたわら、
「ジプシイ喜歌劇団・享楽座」を
つくったので、辻もそこの一員となる。

そして春吉作「元始」と
歌舞劇「享楽主義者の死」に
主演することになり、
舞台稽古をしてプログラムまで刷ったのに、
その旗上げ公演はお流れになった。

この年、谷崎潤一郎としばしば会う。
また岡山のエイスケ・ヨシユキ
(吉行淳之介の父)と文通する。

【10月】
●10/1
第三次『労働運動』第八号。
大杉「独裁と革命」
大杉「労農ロシアの承認」
大杉「労農ロシアの労働組合破戒」

●『改造』10月号
神近「豚に投げた真珠」

大杉「自叙伝(五)」

大杉「そんな事は
どうだっていい問題じゃないか」

山川菊栄「ボリセキヰキの『暴政』と
アナーキスト」

●10/8
大杉&野枝、逗子の家を引き払い、
本郷区駒込片町の労働運動社に移転。

労働運動社に同居していたころ、
暴漢を排除するため、
野枝、灰を手元に置いて暴漢と対峙。

●10/11
大杉、翻訳書『昆虫記』(ファーブル)
第一巻を出版(叢文閣)。

日本初のファーブル紹介は
加賀豊彦
「ファブレの生存競争の研究」(1918年)

●10/14
野枝、エマとルイズを連れて
今宿へ帰郷(モト帯同)。

代準介、博多の新柳町
(福岡市中央区清川)に蕎麦屋
「蕎麦喜千」を開業、キチが仕切る。

●10/23
大杉の弟・伸、上海で病院で死亡。

●古田大次、郎中浜哲らにより
ギロチン社が旗揚げ。
 ➡『大正自由人物語』(p254)

●10/27
ベニート・ムッソリーニ、ローマ進軍。
ファシスト党党員の入閣と、
ムッソリーニ自身を首相とした
内閣実現のためのクーデター。

Mussd
ローマ進軍で行進する
ムッソリーニ(中央左)と黒シャツ隊

From Wikimedia Commons

●下旬ころ
大杉、中国のアナキスト・黄凌霜と会見。

●10/31
大杉、執筆のため
鵠沼の東屋に11/11まで滞在。

【11月】
●11/1
第三次『労働運動』9号。

大杉「ボルシェビキ四十八手裏表」
大杉「組合帝国主義-総連合問題批判」
(『改造』11月号にも掲載)
大杉「労農ロシアの新労働運動」
大杉「ボルシェヴィキの暴政(三)」

●11/5
大杉、アルスから
『漫文漫画』(望月桂・画)出版。
大杉、望月の印税も使ってしまう。
➡『大正自由人物語』(p206〜)

アルスの社長は北原鉄雄は白秋の弟。

●11/14
代準介、大杉を訪問。

●11/16
大杉の中学時代の柔道師範、
坂本謹吾が大杉を訪問。

●11/17
改造社が企画した日本講演旅行を承諾した、
アルベルト・アインシュタイン来日
この日、彼を乗せた北野丸が神戸港に到着。

アインシュタイン

●11/20
フランスのアナキスト、コロメルから
国際無政府主義大会への
招待状が大杉に届く。
大杉をコロメルに紹介した
のはフランス文学者の小松清。

同大会は一月末から二月初めに
ベルリンで開催される予定だった。

大杉、金策を考えつつ
眠り薬の『其角研究』を読みながら寝る。

●11/25
野枝、ルイズを連れて今宿まで
迎えに行った村木源次郎と帰京。
エマは大杉の帰京まで叔母・モトに預ける。

●11/28ころ
大杉、有島武郎宅を訪問し
旅費1500円を受領。

●下旬
大杉、村木、宮嶋、南天堂で懇談。
宮嶋、大杉との最後の面談になる。

【12月】
●『改造』12月号。
大杉「労働運動の理想主義的現実主義」
大杉「自叙伝(六)前篇」

●堺、自宅を訪ねて来た
陸軍鍛工長の森下某に
錐と佩剣(はいけん)で数カ所刺され
重傷を負う。
➡『パンとペン 社会主義者・
堺利彦と「売文社」の闘い』(p400)

●上旬
大杉、山崎今朝弥と
大森町森ヶ崎(現・大田区大森南)の
鉱泉病院入院中の堺を見舞う。

●上旬
大杉と近藤憲二、
神田の高利貸し武藤三治の息子・
重太郎(慶応出身)から1000円借りる。
➡『一無政府主義者の回想』p28

大杉の密出国資金を出したのが
後藤新平だという風説があったが、
後藤自身が『読売新聞』
(1923.12.16)で否定している。
➡『時代の先覚者 後藤新平』(p272)

●12/10
大杉、評論集
『無政府主義者が見たロシア革命』を
叢文閣より出版。

●12/11
大杉、夜、自宅を出て東京駅へ。

●12/12
大杉、神戸着。ホテルに滞在。

●12/14
大杉、神戸港を出航。

●12/17ころ
大杉、上海着。
「唐継」の仮名で上海租界からフランスへ。

●12/30
ソビエト社会主義共和国連邦の樹立。

●12月末
新婦人協会解散。

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1921年(大正10年)26歳

2014年9月3日 水曜日


【1月】
●1/8
大杉、コスモ倶楽部で講演。

●1/11
大杉ら第二次『労働運動』
(週刊)の編集会議。
ボル側(共産主義者)の出席者は
近藤栄蔵、高津正道。

●中旬ころ
林倭衛と広津和郎が大杉を訪問。

●1/15ころ
大杉ら労働運動社を
神田北甲賀町の駿台倶楽部内に設置。
九津見房子が月給30円で働く。

●1/25
大杉ら第二次『労働運動』(週刊)創刊。
資金は大杉が上海で受け取った2000円。

大杉「日本の運命」

野枝は同人になっていない。
第二次『労働運動』は伊井敬(近藤栄蔵)や
高津正道(暁民会の暴れ者)らを
受け入れてアナ・ボル提携の実験。
伊井らの裏切りで6月、13号で廃刊。
➡『大正自由人物語』(p138)

久板、宮嶋らはボルとの共闘に反旗を翻し
『労働者』を発刊。

●尾崎士郎「獄中より」が
『時事新報』懸賞小説の二位入賞。
「獄中より」は大逆事件に材を得た。

●辻、『英語文学』の英文和訳の選者になる。

●長江、『現代』に小説「落花の如く」
連載(1月号〜10月号)
翌年四月、単行本刊行。

●『女性同盟』新年号で
広島県女教員圧迫事件を扱う。

【2月】
●2/1
第二次『労働運動』(週刊)2号。
大杉「直接行動論」

〈法律があったって何にもならないんだ。
なぜだろう。
彼等には力があって、
われわれにはそれがないからだ、
そして法律はこの力の味方であるからだ。〉

大杉「革命はいつ来るか」

●2/6
長江の父・喜平治、死去。

●2/8
早朝、モスクワ郊外の寒村ドミトリで
ピョートル・アレクセイヴィチ・
クロポトキン死去。

Peter_Kropotkin_circa_1900
クロポトキン(1842年-1921年)
From Wikimedia Common

松岡正剛の千夜千冊

●2/10
大杉、野枝、魔子、和田久太郎、
金沢八景へ馬車で遊びに行く。

●2/15
大杉、築地・聖路加病院に入院。
肺結核で重篤になる。
3月下旬退院。

野枝の看病。
➡安成二郎『無政府地獄』「かたみの灰皿」

【3月】
●大杉栄著『悪戯』刊行、野枝の文章6編収録。

●初旬
大杉、回復に向かう。

●3/4
読売新聞に伊福部隆輝
「阿部次郎氏に問う
正義の戦ひに就いて」掲載。
長江、伊福部にアドバイス。

●3/7
バルト海艦隊の拠点である
クロンシュタットの水兵たちが
アナキスト的標榜を掲げ反乱を起こす。

独裁化しつつあった
ボリシェヴィキ政権に対して、
自由選挙の保障、言論・出版の自由、
政治犯の釈放、個人の財産の所有権などを
要求して蜂起したが鎮圧される。
ボリシェヴィキ政権の
ソビエト国内で最後にして
最大規模の反政府反乱。

Kronstadt_attack
クロンシュタットの反乱
From Wikimedia Commons

●3/13
野枝、福岡に帰省せず
鎌倉で三女・エマ(笑子)を出産。

●3/21
ロシアで新経済政策施行。
市場原理の部分的導入。

●3/28
大杉、聖路加病院から退院する。

【4月】
●『改造』4月号(第三巻第四号)

野枝「『或る』妻から良人へ」。
〈それからミシンもすこし動かしてみました。
機械というのは面白いものですね。〉

●野枝、山川菊栄に
誘われ社会主義者婦人団体・赤潤会
(せきらんかい)に参加(顧問)。
コスモクラブが主催する講演会で
婦人労働問題などを講演。

翌月5月の第二回メーデーに参加し
当局に弾圧される。

●長江の推薦で『新小説』4月号に
佐々木味津三の小説「地主の長男」、
高群逸枝の長詩「日月の上に」掲載。

高群はこの時、数えで28歳、
9歳もサバを読んでいた。

●4/25
西村伊作が与謝野晶子、
与謝野鉄幹らの協力を得て文化学院創立。

【5月】
●5/1
第二回メーデー。
赤瀾会のメンバー拘束される

●5/9
大杉、検束され
社会主義同盟第二回大会に参加できず。

●5/28
エロシェンコが上落合の辻の家に遊びに来る。
エロシェンコがレコードを
ききたいと言ったので、
居合わせた高橋勝也が近所の
犬養健のところに連れて行った。

エロシェンコに対し内務省から
危険思想を抱いている
ということで退去命令が出され、
この夜淀橋署に検束された。

●5/28
新旧社会主義者を含む全国的統一組織、
日本社会主義同盟の解散。
結社禁止命令のため。

【6月】
●6月初旬
神近、長女を生む。

●6/25
週刊『労働運動』(第二次)第十三号、発刊。
廃刊になる。
上海に行った近藤栄蔵が堺・山川らと内密に
コミンテルン日本準備会を組織し、
独自にコミンテルンに接触したことが判明。
アナ・ボル共同戦線の道が絶たれる。

【7月】
●山川菊栄『太陽』7月号に
「新婦人協会と赤潤会」発表。
らいてう、不快を覚える。

●7/8
神戸の川崎造船所と三菱造船所で45日に
渡る大ストライキが始まる。
8月には大杉が15円カンパする。

●7/13
大杉、自叙伝執筆のため
野枝と魔子を連れて新発田に出発。

●7/15
『改造』3巻8号。
野枝「火つけ彦七

大杉「無政府主義の父」

●7/26
大杉、改造社が招いた
バートランド・ラッセルの歓迎会に出席、
彼と面談する。

ラッセルは北京大学での約1年間の講義を終え
帰国の途次に日本に寄った。

横関愛造「日本に来たラッセル卿」

●7/30
バートランド・ラッセル、二週間の
日本滞在を終え帰国。
大杉、野枝、横浜で見送る。
ラッセル、『ラッセル自叙伝』で
野枝に賛辞を贈る。

●7/30
朝日新聞「女流歌人との恋に
悶えて石原博士辞職す」と報道。

相対性理論を日本に紹介した物理学者、
東北帝国大学教授・石原純
(あつし)と原阿佐緒。

●7/31
ラッセルの通訳を務めた
コズロフが大杉宅を訪れる。

●7月
野枝、赤瀾会講演会で講演。

【8月】
●8/6
大杉、岐阜へ行き偽名で名和昆虫研究所に通う。
『昆虫記』翻訳のため。

●8/15
大杉、評論集
『正義を求める心』出版(アルス)。

●『太陽』8月号に奥むめお
「山川女子の新婦人協会と
赤瀾会を読みて」掲載。

●夏
住井すゑ『相剋』刊行。
住井はそのころ長江宅に通っていた。
長江は住井の才能を評価。

【9月】
●『改造』9月号。
大杉「霊魂のための戦死」
トルストイが支持したキリスト教の一派で
無政府主義的なドゥホボール派について記述。

大杉「自叙伝(一)」

●中旬
大杉、、和田久太郎、魔子と藤沢・
鵠沼の東屋旅館に滞在。
『自叙伝』(『改造』10月号から連載)
執筆と『昆虫記』翻訳のため。

●『太陽』9月号に山川菊栄
「無産婦人の立場から」掲載。

●9/25
東京監獄を出獄した近藤憲二が
大杉宅に11月初めまで同居。
村木、和田も同居。
村木はピストルの弾を持っていて、
ある時、近藤に「原敬をやる」
といったという。

●9/30
大杉、近藤栄蔵が経営する
売文社の顧問会に出席。
近藤が大杉との関係修復を図った。

●この月
生田春月の自伝的長編小説『相寄る魂』。
大杉、自分が登場するこの本を
モデル料として贈呈せよと春月に書簡を書く。

【10月】
●『改造』10月号。
大杉「自叙伝(二)」

●野枝「成長が生んだ私の恋愛破綻」
➡『婦人公論』

●上旬
大杉、イルクーツクで開催される
極東民族大会に参加の打診をされる。
大杉、直前にキャンセルする。

●10/22
朝日新聞が柳原白蓮(燁子/あきこ)と
宮崎龍介の駆け落ち事件を報道。
燁子の夫への絶縁状を公表。

【11月】
●『改造』11月号。
大杉「自叙伝(三)」

●11/4
原敬、東京駅で国鉄大塚駅転轍手の
中岡艮一(こんいち)により刺殺される。

●11/5
大杉、「自叙伝」執筆のため
鵠沼の東屋旅館に滞在。
尾行から号外を入手、
同宿していた佐藤春夫と
原敬暗殺について話す。

大杉、東屋で作家と交流。
芥川、宇野浩二、里見弴、久米正雄、
佐々木茂索、徳田秋声など。
吉屋信子(25歳)とはピンポンをやる。

●11/12
大杉、夜行列車で仙台へ向かう。
山川が最後に大杉と会ったのはこの時。

●11/13
朝6時、大杉、仙台に到着。
岩佐らと中央ホテルに投宿。

仙台歌舞伎座で開催される
「社会問題講演会」に向かう途中、
東一番町の「鳥平」で夕食を
とろうとしたところを
仙台署の警官に検束される。
翌日の未明、
尾行をつけられ東京に護送される。

●11/23
大杉、神奈川県三浦郡
逗子町逗子九百六十六に移転。

魔子と大杉「亀の子遊び」の写真あり。

●辻、佐藤惣之助の紹介で
川崎砂子一八七番地の路地の
突き当りの二階建ての家に、
母と息子を引き連れて住む。
(「文学以外」) 
前は落合村にいて毎日火葬場の
煙を見て暮らしていた。

これで、薄汚ない風呂敷包みに
原稿紙と二三冊のノートと
三省堂発行の古ボケタ
英和辞典と尺八とを包んで
ブラブラと歩きまわる
必要がなくなった、とある。
地上げをしたボロ長屋で土台が
シッカリしていないためか、
電車や汽車の通るたびに
グラグラ揺れる、とある。
朝と昼と晩のケジメがつかなくなり、
「寝床はどうかすると、
三日も四日も敷きっぱなしで、
原稿書きがイヤになると、
その上に仰向けに
ひっきりかえって欠伸をしたり、
バットを吹かしたり、天井の節穴を眺めたり、
古本を乱読したりする。」(「文学以外」)

この月、川崎に越してまもなく高橋新吉来訪。
(『ダダイスト新吉の詩』
跋及び高橋新吉「師友」)

「綿だけのふとんを被て、
辻潤は、ねていたが、
鼻下に髭を蓄えていて、
ドテラを着て、応対した。家の入口から、
奥まで見通しの狭い家だった。
鮭の切り身をおふくろに買って来させて、
めしを一緒にたべさせられた。」
辻、ダダを新吉より知り、
ダダイストと名乗り始める。
(高橋新吉「ダガバジジンギヂ物語」) 

●大杉「怠業と勤業」
初出不明、稿末に1921年11月の日付あり。

【12月】
●『改造』12月号。
大杉「自叙伝(四)」

●辻、『自我経』
(『唯一者とその所有』の全訳)
改造社より刊行。
この頃、ジョウジ・ムウアの
「一青年の告白」を
訳し始める。(『一青年の告白』自序)

この頃、稲垣足穂を知る。
(稲垣足穂「唯美主義の思い出」)
はたちを過ぎた頃、佐藤春夫と歩いていて、
辻潤に出会ったという。
稲垣足穂の生まれたのは、
一九〇〇(明治三三)年十二月二十六日、
佐藤春夫の知遇を得たのが、
一九二一(大正一〇)年であること
(『新潮日本文学辞典』)から推定。

「さて、はたちを過ぎた頃だった。
佐藤先生と、相馬屋紙店の前を神楽坂下に
向って歩いていた時に
擦れ違ったとんびを着た人物があった。
瞬間の印象は「貧乏恵比寿」に見えた。
先方の門歯には金冠が光っていたようだが、
ともかく、
この数日間、歯刷子を当てた
歯並びではなかった。」とある。
(稲垣足穂「唯美主義の思い出」)

●12/24〜12/28
黒燿会第3回作品展覧会。
大杉、A・ローレル『直接行動論』から
引用したドイツの俚言を書にするが、
撤去される。

乞い願ふものには与えられず
強請するものには少しく与えられ
強奪するものには全てを与えられる

内見でこの書を見た古田大次郎の心を打つ。

●12/25
久板卯之助、池尻の神近の家から伊豆へ出発。
➡『神近市子自伝 わが愛わが闘い』p196

●12/26
第三次『労働運動』(月刊)創刊(1号)。
アナキズムを鮮明にした。
同人は大杉、野枝、和田、近藤。

野枝「無政府の事実」(前編)

大杉「無政府主義と組織」
(エマ・ゴールドマン)

大杉「ソヴィエト政府と無政府主義者(二)」

労働運動社は近藤栄蔵が
経営していた売文社を受け継ぎ、
本郷区駒込に再興。

※この年、アンドレ・ジッドの
『一粒の麦もし死なずば』刊行。

作者の名を秘して上巻12部、下巻13部のみ出版。
ワイルドとダグラスの少年買いを赤裸裸に暴露。

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1920年(大正9年)25歳

2014年9月3日 水曜日


【1月】
●1/1
第一次『労働運動』3号。

大杉「知識階級に与う」(巻頭論文)
印刷活版工の従業員からなる
日本印刷工組合信友会は
知識階級とは没交渉で
労働者自身の自発により運動している。
その対極にあるのが大日本労働総同盟友愛会。

大杉「労働運動と知識階級」
山川菊栄、赤松克麿、鈴木文治
賀川豊彦、吉野作造、内田魯庵らの批評。

大杉「労働運動理論家賀川豊彦・続」

●1/1
有吉三吉スパイ事件起きる。
➡『日録・大杉栄伝』p315

●1/1
『解放』2巻1号。

野枝「山川菊栄論」
与謝野晶子、平塚らいてふ、
山川菊栄の人物比較評論。

●正月
麹町区富士見町の新詩社で歌会開催。
芥川に誘われた江口渙が顔面に
ハンセン病の症状が出た長江を見る。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p231

●1/5
新橋の平民倶楽部で東京労働者新年開催。
堺為子の三味線で長江、
真柄、長唄の合唱をする。

●新橋平民クラブ、
浜金港亭での社会主義者新年会で、
黒燿会一同が演劇
「電工」「十二の棺」を上演。
『大正自由人物語 望月桂とその周辺』
(小松隆二著/岩波書店)
(黒燿会関係は以下同)

●1/11
豊多摩監獄の大杉、野枝に手紙を書く。

仕事は本所の東栄社のマッチの箱張り。
次女・エマ誕生。

●1/22
吉田一、出獄し大杉宅に滞在。
野枝、彼の粗野で無遠慮な
図々しさに辟易する。

●1/26
牛込神楽坂倶楽部で
「珍芸百出の『横行会』開催。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p233

【2月】
●2/1
第一次『労働運動』4号発行。
野枝(25歳)「閑却されたる下婢」
「堺利彦論」
(普選運動をしている堺への批判)

●宮嶋資夫が家族を伴い
比叡山に来山し正覚院に住む。
この間に無想庵は山を下りる。
辻も2月末、下山。

●2/1
『解放』2巻2号。
野枝「ある女の裁判

●2/5
八幡製鉄所争議始まる。
職工二万三千人によるストライキ。

『溶鉱炉の火は消えたり』の著者、
浅原健三が「日本労友会」を組織。

●2/5
早稲田大学、
大学令(1919年)により大学になる。

政治経済学部・法学部・文学部・商学部
・理工学部・大学院を設置。

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大正時代の早稲田大学(旧専門)の正門
From Wikimedia Commons

●2/7
森戸事件に抗議する「思想団大会」
神田青年会館で開催。
長江、「火薬は火を呼ぶ」の演題で講演。

●2月〜3月、八幡製鉄所争議。

●長江、『雄弁』2月号に
「あるべからざる社会とあるべき社会と」。
マルクスとモリスについて言及。

●2/29
豊多摩監獄の大杉、野枝に手紙を書く。
この年の大雪について、監獄内の寒さついて。

【3月】
●3/15
大杉、評論集『労働運動の哲学』
(東雲堂書店)出版。発禁になる。

自序文
〈車夫故野沢重吉君に本書を献ずる〉

●3/18
東京帝大経済学部助教授の職を追われた
森戸辰男を支援する会「思想家の会」が
万世橋ミカドで開催。

長江、堺らが参加。

●3/23
大杉、巡査殴打事件の刑期満了で出獄。

●3/28
らいてう、市川房枝、
奥むめお、上野精養軒で
新婦人協会発会式挙行。

在京賛助者のひとりとして堺利彦列席。
堺、らいてうに菅野すが子が
獄中で読んでいた『婦人問題』を渡す。

『婦人問題』は「枯川」時代の堺の旧著。
裏表紙に「菅野所有」という
すが子の自筆文字。

らいてうから誘われ、
会員になっていた荒木郁子も参加。
➡『「青鞜」の火の娘』p109

●3/28
大杉宅に『労働運動』関係者を招き、
出獄祝いを催す。
大杉、野枝を手伝い
野菜の下ごしらえをする。

野枝は炊事をしながらよく「ケンタッキーのわが家」を唄った。

●大杉、馬場孤蝶を訪問。
馬場「君の顔と斎藤緑雨の顔は、
どこか似ている」
大杉「緑雨なら異存はない」

●欧州大戦後の恐慌が始まる。

●『改造』3月号。
野枝「クロポトキンの自叙伝に
現われたるロシアの婦人運動」

【4月】
●4/1
高畠、『霹靂(へきれき)』創刊号に
「生田長江君の癩病的資本論」発表。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p241

●4/1
『解放』4/1号。
野枝「自由母権の方へ」
➡『大杉栄 伊藤野枝選集 第十三巻』

●4/2
大杉、『死線を越えて』の
賀川豊彦の歓迎会に出席。

●4/3
大杉、神田青年館で開かれた
森戸事件裁判の支援演説会に参加。
対話式演説を実行。
森戸、感心する。

●4/3〜4/4
黒燿会第1回作品展覧会
(日本最初のプロレタリア美術展)。
大杉栄、堺敏彦らも出品。
機関紙『黒燿』創刊。

●4/6
大杉、魔子と和田と関西旅行に出発。

●4/8
大杉、神戸の賀川豊彦を訪問。
ファーブルの『昆虫記』英訳本を借りる。

●4/12
大杉、帰京。
比叡山にこもっている宮嶋とは会えず。

●4/30
第一次『労働運動』5号。

大杉「革命的サンジカリズムの研究
新文学博士米田庄太郎氏を論ず」

大杉「無政府主義の腕」
イタリア人のアナキスト、
エンリコ=マラテスタについて。

大杉「いわゆる評論家に対する僕等の態度」

大杉「労働運動の転機」

●4/30
野枝&大杉(35歳)、
神奈川県三浦郡鎌倉町字
小町瀬戸小路の貸家に移転。
豪邸の前に警察の監視小屋。
野枝「自由母権の方へ」
(『解放』4月号)。

【5月】
●辻、『唯一者とその所有』
「人間篇」を日本評論社より刊行。

●5/2
日本初の労働祭(メーデー)開催。
「来れ上野公園!」。
大杉、服部浜次と現場に向かうが
予防拘束され参加できず。

社会主義者や労働者、5000人動員。
労働組合の共同戦線ができる。

共同戦線を可能にした
要因は3月の経済恐慌もある。
➡『大杉栄研究』p283

●長江、
『雄弁』5月号に社会劇「責任者」発表。
芳川鎌子事件をテーマにしている。

●5/9
岩野泡鳴、腸チブスを病み
入院中林檎を食べて死去。
47歳。

死の瞬間「郁子!郁子!」と
荒木郁子の名を二度呼ぶ。

荒木郁子が葬式などすべて取り仕切る。
➡『「青鞜」の火の娘』p106

●5/18
大杉、翻訳書『革命家の思出
クロポトキン自叙伝』出版(春陽堂)。

●5/19
メーデーに参加した組合などで
労働組合同盟会が創立。
後に東京の主要組合のほとんどが参加。

関西でも
関西労働組合連合会が結成される。

●5/28
大杉と野枝の共著『乞食の名誉』刊行。

●この月ころ
高橋英一(岡田時彦)、
鎌倉の大杉宅を来訪。

●大杉、『改造』5月号に
「クロポトキン総序」執筆。
クロポトキンへの訣別宣言?

【6月】
●6/1
第一次『労働運動』第六号で廃刊。
大杉「新秩序の創造」
「演説もらい」についての見解を述べる。

大杉「米田博士へ」

大杉「社会的理想論」
〈信者の如くに行動しつつ、
懐疑者の如くに思索する〉

大杉「新秩序の創造」
4/3に神田青年館で開かれた
森戸事件裁判の支援演説会の
対話式演説について説明。

大杉「組合運動と革命運動」
大杉「C・T・Gの近況」

●この頃
第一次『労働運動』第7号を
本郷区千駄木町の望月桂宅で編集。
7号は発行されなかったが、
その作業をしている大杉の後ろ姿を
望月が描いたのが「或る日の大杉」。
➡『大杉栄研究』p287

●6/2
市村座で長江の「長沢兼子」上演。
芳川鎌子を取り扱ったため上演禁止に。

●6/7
辻、神近市子を訪問。
「秋田雨雀日記」六月七日に
「午後四時ごろ、神近君を訪問した。
辻潤君がいて三人で
八時ころまで快談した。」とある。
神近市子の居所については一月一日に
「神近君は出獄後、
宇井家に寄宿していた」とある。

●6月上旬
辻、再び比叡山に上る。
後に「永遠の女性」「白蛇姫」と呼んだ、
当時同志社の学生だった
野溝七生子と知り合う。

宮嶋の「ところへ京都や神戸から、
多数人が集まるようになつて
山の上も騒がわしくなつた。
自由人聯盟以来警察の注意も
だんだんきびしく、
ここにも常尾行がつくようになつたので、
延暦寺でも警戒しはじめて、
宿院との間もだんだんぎ
こちなくなってきた。」
➡宮嶋資夫「遍歴」

●高畠素之訳『資本論』
第一巻第一分冊が大鐙閣から発刊。
六円九十銭。

【7月】
●7/1
らいてふ、この日から洋服を着る
(断髪は大正12年から)。
半月後、市川房枝も洋服になる。

●下旬ころ
天津在住の大杉の妹、松枝が大杉宅を来訪。
エマを松枝の養女にする。
野枝、別れ際に大声を上げて泣く。

➡安成二郎『無政府地獄』「大杉君の遺児達」

【8月】
●末ころ
上海で開催される
極東社会主義者会議への招請をするため、
上海の朝鮮仮政府の使者・李増林が
大杉を訪問。
大杉、応諾する。

【9月】
●長江、『面白倶楽部』9月号に
小説「犯罪」発表(~11月号)。
被差別部落問題に切り込む。

「鈴が森お春殺し」の犯人、
石井藤吉(1918年8/17死刑)が書いた
『聖徒となれ悪徒』が下敷き。

●この月
宮嶋、比叡山から帰京の途中に大杉を訪問。

【10月】
●神近、片岡(鈴木)厚との
新居に移る(青山)。

●10/7
辻、神近市子、片岡(鈴木)厚の
結婚披露会に出席。
(秋田雨雀「秋田雨雀日記」)

神近市子に片岡厚を
紹介したのは、辻という。
「秋田雨雀日記」には、
午後五時から、神楽坂の倉田家で、
宮嶋夫妻、遠藤夫妻、大泉、伊沢、
尾崎、辻の諸君出席とある。

千葉県山武郡大網町に
生まれ育った片岡厚は
母方の実家、東金市の豪農、
鈴木家と養子なった。
片岡は神近より四歳年下。

●10/20
夜、大杉、大船駅から列車で日本脱出。
コミュンテルン主催の
極東社会主義者会議に
出席のため神戸から上海に密航。

この日夜、自宅を出る直前に
近藤と信友会の桑原錬太郎が来訪。

正進会の機関紙『正進』(7号11月号)掲載
「宣言ー正進会争議」を執筆。

信友会と正進会、その合同した印刷工連合会、
機械連合会、芝浦労働組合など、
印刷工、機械工を中心に、
大杉らアナキストと結びついていた。
➡『大杉栄 伊藤野枝選集 第五巻』P284

●10/25ころ
大杉、上海着。
前週までバートランド・ラッセルが
投宿していた一品香旅館に滞在。

コミュンテルン主催の
極東社会主義者会議に出席。

ロシア共産党のコミンテルン
極東支局責任者、
グリゴリー・ヴォイチンスキーや
陳独秀(中国共産党初代総書記)と会う。

●野枝、魔子を連れて福岡に帰省。

●新婦人協会の雑誌『女性同盟』創刊。

【11月】
●11/5
大杉栄著『クロポトキン研究』刊行。
野枝の文章2編収録。
売れ行き好調で版を重ねる。

●11/23〜11/29
黒燿会第2回作品展覧会。
会場は星製薬7階。
大杉栄ら出品。

●11/29
大杉、日本脱出の旅を終え自宅に戻る。

【12月】
●長江、小説『環境』
(「犯罪」改め)刊行。

●12/10
大杉、神田青年会館で開かれた
日本社会主義同盟の大会に
行き検束される。

●12/12
近藤榮蔵が大杉を来訪。
第二次『労働運動』への参加を決める。

●12/18
遠藤清子、
京都府立病院で胆石の手術中に死去。
38歳。

岩野泡鳴との子、
民雄は荒木郁子が養育することに。

●12/25
大杉、肺患再発の兆し。
有楽町の露国興信所の一室を
病室兼事務所として借りる。

●この月ころ
大杉、東京毎日新聞の客員記者になる。
日本脱出から帰国した1923年7月に離籍。

●この年の秋以降
阪本清一郎、大杉と山川を来訪。

●年末
大杉「日本における最近の
労働運動と社会主義運動」。
草稿のまま保管される。

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1919年(大正8年)24歳

2014年9月3日 水曜日


【1月】
●1/5
松井須磨子、
芸術倶楽部で抱月の後を追い縊死。

●1/15
労働運動研究会と北風会が合同し
初会合を開く。
以後、合同した「北風会」例会を開催。

●1/18
パリ講和会議が始まる。

●1/27
隣りの工場からの出火で
大杉(34歳)&野枝(24歳)の
田端の家が全焼。
大杉(34歳)の蔵書焼失。

●『婦人公論』1月号にらいてふ
「現代家庭婦人の悩み」掲載。
晶子の所説に対する反論。

●『新公論』1月号
大杉「獄中記-前科者の前科話(一)」

【2月】
●2/3
大杉&野枝、
北豊島郡滝野川町大字西ヶ原に移転。
警視庁刑事課長・
正力松太郎に家賃不払い問題で
「家宅侵入罪および詐欺」で告発されるが、
家主が告訴取り下げる。
➡野枝「アナキストの悪戯」「拘禁される」
「ある男の堕落」(『女性改造』1923年11月号)

●2/5
大杉ら山川と荒畑の出所を東京監獄前で迎える。
山川と荒畑は雑誌『青服』の出版法違反で入獄。
島村抱月の死と須磨子の自殺の話で盛り上がる。
➡『続獄中記』

大杉、安成と久しぶりに会い
田端の家が焼けた話をする。
安成、これを『丸焼け』
という短編小説にする。
➡安成二郎『無政府地獄 大杉栄襍記』
「かたみの灰皿」

●2/11
長江、普通選挙改正運動に奔走。

●2/23
大杉、吉田一の「労働相談所」の
チラシ文を書く。

「労働相談所」は
南千住センゾク872涙橋停留所傍松喜横町。

●2月末
上山草人と妻・浦路、
内藤民治の支援を受けて
米ハリウッドへ向かう。

●『新公論』2月号
大杉「獄中記-前科者の前科話(二)」

【3月】
●堺、高畠、
山川の合名会社である売文社解散。

●このころ大杉と野枝、
浅草の「グリル茶目」や
浅草オペラの楽屋に出入りする。
➡『日録・大杉栄伝』p259

【4月】
●4/1
大学令施行。

●4/3
大杉の自宅に同志が集合、飛鳥山で観桜会。

●4/12
大杉宅に岩佐作太郎来訪。
大杉宅でかっている山羊と犬を目撃。

●4/13
大杉、啄木七周忌追想会に出席。

●4/21
大杉、「演説もらい」を始める。

●4/23
●野枝の療養をかね千葉県中山に転居
(千葉県東葛飾郡葛飾村)。

日蓮宗の名刹、中山法華経寺の近く。
妹・あやめ親子も同居。

●『改造』創刊。

●『中外』4月号を最後に終刊。

●『新公論』4月号。
大杉「生物学から観た個性の完成」。

●『新小説』4月号。
大杉「続獄中記-前科者の前科話(三)」

●春ごろ
辻潤、本郷の栄林館に下宿
(夏、下宿料滞納で追い出される)。
浅草「グリル・チャメ」を
倶楽部のようにして飲酒に耽ける。

【5月】
●浅草の観音劇場で文士劇公演。
大杉、野枝らが来場。
➡『日録・大杉栄伝』p262

●5/4
中華民国・北京で抗日、反帝国主義を掲げる
大衆運動、五四運動起きる。

Beijing_students_protesting_the_Treaty_of_Versailles_(May_4,_1919)
デモ行進する北京大学の学生
(@ウィキペディア)
●中旬ころ
大杉、メーデー歌の作詞者、
大場勇と千葉病院に石井漠を
見舞い労働歌の相談。

●5/20
大阪朝日新聞社が文芸欄を創設のため
築地の精養軒で「文芸家招待会」開催。
らいてうと晶子の着物姿の写真が
翌日の東京朝日新聞に掲載。

●5/23
大杉、尾行巡査殴打事件。
千葉県葛飾郡東葛飾村の藤山山三郎方で
尾行していた船橋署の安藤清巡査を殴る。

●堺利彦翻訳『野性の呼声』出版。
ジャック・ロンドン『The Call of
the Wild』の翻訳が雑誌『中外』に連載。
辻潤もこの連載を愛読していた。
➡『パンとペン 社会主義者・
堺利彦と「売文社」の闘い』(p339)

●『労働者』5月号
大杉「何よりもまず」

【6月】
●6/19
大杉&野枝、
千葉中山のから本郷区駒込曙町に転居。

●6/28
ベルサイユ講和条約調印。
国際連盟の国際労働機関
(ILO)が設置される。
➡『日録・大杉栄伝』

【7月】
●7/7
大杉、著作家組合第一回大会に出席。

●上旬ころ
大杉、森戸辰男と面談。
森戸が論文「クロポトキンの
社会思想の研究」執筆にあたり懇請。
森戸事件になり社会問題化する。

●7/15
神田青年館で開かれた
日本労働連合会第一回大会で「演説もらい」。
大杉ら神田署に検束される。

●7/17
大杉ら築地の川崎屋で開かれた
労働問題演説会で築地署に検束さ、
一晩留め置かれる。

●7/19
大杉、警視庁に家宅侵入と
詐欺罪容疑で拘引される。

警視庁刑事課長・正力松太郎が
詐欺と恐喝で取調中と記者発表する。

●7/21
大杉、巡査殴打事件で起訴される。
警視庁刑事課長・正力松太郎の画策。
警視庁にふた晩留置後、
東京監獄未決監に収監。

●夏ごろ
辻、一を連れて石井漠の家を訪れる。
母美津が病気で寝込んだため、
石井漠の妻八重子に
しばらく一を預かってもらう。

辻は一を八重子に預けて、
伝法院のそばのカフェー・
パウリスタに入りびたっていた。

漠も辻があらわれると、十二階の裏手にある
「グリル茶目」に連れて行って
一緒に酒を呑む。
グリル茶目は、評論家であり
歌人でもある黒瀬春吉が経営していた店で、
入口のわきに「労働同盟会」という
看板をかけたおかしな飲み屋だった。

●夏
らいてう、名古屋新聞主催の
夏期婦人講習会の講師として赴き、
そのあと元名古屋新聞記者・
市川房枝の案内で、
愛知県下の繊維関係工場を視察。

【8月】
●8/1
大杉『獄中記』春陽堂より出版。

●8/4
大杉、尾行巡査殴打事件
の初公判(懲役三か月)。

●8/5
社会主義同盟結成。
社会主義者の大同団結。
➡『大杉栄研究』p286

●8/8〜8/14
山崎今朝弥が設立した労働者の教育機関、
平民大学が芝区三田の統一教会で開催。

社会主義者の大同団結を機運を促す。
同じ役目を果たしたのが、
山﨑が創刊したマルクス主義の
理論誌『社会主義研究』。
山川が啓蒙的は論文を掲載し
学生社会主義に歓迎される。
➡『大杉栄研究』p284

●8/11
大杉、保釈となり東京監獄から自宅へ帰る。

●8/13
林倭衛(はやし・しずえ)、
大杉が滞在している大石七分宅を来訪。
「出獄の日のO氏」を描き上げる。
大石七分は大杉の保釈金を出した。

林倭衛「出獄の日のO氏」
林倭衛・画「出獄の日のO氏」
(『大杉栄 伊藤野枝選集 第十巻』
黒色戦線社)

●中旬ころ
望月桂宅で望月が墨絵
「ある日の大杉」を描く。

●『労働者』8月号
大杉「僕等の主義」

【9月】
●9/1
第六回二科展が上野公園の
竹の台陳列館で開催(翌日から一般公開)。
「出獄の日のO氏」出展撤回命令を下される。
大杉と野枝、林とともに会場に足を運び、
撤回された絵のところに立つ。

●9/2
大杉、警視庁・正力松太郎を告訴。

●9/8
らいてふ『国民新聞』に
女工視察記を10回にわたり連載。

●9/18
神戸川崎造船所で職工が賃上げ闘争。
「サボタージュ」が流行語になる。

●辻、麹町九丁目の武林無想庵の家に居候。
無想庵は二階に居て、辻は階下の一室に暮らす。
●辻が翻訳した
ワイルドの『ド・プロフォンディス』(越山堂)出版。
※はしがきに「本郷の假寓にて」とある。

【10月】
●10/2
神近市子(31歳)出獄。
秋田雨雀とエロシェンコが自動車で
八王子刑務所に迎えに来る。
中溝民子宅に1年ぐらい
お世話になり文筆活動に入る。
伊豆修善寺温泉で
大正日日新聞の連載小説を書く。

入獄中、ワイルドの『獄中記』を訳す。
➡『日録・大杉栄伝』p296

●10/5
本所業平(なりひら)小学校で
友愛会婦人部主催の
婦人労働者大会が開かれる。
ワシントンで開かれる
第一回国際労働会議
代表選任をめぐりもめる。

閉会後、野枝、控え室に闖入し
政府代表の婦人顧問・
田中孝子(渋沢栄一の姪)に抗議。

「婦人労働者の経験のないあなたに、
婦人顧問をつとめる資格はないのだ。
一刻も早くおやめなさい」

らいてふが野枝に接したのはこ
の時が最後になる。

●10/6
第一次『労働運動』(月刊)創刊。
社員は大杉、野枝、和田久太郎、
近藤憲二(早大政経卒)、
中村還一、延島英一。
野枝は婦人欄を担当。

大杉「労働運動の精神」

大杉「国際労働会議」
ワシントンで開かれる
第一回国際労働会議について。

大杉「友愛会の戦士・
労働運動理論家賀川豊彦論」

労働運動創刊号
『労働運動』創刊号
(『大杉栄 伊藤野枝選集 第二巻』
黒色戦線社)

●10/24
長江と堺、大阪中之島公会堂で講演。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p222

【11月】
●11/13
第一次『労働運動』2号。

大杉「徹底社会政策」

大杉「最近労働運動批判」
安部磯雄、賀川豊彦、山川均らの
「批評」の批評。

大杉「労働運動家鈴木文治論」

●11月中旬
らいてふ、
大和安堵村に住む富本一枝を訪ねる。

●11/24
大阪朝日新聞主催で
第一回関西婦人大会が開催される。
らいてふ、新婦人協会の趣意書に通じる
「婦人の団結を望む」講演。

●平塚らいてう、
市川房枝らが新婦人協会結成。

●辻、無想庵が借家を出て
放浪に身を任せることにしたので、
無想庵の紹介で比叡山に上り、
宿院にてスティルナーの
『唯一者とその所有』の訳業を続ける。

●11/30
東大の学生を中心にする「新人会」
一周年記念の会で長江、得意の長唄を披露。

【12月】
●野枝「婦人労働者の現在」。➡『新公論』

●12/1
長江『資本論』第一分冊刊行(緑葉社)。
高畠素之(たかばたけ・もとゆき)
の攻撃始まる。

●12/5
望月桂が「黒燿会」会則で民衆美術宣言。
『大正自由人物語 望月桂とその周辺
(小松隆二著/岩波書店)119頁

●12月中旬
無想庵、比叡山に来山。
辻と宿院からさらに善光院に住む。

●12/18
大杉、尾行巡査殴打事件で懲役三ヶ月が確定。

●12/23
大杉、東京監獄に収監、
翌日、豊多摩監獄に移監。
1920年3月出獄。
ファーブルの英訳本を貪り読む。
➡「入獄の辞」
(『労働運動』第一次三号 1920年1月)

300px-Nakano_Prison
旧豊多摩刑務所。1915年竣工
(@ウィキペディア)

250px-Toyotama_Prison_Omote_Gate_2010
旧豊多摩刑務所表門
(@ウィキペディア)

●12/24
野枝、次女エマを出産。
エマは大杉の妹・牧野田松枝の
養女となり幸子と改名。

松枝の夫は天津在勤中の
陸軍翻訳官・牧野田彦松。
松枝は後、彫刻家・菅沼五郎夫人
として鵠沼で暮らす。

安成二郎が松枝と幸子の写真を見ている。
➡安成二郎『無政府地獄』「大杉君の遺児達」

菅沼五郎
➡大杉豊『日録・大杉栄伝』p370

●12/24
森戸事件起きる。
この日に発売された
東京帝国大学経済学部の機関誌
『経済研究』創刊号が即日発禁になり、
同誌に掲載された森戸辰男助教授の論文
「クロポトキンの社会思想史の研究」が
無政府主義を宣伝するものだ
として起訴された事件。

民本主義急進化の芽を摘もうとする
原内閣の政策であり、
アカデミー側から上がった反体制の声。

クロポトキン思想が流行る。
➡『大杉栄研究』p279

※この年
大杉と野枝は魔子を連れて、
荒木滋子・郁子経営の旅館、
玉名館に遊びに行った。

野枝は荒木姉妹とは青鞜時代からの友人。
郁子と相思相愛だった
岩野泡鳴も交えて交流。
泡鳴は翌年5月に病死。

荒木滋子の一人娘は
文学座女優だった荒木道子。
荒木道子の息子が荒木一郎。

【その他】
●山本鼎が信州で農民美術運動に着手。

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1918年(大正7年)23歳

2014年9月3日 水曜日


【1月】
●『文明批評』創刊(前年12月印刷)。
大杉が発行兼編集人、
野枝が印刷人。
二月に二号、四月に三号を出し廃刊。

大杉「飛行術的言論家」
大山郁夫批判。

大杉「最近思想界の傾向」
武者小路実篤の「白樺派」と
「民衆芸術論」の紹介者、
本間久雄を評価。

野枝
「転機」(一~四章)
➡『定本 伊藤野枝全集』(第一巻)

「彼女の真実ー中条百合子氏を論ずー」
➡『定本 伊藤野枝全集』(第三巻)

●『中央公論』1月号。
吉野作造「民本主義の意義を説いて
再び憲政有終の美を済(な)すの途を論ず」

●1/21
大杉&野枝の亀戸の家には
和田久太郎(1893-1928)、
久板卯之助(1877-1922)が同居。

大杉「久板の生活」
(『労働運動』第三次三号 1922年3月)
➡『大杉栄全集 第四巻』
『大正自由人物語』(P103)

●らいてう、子供の出生により両親と和解。
両親の援助を受けて
府下滝野川町田端四四五に
アトリエつきの家を購入。

芥川龍之介宅の近く。

【2月】
●2/1
『文明批評』2号。

野枝
「間抜けな比喩」(与謝野晶子批判)
「階級的反感」
➡『定本 伊藤野枝全集』(第三巻)
「転機」(五~八章)
➡『定本 伊藤野枝全集』(第一巻)

大杉「僕は精神が好きだ」
大杉「亀戸から」
大杉「小紳士的感情」
大杉「盲の手引する盲
ーー吉野博士の民主主義堕落論」
大杉「国家学者R」
Rは『中央公論』正月号に載った
有島武郎の小説「動かぬ時計」の主人公。

【3月】
●3/1
大杉ら有吉三吉宅の労働運動研究会に出席。

●3/2
「とんだ木賃宿事件」。
午前1時ごろ浅草区新吉原で大杉、久板卯之助、
和田久太郎、大須賀健治が
警察官の職務執行妨害罪で
浅草の日本堤警察署で取り調べを受ける。

●3/3
ブレスト=リトフスク条約締結。
ロシア、第一次世界大戦から離脱。

●3/4
大杉ら4人、東京監獄へ収監。

●3/6
大杉を除く3人、釈放される。
野枝、東京監獄に面会に行く。
➡「監獄挿話 面会人控所」
(『改造』1919年9月号)
『定本 伊藤野枝全集』(第一巻)

●3/9
野枝、内務大臣・後藤新平に
抗議の書簡を出す。
「書簡 後藤新平宛」
➡『野枝さんをさがして』(p76)

証拠不十分として一同不起訴、
大杉も釈放される。

大杉「とんだ木賃宿」
(『文明批評』第三号1918年4月)

野枝「獄中へ」
(『文明批評』第三号1918年4月)
➡『定本 伊藤野枝全集』(第三巻)

●『婦人公論』3月号に晶子「紫影録」掲載。
母性保護を国家に求めるのは依存主義。

【4月】
●4/7
大杉が発起してロシア革命記念会を開催。
高畠の革命謳歌論(ボル)と
大杉のアナキズム論(アナ)が激突。
翌日、村木が大杉をせせら笑った
高畠にピストルを突きつける。
➡近藤憲二『一無政府主義者の回想』
「村木源次郎のこと」p78

●4/9
『文明批評』3号。
発禁になり製本所で押収される。
『文明批評』終わる。

野枝「乞食の名誉」。
➡『定本 伊藤野枝全集』(第一巻)

●友愛会が大阪で六周年大会開催。
当時、友愛会は百二十支部三万人。

●大杉「民族国家主義の虚偽」
大山郁夫批判。
初出不明、稿末に1918年4月の日付あり。

●『婦人公論』4月号
野枝「背負ひ切れぬ重荷」

【5月】
●5/1
大杉&野枝、『労働新聞』を創刊。
発行人は久板卯之助、
編集兼印刷人は和田久太郎。
2号以下連続発禁になり4号(8/1)で廃刊。

●野枝「背負い切れぬ重荷」
(『婦人公論』4月号)。

●堀保子編輯『あざみ』創刊
(第一巻第一号5.5発行)。
発行所はあざみ社、
つまり堀の自宅
(四谷区南伊賀町四十一番地)。
この自宅は山田嘉吉・わか夫妻の自宅と近く、
かつて平塚らいてうが住んだ家。
『野枝さんをさがして』

●5/17
午後6時半。
「白山聖人」渡辺政(まさ)太郎
(1873〜1918)、死去。
※その葬儀➡『大正自由人物語』(P111)

渡辺、白山上の南天堂という
古本屋の二階で労働者
「研究会」を開く。
大杉の「平民講演会」、
堺の「社会主義座談会」と並ぶ、
東京三大者社会主義の集会。

●辻潤、デ・クインシィ
『阿片溺愛者の告白』出版。

●『婦人公論』5月号にらいてう
「母性保護の主張は
依頼主義かー与謝野晶子氏へ」掲載。

【6月】
●代準介とキチ、大阪から博多へ戻る。

●堀保子編輯『あざみ』2号
(第一巻第二号6.5発行)。

●6/8
島田清次郎『地上』刊行(新潮社)。
島田、長江に原稿を持ち込み、
長江が新潮社に紹介。

●6/29
野枝、避暑と金策のため
魔子を連れて九州へ出発。
6/30、博多着。
代の新しい家(住吉花園町/福岡市博多区住吉)、
今宿の実家、千代子の家に滞在。

●『太陽』6月号「粘土自像」
(晶子の随想連載)で晶子、
らいてうに反論。

【7月】
●堀保子編輯『あざみ』3号
(第一巻第三号7.5発行)。

●7/8
大杉、野枝、和田、久板、
亀戸から北豊島郡滝野川町田端二三七に転居。
ポインター種の大きな飼い犬
「茶ア公」も一緒に連れて行く。
和田、久板も同居。
➡『日録・大杉栄伝』p238

田端時代は『自由と祖国』
1925年9月号(大杉栄追悼号)
和田信義「初めて知った頃のこと」に詳しい。

●7/11
大杉、林倭衛と博多に出発し7/14到着。
大杉と野枝は8/6まで
今宿の実家に滞在、海水浴を楽しむ。

大杉、代準介と面会。
代、大杉を見直す。「困れば頭山を頼れ」。

●7/10
大石七分らが『民衆の芸術』創刊。
大杉、協力する。

●7/17
ウラル地方のエカテリンブルクの
イパチェフ館で、
ニコライ2世一家が処刑される。

Ipatiev_House_in_1918
ニコライ2世一家が処刑されたイパチェフ館
From Wikimedia Commons

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ソ連崩壊後にイパチェフ館の跡地に
建てられた「血の上の教会」

From Wikimedia Commons

●7/23
富山県魚津町で漁民の主婦による直接行動。
米騒動全国に広がる。

二ヶ月余り、一道三府三十八県、
五百か所にわたる。
参加した大衆は推定一千万人。

➡『一無政府主義者の回顧』p193

【8月】
●『労働新聞』4号(8/1)が
新聞紙条例違反に問われる。
発行人久板卯之助が禁固五ヶ月、
編集兼印刷人の和田久太郎が禁固十ヶ月。
➡『大正自由人物語』(p108)

●8/6
大杉、野枝、魔子、
今宿を発ち9日に大阪到着。

●8/11
大杉、米騒動を目撃視察。
野枝と魔子は12日に帰京。

大杉、大阪滞在中に母方の従兄・米はんを訪ね、
母方の祖父のことを聞く。
➡『大杉栄 伊藤野枝選集 第十巻』p7

●8/16
大杉、帰京するが板橋署に予防検束される。
米騒動に関与するおそれから。

●『婦人公論』8月号にらいてう
「母性保護問題に就いて
再び与謝野晶子氏の寄す」掲載。

【9月】
●堀保子編輯『あざみ』4号
(第一巻第四号9.5発行)。

●9/21
寺内正毅内閣が退陣し原敬の政党内閣誕生。

「平民宰相」原敬は
民本主義運動や普選運動に
対して高圧的に対処。
結果、労働者の普選への望みを
絶ち直接行動へと向かわせた。

●武者小路ら、宮崎県木城村に
「新しき村」創設着手。

●『中外』9月号に春夫「田園の憂鬱」発表。

●『太陽』9月号に山田わか「母性保護問題」
〈与謝野氏と平塚氏の所論に就いて〉掲載。

●『婦人公論』9月号に
山川菊栄「与謝野、平塚二氏の論争」掲載。

【10月】
●野枝、「白痴の母」(『民衆の芸術』第1巻第4号)。

●上山草人(かみやま・そうじん)
『煉獄』刊行(新潮社)。
長江、谷崎が序文を寄せる。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p202

【11月】
●辻、スタンレイ・マコウア
『響影ー狂楽人日記』出版。
この年、辻、早稲田大学裏の片岡厚
(のちの神近市子の夫)の下宿に
しばらく居候する。

●11/5
島村抱月がスペイン風
(1918年〜1919年)で死去。
松井須磨子、
抱月の後を追い自死(1919年1/5)。

●ドイツの降伏により欧州大戦終結。

●『太陽』11月号に晶子
「平塚、山川、山田三女子に答ふ」掲載。

【12月】
●吉野作造、民本主義を推進するため
「黎明会」設立。
二ヶ月前には大川周明、
北一輝などの国家社会主義
(産業の国有化)を標榜する
「老壮会」が結成され、
高畠素之「老壮会」に入会。
➡『パンとペン 社会主義者・
堺利彦と「売文社」の闘い』(p366)

●『婦人公論』12月号に山川菊栄
「与謝野晶子氏に答ふ」掲載。

●大杉の妹・橘あやめが米国から帰国。
宗一とともに大杉宅に同居。
飼っていた山羊と犬の記憶を書き残している。
➡『日録・大杉栄伝』p252
➡『女性改造』1923年11月号
橘あやめ「憶ひ出すまま」

大杉栄_1918
左から橘あやめ、野枝、魔子、進、大杉。
後ろ伸、勇

(『伊藤野枝全集〈下〉』 学藝書林)

※この年「さすらいの唄」
(野枝も口ずさんでいた)ヒット。

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1917年(大正6年)22歳

2014年9月3日 水曜日


【1月】
●堺、東京市から第十三回
衆議院議員総選挙に立候補。
4月選挙、二十五票で落選。
➡『パンとペン 社会主義者・堺利彦と
「売文社」の闘い』(p321)
➡『一無政府主義者の回顧』p181

●『新社会』(三巻五号)、大杉を非難。
堀保子、大杉との関係を
絶ったとの広告を出す。
堺「大杉君の恋愛事件」
高畠「大杉事件と自由恋愛と社会主義」
山川「恋愛と刃傷と小生の感想」
宮嶋「大杉事件の真相」

●『新日本』7巻1号。
大杉「ザックバランに告白し輿論に答う」

山田わか、山田たづ、
与謝野晶子(『太陽』)、
岩野泡鳴、武者小路実篤、
赤木桁平(こうへい)、一条生、
坪内士行(しこう)、安部磯雄らに反論。

事件後、らいてうが野枝に葉書を出す。
「こんどのことはあなたがたに
反省のいい機械を与えたことでしょう」

【2月】
●大杉(32歳)訳著『男女関係の進化』
(ルトウルノ)。

●2/17
大杉、明治大学「駿河台文芸講演会」で
講演する。
招聘したのは当時の明大生、
佐々木味津三(後に作家に。
「旗本退屈男」など)。

●2/19
神近市子(29歳)、
横浜地方裁判所で第一回公判。

●野上弥生子『中央公論』2月号に
「彼女」(野枝との交流)発表。

【3月】
●3/5
神近に四年の刑が下る。

●3/7
神近、保釈(懲役4年)になり
宮嶋資夫夫妻宅に滞在。

宮嶋資夫の妻、麗子(旧姓・八木麗子)は
元『万朝報』記者で『蕃紅花』同人。
神近は八木麗子の影響で社会主義に
興味を持つようになった。
➡『神近市子自伝 わが愛わが闘い』p138

大杉以前の神近の恋人、
高木信威との間の子供、
礼子(神近の郷里に預けてあった)が
保釈後すぐに病死。
➡神近市子『引かれものの唄』

心中未遂事件「千葉心中」。
枢密院副議長・芳川顕正伯爵家の
芳川鎌子とお抱え運転手・倉持陸助、
省線千葉駅近くの県立女子師範学校脇から
走行する6時55分千葉発本千葉行きの
単行列車に飛び込み自殺を図る。

●3/8
ロシアで2月革命。
ロシアの首都ペトログラード
(後のレニングラード、
現・サンクトペテルブルク)で、
食料配給の改善を求めるデモ、暴動。

3/15にニコライ2世が退位し
300年続いたロマノフ王朝による帝政が崩壊。
共和制国家誕生。

立憲民主党(カデット)主導の臨時政府と
ボリシェヴィキ主導のソヴィエト
(労働者・農民・兵士の評議会)の
二重権力状態となる。

臨時政府の実権は社会革命党のドゥーマ議員で
ペトログラード・ソヴィエトの副議長にもなった
アレクサンドル・ケレンスキーが握る。

8月、ニコライ2世は妻や5人の子供とともに
シベリア西部のトボリスクに流される。

AlexeiNicholas1917

Tsarevich Alexei Nikolaevich and
Tsar Nicholas II sawing wood
at Tobolsk in 1917

From Wikimedia Commons

●3/24
大杉と野枝、菊富士ホテルを出て転々とする。

●堀保子、『中央公論』3月号に
「大杉と別れるまで」発表。

【4月】
●4/20
第十三回衆議院議員総選挙の投票日。
堺、東京市から立候補したが落選。
普選と言論、集会、結社
及び婦人運動の自由を主張。

長江、応援演説をする。

●長江、『新小説』に
「家族主義道徳の余命いくばくぞ
ー某伯爵令嗣夫人に対する輿論を
吟味して」発表。
「千葉心中」に言及。

【5月】
●『中央公論』5月号。
大杉「丘博士の生物学的人生社会観を論ず」
➡『大杉栄 伊藤野枝選集 第十三巻』

●5/7
在京、各派社会主義者有志が
芝区新桜田町の山崎今朝弥宅に集まり、
メーデーの小集会。
ロシア3月革命について報告がある。
『一無政府主義者の回想』p183

【6月】
●大杉訳著『民衆芸術論』(ロマン・ロラン)。
文芸界に「民衆芸術」ブーム。

●6/9
長江の妻・藤尾、死去。

●6/17
神近、控訴審判決。
懲役2年の刑を宣告される。

神近が10月3日に下獄するまでに
書いたのが『引かれものの唄』。
➡『』

●6/24
大杉、翻訳書『民衆芸術論』を
和蘭陀書房(アルスの前身)から出版。
ロマン・ロラン著『平民劇場』の翻訳。

【7月】
●7/6
大杉&野枝(22歳)
北豊島郡巣鴨村大字宮仲二千五百八十三
(豊島区東池袋)に移転
(『炎の女 伊藤野枝伝』では9月)。

【8月】
●国枝史郎編集発行
『人間社会』創刊号(1917年8.5)
野枝「或る日或る時」、
神近「勝利の恋愛」、
堀「芝居を見に行く」。

●夏
らいてう一家、女中も連れて、
茅ヶ崎から東京府下滝野川に一戸を構える。

【9月】
●野枝「自由意志による結婚の破滅」
(『婦人公論』)。

●早稲田騒動、勃発。尾崎士郎が関わる。

●9/18
野枝、辻との協議離婚成立、伊藤家へ復籍。

●9/24
らいてう、長男・敦史出産。

●9/25
野枝、長女・魔子(真子~1968年)出産。
➡大杉「巣鴨から」(『文明批評』創刊号)
『大正自由人物語』(p105)

大杉、安成二郎に葉書を書く。
➡安成二郎『無政府地獄』「大杉君の遺児達」

●9/30
大杉宅にこのころから村木源次郎が同居。

●このどん底時代を村木源次郎が
『改造』1923年11月号に執筆。

大杉、野沢重吉夫人にお金を貸す。
➡安成二郎『無政府地獄』「挿話」

【10月】
●神近、『引かれものの唄』書き上げる。

●10/3
神近、東京監獄八王子分監に服役。

●内藤民治が『中外』創刊。
軍国主義反対雑誌。
長江の処女戯曲「円光」
堺の翻訳「野性の呼声」
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p188

●10/24
大杉栄翻訳『相互扶助論』
(クロポトキン)を春陽堂より出版。
宮本常一、小川未明らに影響を与える。

【11月】
●11/7
ロシアのペトログラードで十月革命。

立憲民主党(カデット)主導の
臨時政府が倒され、
ボリシェヴィキ主導のソヴィエト
(労働者・農民・兵士の評議会)に
権力が集中する。

ロシアが議院内閣制の国から
社会主義国へと変貌。

新政府はロシア国内の
反ボリシェヴィキ勢力や、
ロシア革命に介入した国々との戦争
ロシア内戦)が
1918年から1922年まで続く。

赤軍(共産主義者・十月革命側)

白軍(ロシア右派、共和主義者、
君主主義者、保守派、自由主義者)

ボリス・サヴィンコフなどの率いる緑軍
(社会革命党系、農民パルチザン)

ネストル・マフノ率いる黒軍(アナーキスト)

CWRArticleImage
From Wikimedia Commons

【12月】
●12/27
大杉と野枝、『文明批評』創刊号を発行。
3号まで続く。

大杉「僕等の自負」
大杉「正義を求める心」

〈生命とは、要するに、復讐である。
生きて行くことを妨げる邪魔者に対する
普段の復讐である。
復讐はいっさいの生物にとっての
生理的必要である。〉

●野枝「嫁泥棒譚」(『女の世界』)。

●12/29
大杉と野枝、
巣鴨から南葛飾郡亀戸町
2400に転居。

●12/31
大杉と野枝、魔子を連れ
大森の山川夫妻宅を訪れ正月を迎える。

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1916年(大正5年)21歳

2014年9月3日 水曜日


【1月】
●1/1
青鞜第6巻1号。
表紙に「読者諸氏に」。
青山菊栄「日本婦人の社会事業について
伊藤野枝氏に与う」、
野枝「青山氏へ」掲載。

➡『自由 それは私自身ー評伝・伊藤野枝ー』
〈野枝の現実認識には、妹ツタの婚家先が
下関で郭を開業していたことが
意識されていたかもしれない〉。

●1/1
『近代思想』3巻4号。
大杉「個人的思索」

〈いかに自由主義をふり廻したところで、
その自由主義そのものが他人の判断から
借りて来たものであれば、
その人はあるいはマルクスの、
あるいはクロポトキンの、
思想上の奴隷である。
社会主義運動は、
一種の宗教的狂熱を伴うとともに、
とかくかくのごとき奴隷を
製造したがるものである。
僕等は、いかなる場合にあっても、
奴隷であってはならない。〉

●『新潮』1月号。
大杉「物事考え方」
『早稲田文学』120号(1915年11月号)
大杉「近代個人主義の諸相」に対する、
加藤朝鳥の批評
(『新潮』1915年12月号)への反論。

大杉「大正五年文壇の予想」
・思想界は自分の「社会的個人主義」
・作家では荒畑寒村、志賀直哉、
小川未明、武者小路実篤、
『坑夫』を自費出版する宮島資夫注目。
・評論界では自分、生田長江、
相馬御風に注目。
平塚らいてう、伊藤野枝に期待。

●『早稲田文学』1月号。
大杉「ベルグソンとソレル」

●1/3
野枝(21歳)、「雑音」を大阪毎日新聞に
連載開始(1/3~4/17断続的に連載)。

「雑音」は1912年晩秋から
1914年ごろの青鞜について。
➡『定本 伊藤野枝全集 第一巻』解題

●1/3
大杉、深夜、宮嶋を訪ね神近のことを告白。

●この月
宮嶋資夫『坑夫』が近代思想社から出版。
労働文学の先駆け。

●1/15
大杉、白山下の辻潤宅を訪問。
青山菊栄も辻宅を訪れ、
青山と野枝の公娼廃止をめぐる
論争の調停が目的。
➡山川菊栄「大杉さんと野枝さん」
『婦人公論』1923年11月号
『おんな二代の記』
➡『日録・大杉栄伝』

●『婦人公論』創刊。

●吉野作造「憲政の本義を説いて
其有終の美を斉すの途を論ず」が
『中央公論』1月号に掲載される。

●五十里幸太郎、『平明』
(2月から『世界人』)創刊。

●1/25
山川均、鹿児島から上京。
堺の『新社会』の編集に参加。

●1/25
大杉、寒村の隔絶により第二次
『近代思想』廃刊。

●『早稲田文学』1月号。
大杉「ベルグソンとソレル」。

●神近、東京日日新聞を退社。
結城礼一郎の秘書となり翻訳を生業にする。

このころ神近、大杉に
ニコライ・チェルヌイシェフスキー著
『何を為すべきか』の共訳を
持ちかけられる。
➡神近「豚に投げた真珠」
(『改造』1922年10月号)

【2月】
●2/1
青鞜第6巻2号(通巻53冊)をもって終わる。
野枝「再び青山氏へ」、
青山菊栄の反論「更に論旨を明らかにす」。

野枝の大杉の新著『社会的個人主義』書評掲載。

●2/1
大杉ら平民講演会の最中、検束される。
山川均と青山菊栄が出会う。

●2月上旬
大杉(31歳)と野枝、
夜の日比谷公園のしげみで
熱いキスをする。
その夜、大杉が神近にそれを告白。

●2/11
らいてう、曙生を連れて、
茅ヶ崎の南湖院そばの借り間に転居。

晩夏、「人参湯」の離れを借り、
南湖院を退院した博史と三人で暮らす。
この年、奥村、「博」から「博史」に改名。

●2月中旬ごろ
宮嶋宅で大杉、神近、野枝会談。
大杉、自由恋愛の三条件を出す。
➡『日録・大杉栄伝』p175

※以下要再検証。

翌日、神近から「永遠にさようなら」
という手紙が大杉に届く。

神近の下宿(霞町)を訪れた大杉に、
神近「帰れ、帰れ」と絶叫。

大杉、宮島の家を訪問し、
昨夜、神近が酔って暴れたことを聞く。
そこに神近が現れて大杉に
「私、あなたを殺すこと
に決心しましたから」。

●2/21日(~12月19日)
ヴェルダンの戦い
(第一次世界大戦)始まる。

フランス軍362,000人、
ドイツ軍336,000人の
死傷者を出す。

1200px-Cemetery_Verdun_1
Picture of cemetery, Verdun, France
by Kek
From Wikimedia Commons

●2/23
野枝、「西原先生と私の学校生活」
(西原和治編輯兼発行『地上』
第一巻第二号1916.3.20)
の原稿を執筆。
➡『野枝さんをさがして』

●2/25
辻潤「西原君と僕」
(西原和治編輯兼発行『地上』
第一巻第一号1916.2.25)
➡『野枝さんをさがして』

●2月末
大杉、武者小路実篤を訪問。

【3月】
●3/3
堀保子、逗子を引き上げ
四谷区南伊賀町に借家する。
山田嘉吉・わか夫妻の東隣り、
茅ヶ崎に転居したらいてうが
2月中旬まで住んでいた家。

●野枝、野上彌生子に大杉のことを相談する。
「『別居』に就いて」
(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』では
「申訳丈けに」)
「転機」「乞食の名誉」。

●3/5
大杉、山﨑今朝弥宅で堀保子との
離婚協議をし別居だけを決める。

●3/9
大杉、麹町区三番町の下宿、
第一福四万館に移住。

●芥川、久米、菊池寛ら
第四次『新思潮』創刊。
芥川「鼻」を漱石が絶賛。

●3月ごろ
新潮社の佐藤義亮から大杉に絶交状が届く。

【4月】
●野枝「英雄と婦人」
(『一大帝国』第一巻第二号 1916.4.1)
➡『野枝さんをさがして』

●4/5
大杉、日本著作家協会の創立総会に出席。

●4/24
野枝、流二を連れて辻の家を出て
神田三崎町の玉名館
(ぎょくめいかん。青鞜社時代の同僚・
荒木郁子の実家)に滞在。

●4/29
野枝、大杉と仲間に見送られて
両国駅(総武線鉄橋が隅田川に
架橋されたのは1932年)から
御宿に向かう。

千葉県夷隅(いすみ)郡御宿
(おんじゅく)町の上野屋旅館に滞在。
野枝と大杉、熱々の手紙を交わす
(4/30~7/16※『吹けよ』に収録)。

●辻潤、上野寛永寺の一室に住む。
その後、下谷区北稲荷町三四番地に
住み本籍もここに移す。
母と一(まこと)との3人暮し。

この家に「英語、尺八、
ヴァイオリン教授」の看板を掛ける。
浅草時代が始まる。
彼はここを根城にして
「パンタライ社」と称する。

英語を教えた生徒の中に尾崎士郎らがいた。
早大英文科在学中の河合勇
(元朝日新聞印刷局長)によると
(三島寛著『辻潤 その芸術と病理』)
「ワイルドの〈ドリアングレーの画像〉を
教えてもらいました」。

【5月】
●5/4
大杉、御宿の上野屋旅館に野枝を訪ねる。
6日まで滞在。

●5/7
安成二郎、大杉に面会。
『女の世界』の原稿依頼をする。
➡安成二郎『無政府地獄』
「大杉栄君の恋愛事件」

●5/9
安成二郎、千葉の御宿の野枝を訪問。
原稿を依頼する。

●5/14
辻潤、浅草観音劇場で
芝居「どん底」に男爵役で出演(〜5/23)。

●5月中旬
大杉、上野屋旅館に来る。5/27に帰京。

●神近、東京日日新聞を退社し
結城礼一郎の秘書になる。

※大杉と野枝の書簡。
5/27の野枝から大杉宛と
5/30、5/31の大杉から野枝宛書簡があるが、
この間に野枝から安成二郎
(当時、『女の世界』編集兼発行人)
宛に出された手紙あり。
➡『野枝さんをさがして』(p53)

【6月】
●『女の世界』6月号(第二巻第七号)が
大杉栄をめぐる恋愛事件を特集。
(30日発禁に)。

安成二郎「大杉栄君の恋愛事件」
大杉栄「一情婦に与えて女房に
対する亭主の心情を語る文
」(脱稿は5/12)
神近市子「三つの事だけ」
伊藤野枝「申訳丈けに」
野依秀一「野枝サンと大杉君との事件」
(批判)。
➡安成二郎『無政府地獄ー大杉栄○記』
(新泉社・1973年10月)

●6月中旬
大杉、野枝に会いに御宿に行き、
21日まで滞在。

●6月中旬
流二を千葉県夷隅(いすみ)郡大原町根方
(ねかた)の若松家に里子に出す。
流二はのち「里流れ」になり若松姓に。

「子供は預かってくれるそうです。
上野屋の親類の人で、
鉄道院へ出ていた人の細君で
、子供二人をかかへているまだ若い人です。
その人は預かりたがっています」
(一九一六年六月一日)。

●上野屋旅館滞在中、
大阪に引っ越した代準介はキチに夏用の衣服を
野枝に送らせる。お金は送らない。

●『中央公論』『新潮』も記事にする。

【7月】
●6月下旬から7月初め
野枝、東京に戻り大杉の下宿・
第一福四万館(千代田区九段下界隈)に入る。
10日ほど同棲。

●7/13
夜行に乗り(大杉が見送りする)
7/14朝8時に大阪駅着(旅費は代が送った)。
借金するため大阪の代準介宅へ向かう。

警察の尾行まで付いている野枝に、
代準介とキチは大杉との
関係を断たせるべく画策。
アメリカ行きを勧める。

●7/17
代キチ、野枝を和歌山の和歌浦浜に
連れて行き海水浴を楽しませる。

たぶん野枝はこんな水着を着て
泳いだと思われる。

大正時代水着

●7/19
野枝、大阪から帰京。

●『新潮』7月号
有島武郎「クロポトキンの印象」。

1907年冬、有島がロンドン郊外に
住むクロポトキンを訪問。
『相互扶助論』について語り合ったことを記述。
➡『大杉栄 伊藤野枝選集 第八巻』p318

有島『惜しみなく愛は奪う
(1917年刊)でも
クロポトキンの相互扶助について言及。

【8月】
● 8/24
野枝、大杉の『近代思想』
再刊の資金作りにのために
再度、大阪の代準介宅へ。
代準介に頭山満への紹介状を
書いてもらい福岡へ向かう。
頭山満は金がなかったので
杉山茂丸に紹介状を書き野枝に渡す。

野枝の2回の金策の旅費だが、
神近「豚に投げた真珠」によれば、
神近が拠出した。

●『早稲田文学』に本間久雄
「民衆芸術の意義及価値」掲載。

【9月】
●9/8
野枝、帰京。
麹町区三番町第一福四萬(ふくしま)館で
大杉と同棲を始める。

●9月中旬から下旬
野枝、杉山茂丸に面会するが、
杉山が大杉に会いたいというので、
大杉が台華社を訪ねる。
金策はならなかったが、
杉山が後藤新平の名前を出す。

●河上肇「貧乏物語」が『
大阪朝日新聞』に連載開始(12月まで)。

●望月桂夫妻、一膳飯屋「へちま」を開業(1917年7月閉店)。
下谷区谷中坂町21番地(
台東区谷中1丁目2番17号)。

久板卯之助、和田久太郎、辻潤、
五十里(いそり)幸太郎も常連客だった。
➡『大正自由人物語』(P48)

●『中央公論』9月号
中条百合子、『貧しき人々の群』掲載され
天才少女として注目を集める。

【10月】
●久板卯之助、
『労働青年』創刊。発行所は「へちま」。

●10/15
大杉&野枝、下宿料不払いで
第一福四万館を追い出され、
宿泊中の大石七分
(大石誠之助の甥)の紹介で
本郷区菊坂町の菊富士ホテル
(文京区本郷5丁目)に移る。

七分の長兄は文化学院の創始者・西村伊作。

菊富士ホテル滞在中、
大杉は五十里に羊羹の土産を催促した。
『自由と祖国』1925年9月号/
五十里幸太「大杉君のこと」

●10/30
大杉、内務大臣・後藤新平を官邸に訪ね、
300円を入手。
※大杉が後藤新平に金を要求したのはなぜか?

内務省は発行された新聞や雑誌を発禁、没収、
発行人の逮捕と打撃をあたえ続けている。
私服刑事のしつこい尾行も
プライバシー侵害であり営業妨害である。

大杉と後藤、互いに親近感があったようだ。
➡『時代の先覚者 後藤新平』
(大杉栄ーアナキストへの関心/鎌田慧)

●『早稲田文学』10月号。
大杉「新しき世界のための新しき芸術」

●このころ
望月桂が久板に連れられて
菊富士ホテル滞在中の大杉と面会する。

【11月】
●11/2ころ
五十里幸太郎、菊富士ホテルを
訪れて大杉の面前で野枝を殴る。
野枝が逆襲し五十里と取っ組み合いになる。
➡『日録・大杉栄伝』

●11/3
大杉、「与太話の会」に出席後、神近を訪問。

●11/5
大杉と野枝、新婚の山川均・
菊栄夫妻宅へ祝福訪問。

●11/6
野枝&大杉、
茅ヶ崎滞在中の平塚らいてうを訪ねる。
大杉にはふたりの尾行がついていた。
➡『元始女性は太陽であった』(下)p607

三浦郡葉山村の日蔭茶屋に宿泊。

その日の夜、神近が菊富士ホテルに電話して、
大杉と野枝が葉山に出かけたことを知る。

●11/7
神近、午後3時ごろ、東京駅(?)から
逗子行きの汽車に乗り日蔭茶屋に到着。
三人で床を並べて寝る。

葉山に出かける時点で神近は自殺を覚悟。
問題は大杉を殺してから自殺するか・・・。

甥(従姉の子)の援助でピストルを入手。
夜、青山墓地で大地に向かって発射してみた。
手が震えてピストルを断念。

生毛屋で短刀をあつらえる。
➡「豚に投げた真珠」

●11/8
野枝、朝食後ひとりで帰京。

●11/9
未明(午前2時半か3時半ごろ)、
神近市子が大杉を刺す
(日蔭茶屋事件 11/11東京朝日新聞記事)。

神近、逗子の派出所に自首。
葉山分署に護送され横浜の
根岸監獄に拘置される。

●11/10
野枝、宮嶋らに打擲される。

●11/12
安成が見舞いに行くと、
村木が大杉の枕頭に座っていて
「俺ならもっとうまく刺すんだが、
惜しいことをしたなア」と言うと、
大杉も苦笑して「まったくだ」。

➡安成二郎『無政府地獄 大杉栄襍記』
「かたみの灰皿」
➡安成二郎『無政府地獄』「葉山事件」

●11/15
大杉、翻訳書『男女関係の進化』
(C・ルトゥルノー)出版(春陽堂)。

日陰茶屋事件のため
翻訳者は「社会学研究会」として出版。
1925年に大杉栄訳として再版。

結論「家族の解体と男女んお自由結合」が
大杉の自由恋愛論に転用された。

●11/21
大杉、逗子の千葉病院退院、
菊富士ホテルに戻る(~1917年3月下旬)。

日蔭茶屋事件は多くのの新聞雑誌で非難され、
以後、野枝と大杉は孤立。
大杉は妻・堀保子と離婚。

※『辻潤全集 別巻』の年譜によれば、辻は1916年11月に無想庵の紹介で比叡山に上り僧坊に隠りスチルネルの翻訳を続け、僧坊の一室を借りて勉強にきていた同志社女学校英文科の学生、野溝七生子を知る……ことになっているが、辻潤年譜では辻が比叡山に入山したのは1919年11月。当年譜では1919年11月にしておきます。

●長江、『太陽』11月号に
「自然主義前派の跳梁」発表。
白樺派批判。

【12月】
●『ピアトリス婦人公論』『太陽』
『六合雑誌』『新聞の新聞』『日本評論』
など、日陰茶屋事件の大杉、
野枝批判記事掲載。

●上旬ころ
大杉、帝劇で河竹黙阿弥作「碁盤忠信」観劇。
『新日本』1月号に
この歌舞伎になぞらえて批判記事の反論を書く。

●12/9
漱石、午後7時前、胃潰瘍により死去(49歳)。

●12/10
大杉と野枝、栃木県下都賀郡藤岡町の
旧谷中村を訪ねる。

12月10日が立ち退きの期限の日だった。
➡『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「転機」解題

●12/13
朝、名古屋在住の大杉の妹・秋子(19歳)
包丁を喉に刺し自殺。
日陰茶屋事件で縁談が破談になったため。

大杉、夜行で名古屋に行き葬儀に参列する。

●12/19
山崎今朝弥と堺利彦の仲介で堀保子、
大杉と離婚。
大杉との別離を公告
(『新社会』1917年1月号)。

●堀保子、堺、山川、荒畑、高畠らが
編集する『新社会』は同人総出で大杉批判。

●『中央公論』『太陽』などの雑誌も論評。

●野枝、魔子を身ごもる。

●この年、野枝、
特別要監視人(甲号)に編入。

●12/30
サンクトペテルブルクで
ラスプーチン、暗殺される。

1133px-Rasputin_Photo
Rasputin and his admirers, 1914
by Karl Bulla
From Wikimedia Commons

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1915年(大正4年)20歳

2014年9月3日 水曜日


【1月】
●青鞜5巻1号。
野枝『青鞜』の編集兼発行人になる。
野枝「『青鞜』を引き継ぐに就いて」。

らいてう「青鞜と私ー『青鞜』を
野枝さんにお譲りするについてー」』。

●1/15
月刊『平民新聞』第四号発行。

●1/18
大隈重信内閣(加藤高明外務大臣)が
袁世凱に5号21か条の要求。

●1/20ころ
大杉、竹早町の辻潤宅を訪問し、
『平民新聞』3号を隠してくれた
礼を野枝に言う。
クロポトキンの『麺麭の略取』を
野枝にプレゼントする。

辻が『平民新聞』(週刊/日刊)の
バックナンバーを
全て保存していることを知る。

●1月末ころ
大杉、馬場孤蝶の衆議院選立候補の件で
田中貢太郎に抗議する。

●このころ
野枝、一を背負い、
山田嘉吉、わか夫妻の宅に通い学ぶ。
らいてう、斉賀琴子、岡田ゆきも学んでいた。

当時のことを野枝は「乞食の名誉」に記す。

らいてうも『元始(下)』に記す。

●1月末ころ
野枝&辻潤宅に
渡辺政太郎(まさたろう)、
若林八代(やよ)夫妻が来訪し
足尾銅山鉱毒事件の話をする。
(来訪したのは宮嶋資夫・
麗子夫妻だったという説もある)。

『定本伊藤野枝全集第一巻』「転機」解題は
渡辺政太郎(まさたろう)、
若林八代(やよ)夫妻と指摘。

野枝、谷中村問題に関心を持つ。

250px-Yanaka_village
旧・谷中村 跡(現・栃木市)
(@ウィキペディア)

大杉、野枝に自著『生の斗争』、
自訳『種の起原』(ダーウィン)、
ローザ・ルクセンブルグの肖像写真を贈る。

野枝、返礼をかねて
大杉に谷中村に関する手紙を出す。

後に大杉は月に1回くらい辻の家を訪れ、
辻とマックス・スティルナーの
「唯一者と其の所有」の話などをする。
辻はこの本を自分のバイブルだと言って尊崇し
愛読していた。(大杉栄「死灰の中から」)

●この月
東京日日新聞社会部記者・神近市子、
大杉に面会する。

【2月】
●青鞜5巻2号。
野枝「貞操に就いての雑感」で
「貞操論争」に加わる。

●2月
らいてう&奥村、御宿から帰京。
小石川区西原町一の四に住む。
奥村、近くの小石川植物園に
毎日のように写生に行く。

●2/10ころ
大杉、辻潤宅に野枝を訪問する。辻在宅。

●2月中旬
辻&野枝、
小石川区指ケ谷町九二番地に移転。

竹早町の家で引っ越し準備をしているとき、
中村狐月が訪ねてくる。
➡中村狐月『現代作家論』「伊藤野枝論」
➡『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「妾の会った男の人々」(中村狐月)

●2/16
月刊『平民新聞』第五号。
印刷中に全部押収される。

●2/17
『平民新聞』5号発禁押収に抗議し、
大杉らデモ行進。

●2/20ころ
大杉、野枝を訪問する。辻在宅。
野枝、『青鞜』の印刷所を大杉に紹介する。

2月のある日の晩、
堀保子が大杉と野枝が待合に入ったのを
見たという人の話を大杉にする。
➡『死灰の中から』

【3月】
●3/1
辻潤(奥村博を伴い?)、大杉らが主催する
平民講演会(サンジカリズム
研究会から発展)に参加。

●辻潤、『阿片溺愛者の告白』を訳し始める。
翌年半ばに訳了。

●『新公論』三月号にらいてう「処女の価値」掲載。

●3/20
大杉、荒畑、3/15付け『平民新聞』6号発行
するが発禁処分になる。

後に有吉三吉がスパイだったことが判明。
『平民新聞』は同号で廃刊。

大杉「労働者の新聞」

●3/25
第十二回衆議院議員選挙
長江のバックアップで馬場孤蝶が
立候補するが落選。

与謝野鉄幹も京都から立候補するが落選。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p169

●3/26
大杉、野枝を神田西小川町の印刷所
大精社で待つが会えず。
日陰茶屋に行く。
➡『日録・大杉栄伝』

●『時事新報』3月号。
大杉「茅原華山を笑う」。

茅原の『第三帝国』掲載
「農村革命論を読む」の
「社会主義に対する杞憂」への反論。

茅原の「大杉栄先生に謝し奉る」が
『第三帝国』に掲載。

大杉「再び茅原華山を笑う」
(初出不明/原稿末に5/7の日付あり)
日清戦争のことを
「二十七、八年の役」と表記。

【4月】
●大杉『新公論』4月号に
「処女と貞操と羞恥と-
野枝さんに与へて傍らバ華山を罵る」
(野枝へのラブレター)発表。

●4月初め
日陰茶屋から戻った大杉、
野枝からの第二信を受け取る。

●らいてう「時事新報」に
「峠」を大正4年4月1日から
21日まで連載。
つわりのため、中断のまま終わる。

●『早稲田文学』4月号
大杉「個人主義と政治運動」。

馬場孤蝶および彼を衆議院議員候補者に
担ぎ上げた生田長江と安成貞雄へ
明答と反省を求める。

大杉(アナーキズム)が
なぜ議会政治を否定するのか、
その理由がよくわかる。

●4/7ころ
生田春月、大杉宅を訪問。

●4/26
大杉、帝劇で「飯」観劇。
秋田雨雀がエロシェンコを紹介。

●このころ(野枝と辻が別れる1年ぐらい前)、
辻潤と野枝の従妹・坂口キミ
(伊東キミ/野枝の叔母・
坂口モトの娘)が不倫。

坂口キミは一時期、
野枝(20歳)&辻潤宅に寄宿していた。
坂口キミは野枝の一歳下で
野枝が最も親しくしていた。

➡『野枝さんをさがして』によれば(p51)、
『定本 伊藤野枝全集』
(第二巻)口絵写真に坂口モト、
辻、一を抱いた野枝とともに写っている
(辻美津、辻恒のキャプションは誤り)。
➡「従妹に」(『青鞜』1914年3月号)
『伊藤野枝全集 下』
➡「偶感二三」(『青鞜』1915年7月号)
『伊藤野枝全集 下』

●4月
佐藤教頭と西原が上野高女を退職。
野枝、同総会に出席。
➡「編輯室より」(青鞜1915年第五巻第五号)

●長江、『ニーチェ全集』(新潮社)
翻訳に取りかかる。

【5月】
●長江夫妻、府下巣鴨村に引っ越す。

●『新潮』5月号。
大杉「自我の棄脱」。
ベルグソンの論理を反映。

●青鞜5巻5号。
野枝「虚言と云ふことに就いての追想」

【6月】
●6/1
青鞜5巻6号。
野枝「堕胎論争」に関して
「私信ー野上彌生子様へ」発表。

『青鞜』同号は堕胎に言及した原田皐月の
「獄中の女より男に」で
発行禁止(風俗壊乱)。

●6/19
大杉、平民倶楽部で
「フランス文学研究会」を始める
(翌年5月まで続く)。

おもな参加者は以下。
神近、青山菊栄、宮嶋夫妻、
尾竹紅吉、西村陽吉、
山田吉彦(きだみのる)、
慶大生の野坂参三。

【7月】
●野枝、『新潮』7月号に
「私が現在の立場」を発表。

同号口絵に「伊藤野枝女史」として
一(まこと)と一緒に写った
写真も掲載された。
➡『定本 伊藤野枝全集 第二巻』p469

定本伊藤野枝全集第二巻01
『定本 伊藤野枝全集 第二巻』
(学藝書林)より

●7/1
大杉、平民講演会を開催。
エロシェンコがロンドンで
クロポトキンに会見した様子をエス語で話す。

このころの大杉の愛読書は
各国訳の『昆虫記』(ファブル)。
各国訳で読むことにより
語学力がましたらしい。
➡『日録・大杉栄伝』p159

●7/1
『青鞜』5巻7号。
野枝「偶感二、三」
(辻が野枝の従妹との間に犯した
性的過失に言及)。

●7月初旬
らいてう夫妻、四谷南伊賀町42、
山田嘉吉・わか夫妻宅裏隣へ移転。
山田嘉吉の弟の持ち家。
以前は山田の友人、
弁護士・山﨑今朝弥が住んでいた。
らいてう夫妻の後、堀保子が住む。

新進の婦人問題研究家・山田嘉吉・
わか夫妻のところに通い学ぶ。
エレン・ケイ、アメリカの
社会学者レスター・ウォード。
女学生だった吉屋信子も
英語を習いにきていた。

江口章子(あやこ)、九州柳川の婚家から
らいてう夫妻の南伊賀町の家に
飛び込んで来る。
江口は後、北原白秋夫人になる。

●7/7
野枝、野依秀市と会う。
➡『定本 伊藤野枝全集 第三巻』

●7/11
野枝、山田邦子に手紙を書く。
➡『定本 伊藤野枝全集 第二巻』

●7/20
野枝、辻との婚姻届を出す。

●7/24
野枝、出産のため辻、一を伴い今宿へ帰郷。
12月初めまで滞在。
➡『定本 伊藤野枝全集 第二巻』p471

留守中の『青鞜』業務は
日月社の安藤枯山が好意で代行
(生田花世も手伝う)

辻「陀々羅行脚」に、
今宿の海岸で半年近く暮らしたとある。

【8月】
●8/2
小口みち子と日向きむ子(大正三美人の一人)、
売文社を訪れる。
➡『パンとペン 社会主義者・堺利彦と
「売文社」の闘い』(p311)

●8/15
『第三帝国』49号に大杉「史的社会観
狐月君の挑戦に応じ予が社会論を論ず」。
『早稲田文学』4月号の
大杉「個人主義と政治運動」に対する
中村狐月の反応への反論。

●8/18~8/23
第1回全国中等学校優勝野球大会が
大阪府の豊中グラウンドで開催される。

Ceremonial_First_Pitch_1915
村山龍平朝日新聞社長による始球式
(@ウィキペディア)

●青鞜8月号は欠号。

●岩野泡鳴・清夫妻が別居。

【9月】
●9/1
『第三帝国』50号。
大杉「僕の現代社会観」
中村狐月批判。

●9/1
青鞜5巻8号。四周年記念号。
平塚「個人としての生活と性としての
生活との間の争闘に就いて」。
有島武郎から「感心した…」
という長文の手紙が届く。

山田わか「堕胎に就いて」。

●堺、『へちまの花』を改題し『新社会』創刊。
普選運動の推進をはかる。
➡『パンとペン 社会主義者・堺利彦と
「売文社」の闘い』(p309)

●9/30
大杉夫妻、小石川区武島町に引っ越す。

【10月】
●10/1
青鞜5巻9号。

●10/7
大杉、寒村、第二次『近代思想』三巻一号
刊行(発行人/宮島資夫)。
神近、その編集事務を手伝う(経済的援助も)。

大杉「二種の個人的自由
福田博士の新社会論を読む」

大杉「労働運動とプラグマチズム」

第二次『近代思想』2号〜4号が
発禁になり4号で廃刊。

●大杉「男女関係の進化」執筆。
『社会的個人主義』に掲載。

●10/10
大杉、野沢重吉の法要に列席。
9/25に「築地の親父」と親しまれた
車夫・野沢重吉、胃癌のため
慈恵医院で死去。

野沢重吉
野沢重吉
(@『大杉栄 伊藤野枝選集 第五巻』
黒色戦線社)

●長江夫妻、本郷区森川町に引っ越す。

●『塵労』10月号。
大杉「道徳非一論」

【11月】
●11/1
『近代思想』3巻2号。
大杉「事実と解釈」
大杉「意志の教育
マクス・スティルナーの教育論」

●11/1
青鞜5巻10号。
斎賀琴(琴子)の反戦作品「戦渦」。

原阿佐緒、
歌「泣かましきこと」が載る。
➡『元始、女性は太陽であった(下)』419頁

●11/4
野枝、今宿にて次男・流二
(若松流二/〜1998年/日本郵船の船員に/
戦後は北海道の開拓農場で働く)を出産。

婚姻届提出後、約4か月間、辻と一と帰省。
代準介の家にも居候する。
一を千代子に預けたり。

●11/10
京都御所紫宸殿で
大正天皇即位の礼が行なわれる。
東京日日新聞記者の神近市子、取材する。

神近、大杉栄と恋愛関係になる。
➡『神近市子自伝 わが愛わが闘い』p134

この日、大杉夫妻は伝通院前の
内田大弓場で矢を射る。

●11/25
大杉、評論集
『社会的個人主義』出版(新潮社)。

●『早稲田文学』120号(11月号)
大杉「近代個人主義の諸相」

【12月】
●12/1
『近代思想』3巻3号。
六日、発禁。

大杉「労働運動と個人主義
ー労働者の個人的社会創造力」

●12/1
青鞜5巻11号。
野枝「傲慢狭量にして不徹底なる
日本婦人の公共事業に就いて」
(この原稿は今宿滞在中に執筆)。
以後、青山菊栄との間で「廃娼論争」。

●12/9
らいてう、長女・曙生出産。

●12月初め頃
野枝、帰京
(『読売新聞』十二月二十二日号)。

●12/15
大杉夫妻、逗子町葉山に移住。
大杉、上京の折り神近宅に宿泊。
神近との仲が急接近する

●12/26
大杉、神近と日本橋で食事をし泊まる。

●12/27
大杉、著作家協会の設立準備会に参加。
参加した佐藤紅緑の回顧
「創立の熱心者として大杉君を知った」。

●辻、スティルナー
「万物は俺にとつて無だ」を訳し、
土岐善麿主宰の雑誌「生活と芸術」に発表。

●『中央公論』12月号。
大杉「茅原華山論」。
茅原と雑誌『第三帝国』批判。

【社会】
●「カチューシャの唄」
「ゴンドラの唄」ヒット。

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1914年(大正3年)19歳

2014年9月3日 水曜日


【1月】
●『青鞜』4巻1号。
野枝「ウォーレン夫人とその娘」
「編集より・武者小路実篤氏に」。
西崎花世「恋愛及生活難に対して」。

●1/1
『近代思想』第2巻4号。
大杉「生の創造」。

大杉「時が来たのだ 相馬御風君に与う」。
大杉、相馬論争始まる。

●野枝「新しき婦人の男性観」
(『新婦人』第四年一月之巻
1914.1.1/談話筆記)
➡『定本 伊藤野枝全集』(第二巻)

●1/3
岩野泡鳴、清子宅で青鞜の新年会。
二月号に写真入りでリポート。

この後、玉名館で社の新年会。
➡『「青鞜」の火の娘』p80

●1/10
大杉、二ヶ月間の病床から復帰。
葉山・日陰茶屋に四、五日滞在。

●1/13
平塚らいてう(28歳)、
置き手紙(『青鞜』4巻2号
「独立するに就いて両親に」)をして
実家を出る。
奥村博との「共同生活」開始。
府下巣鴨町3ノ3/
巣鴨のとげぬき地蔵そば。

〈たしか一月十一日でしたが、
私は「御両親様」と書いた部厚い封筒を
母に渡しました。
それは一万字ほどのものでしたが、
こみあげてくる涙をおさえ、おさえ、
前の晩に夜を徹して
書いたものです。・・・
それから二日目の十三日、
私は予定通り家を出ました。〉
➡『わたくしの歩いた道』p149

●堺利彦、『へちまの花』創刊。
➡『パンとペン 社会主義者・堺利彦と
「売文社」の闘い』(p288)

●1/23
海軍の汚職、シーメンス号事件が暴露され、
民衆の暴動が起きる。

【2月】
●『青鞜』4巻2号。
野枝「出奔」。
西崎花世「恋愛および生活難に対して」

●前年暮れに青鞜事務所に泥棒が入り、
青鞜社、事務所を巣鴨町一二二四へ移転。

●2/1
『近代思想』二巻五号。
相馬御風「大杉栄君に答
大杉「再び相馬君に与ふ」。

●2/6
大杉、堀保子、療養のため
鎌倉町坂ノ下に転地。

【3月】
●『青鞜』4巻3号。
野枝「編輯室より」で
『新婦人』に載った記事
「新しき婦人の男性観」
(『新婦人』第四年一月之巻
1914.1.1/談話筆記)を批判。
➡『野枝さんをさがして』p16

●荒木郁子『火の娘』出版。
『青鞜』4巻3号に
らいてうが書評を書く。

●春ごろ

『青鞜』の発行販売を岩波書店が
引き受ける話がまとまりかけたが、
破談になる。
➡『元始(下)』p505

●3/1
『近代思想』2巻6号。
大杉「叛逆者の心理 ジョルジュ・パラント」

●3/1
野枝「真の要求は女の自覚の後」
➡(『新婦人』第四年三月之巻 1914.3.1)
『野枝さんをさがして』

●3/6
武林夢想庵の養母が死去。
夏に北海道に渡るまで
酒浸りの日々を過ごす。
「君は癩病だってね」と言って
長江に抱きつきキスをする。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p153

●3/21
大杉、平出修の永訣式に参列。

●3/24
山本内閣総辞職。

●3/25
伊藤野枝訳『婦人解放の悲劇』
(東雲堂)出版。
実は辻が翻訳した。

エレン・ケイ「恋愛と道徳」と
エマ・ゴールドマン
「婦人解放の悲劇」「結婚と恋愛」
「少数と多数」の翻訳(辻が翻訳した)、
らいてうの序文、
ケイとゴールドマンの伝記
(ヒポリット・ハヴェル
「エマ・ゴールドマン小伝」の翻訳、
エリス「エレン・ケイ小伝」の
らいてうによる翻訳)。

➡『自由 それは私自身ー評伝・
伊藤野枝ー』
➡平塚『元始女性は太陽だった』
※『読売新聞』1914年6月17日
➡『わたくしの歩いた道』p151

●神近市子(26歳)、尾竹紅吉(富本一枝)
東雲堂から『蕃紅花』(さふらん)創刊。
3月号〜8月号。
神近、東京日日新聞記者になる。
➡『神近市子自伝 
わが愛わが闘い』p116

●島村抱月、松井須磨子の芸術座が
「復活」を帝国劇場で上演。

●菊富士ホテルが完成。
東京大正博覧会の外人客を当て込む。

菊富士ホテル
【写真】地下1階、地上3回の菊富士ホテル

●3/20〜7/31
東京大正博覧会開催。
日本初のエスカレーター登場。
南洋から食人種が招かれる。

日本初エスカレーター
【写真】東京大正博覧会会場に
設置されたエスカレータ

【4月】
●『青鞜』4巻4号。
野枝「惑い」。
『青鞜』4巻4号を最後に
再び発売所が東京堂に。

●4/1
『近代思想』2巻7号。
大杉「主観的歴史論 ピヨトル・ラフロフ」

●4/16
第二次大隈内閣。

●田村俊子の小説「炮烙(ほうらく)の刑」が
『中央公論』4月号に掲載される。

●森田とらいてうの間に激越な論争勃発。

●4/30
大杉、保子、鎌倉町長谷新宿に転居。

●四月末
保持、今治に一時帰郷。
➡『元始(下)』p525

このころ、らいてうと奥村、
西伊豆の土肥温泉へ。
➡『元始(下)』p526

【5月】
●『青鞜』4巻5号。
野枝「西川文子氏の
『婦人解放論』を読む」。

保持研、青鞜社を退社。
青鞜社の事務所はらいてうの家

●5/1
『近代思想』2巻8号。
大杉「智識的手淫」
(『近代思想』廃刊の辞)執筆。

大杉「正気に狂人」。
堺に対する正面きっての批判。
これに対して同号に堺が
「胡麻塩頭」を執筆。

『近代思想』』2巻8号で伊藤野枝訳
『婦人解放の悲劇』賞賛。
〈僕はらいてう氏の将来よりも
寧ろ野枝氏の将来の上に
よほど嘱目すべきものがあるように思ふ〉

堺利彦も『へちまの花』
(第四号1914年5月)の「提灯行列」で
野枝の『婦人解放の悲劇』に注目。
➡『定本伊藤野枝全集第四巻』解題

●5/1
大杉「籐椅子の上にて」が
『民衆と芸術』五月号に掲載。

「乞いねがうものはなにも与えられない、
おびやかすものには多少与えられる、
無法を働くものにはすべてを与えられる」

●5/30
大杉、保子、
大久保百人町の元の住所に戻る。

【6月】
●『青鞜』4巻6号。
野枝「S先生に」「読んだものから」。

●らいてう、
巣鴨上駒込四一一、妙義神社前へ移転。
青鞜社の事務所を自宅に置く。

月10円で野枝が4人分の
食事(昼と夜)を作る。
らいてう夫妻、がさつな野枝に呆れて、
共同炊事は一ヶ月も続かず。

●6/18
東京モスリンの争議弾圧される。

●6/28
サラエボ事件
オーストリア皇太子が
セルビア人青年に暗殺される。

【7月】
●『青鞜』4巻7号。
野枝「下田次郎氏に」
(東京師範学校教授・下田次郎の
『婦人評論』6月号
「日本婦人の革新時代」への反論)。

●7/28
東京朝日新聞、警保局長・
安河内麻吉の談話
「困った女の問題」
(青鞜社とか云う連中は色欲の餓鬼)。

らいてうと岩野清子、局長に面会し抗議。
➡『わたくしの歩いた道』p130

●7/1
『近代思想』第2巻10号。
大杉「賭博本能論」。

●7/28
オーストリア、セルビアに宣戦布告。

【8月】
●『青鞜』4巻8号。
野枝「最近の感想」。

●伊藤野枝子編
『ウォーレン夫人の職業』刊行
(林芙美子に影響を与えた)。

●8/23
日本、第三回日英同盟協約により
ドイツ帝国へ宣戦を布告し
連合国の一員として参戦。

【9月】
●『青鞜』9月号は欠号。
第一次世界大戦によって
『青鞜』はダメージを受けた。
平和な時代でないと
女性解放運動は盛り上がらない。
➡『青鞜の時代』

●生田長江主幹の文芸評論雑誌『反響』九月号に、
生田花世が「食べることと貞操と」を発表。
➡『元始(下)』p533

●9/1
『近代思想』第二巻十一、十二号
この号をもって廃刊。

大杉『オイケン哲学の批難』(古谷栄一著)

●このころ、辻(30歳)&野枝(19歳)、
小石川区竹早町82番地に移転。

このころ、野枝、
西原和治にお金を都合してもらうようになる。
➡「惑ひ」

●大杉栄、渡辺政太郎と
辻&野枝宅
(小石川区竹早町82番地)を訪問し
初めて野枝と会う。

野枝、一(まこと)に授乳しながら対応。
➡『死灰の中から』

●9/5-9/12
仏、独、マルヌ会戦(第一次世界大戦)。

仏軍、パリ市のタクシー630台を
兵員輸送の為に徴発。

1024px-Musee-de-lArmee-IMG_0987
“Marne Taxis” used to transport
French troops to
the Battle of the Marne

From Wikimedia Commons

【10月】
●『青鞜』4巻9号(三周年紀年号)。
野枝「下田歌子女史へ」「遺書の一部より」
「嘉悦女史の『西洋の廃物』について」。

●10/1
三越呉服店・日本橋本店の新館が
9/15に落成。設計者は横河民輔。
10/1開店。

ルネッサンス式新館は
「スエズ運河以東最大の建築」と称され、
建築史上に残る傑作といわれる。

日本初のエスカレーターが常設され、
「自動階段」と訳された。

●10/12
平塚らいてう、『青鞜』11月号の編集を
野枝に依頼し奥村博と千葉県御宿に籠る。

上野屋という旅館に滞在、
その後、漁師の家の広い部屋に移る。
上野屋には1916年、野枝も滞在。
➡『元始(下)』

●10/15
大杉、荒畑寒村と月刊『平民新聞』創刊
発行(〜1915年6号まで)するが
4号を除く5冊が発禁。

大杉「労働者の自覚」

平民新聞創刊号
月刊『平民新聞』創刊号
(『大杉栄 伊藤野枝選集 第二巻』
黒色戦線社)

●10/16
大杉『種の起原』(ダーウィン)
翻訳出版(新潮社)。

●10/27
尾竹一枝、富本憲吉と結婚式をあげる。
コンベンショナルは挙式に、
らいてう失望する。
➡『元始(下)』

●10/30
大杉の初の評論集
『生の闘争』出版(新潮社)。
近藤憲二、この書により開眼。
➡『大杉栄研究』p135

●長江、翻訳『サロメ』
刊行(植竹書院)。

【11月】
●『青鞜』4巻10号(11月号)。
野枝「人間という意識」「松本悟郎氏に」
(松本の『第三帝国』
掲載の評論への反駁)
「編輯室より」で
月刊『平民新聞』1号に言及、発禁に抗議。
『平民新聞』2号が野枝のその文章を転載。
➡「死灰の中から」

●11/7
らいてう、野枝から
『青鞜』4巻10号(11月号) 
と手紙を受け取る。

●11/15
らいてう、御宿から上京。
らいてう野枝宅を訪問。
青鞜について話し合う。

野枝が13日に書いて
らいてうに出した手紙(御宿へ)は、
曙町に回送されそれをらいてうは読んだ。
➡『青鞜』を引き継ぐ

●11/17
野枝、上駒込のらいてう宅(青鞜社)を訪れ
青鞜の全権を譲り受ける。
らいてうは社員、一執筆者として協力。

●らいてう『現代の婦人の生活』
(日月社)出版。
田村俊子「炮烙(ほうらく)の刑」に
絡む森田への反論。

●尾竹紅吉、富本憲吉と結婚。
らいてう、習俗に殉じた花嫁衣裳に唖然。
➡『元始(下)』p456

●11/20
大杉『種の起原2』(ダーウィン)
翻訳出版(新潮社)。

●11/20
月刊『平民新聞』第二号発行。
発禁処分。
大杉「秩序紊乱」。
日本における代表的なアナキズム宣言。

●11/23
大杉『物質非不滅論』
翻訳出版(実業之世界社)。
ル・ボンの原子エネルギの発見を
日本で初めて紹介した本。
原子力時代到来を予言した本。

【12月】
●『青鞜』4巻11号(12月号)。
野枝「再び松本悟郎氏に」
「雑感」
(発禁になった
月刊『平民新聞』1号、2号に言及)。

安田(のち原田潤と結婚)皐月
「生きることと貞操」。
生田花世が生田長江主幹の
同人誌『反響』9月号に載せた
「食べることと貞操と」への
反論が口火になり「貞操論争」へ。

●12/18
東京中央停車場の開業。
東京駅と命名。

Tokyostation_outside-large-1914

●12/18
大杉、荒畑の『平民新聞』』第3号発行。
大杉らが銀座の福音印刷から
タクシーで運び出す。

翌日、発禁。
大杉「野蛮人」
大杉が辞書『新しい英字』のサンジカリズム、
サボタージュなどの説明の間違いを指摘。

野枝、『平民新聞』』第3号を
自宅近くの知人の家に隠匿。

●辻潤、訳著『天才論』
(ロンブローゾオ著/植竹書院)出版。
反響を呼ぶ。

●この冬あたりから、野枝とらいてう、
山田嘉吉、わか夫妻の家に通い、
社会学の英語の書物を読む勉強会に参加。
➡「乞食の名誉」

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1913年(大正2年)18歳

2014年9月3日 水曜日


【1月】
●1/1
『青鞜』3巻1号。
付録「新しい女、其他婦人問題に就いて」。
平塚らいてう訳のエレン・ケイ「恋愛と結婚」
(『生命線』第一部)翻訳連載開始。
raceを「人種」と訳したが
六月から「種族」に変える。

野枝「新しき女の道」、
堀保子「私は古い女です」
(大杉が代筆)など。

原阿佐緒、青鞜社に入社。
歌「あまき縛め」が載る。
➡『元始、女性は太陽であった(下)』418頁

●平塚「私は新しい女である」を
『中央公論』(滝田樗陰編集長)新年号に掲載。
The Japan Times 1/11に
英訳して掲載される。

●生田長江訳(ダヌンチオ著)『死の勝利』が
「近代名著文庫」の一編として
新潮社から刊行。

煤煙事件に影響を与えたと
噂された作品だったため売れた。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p148

●1/4
近代思想社主催、第一回「小集」が
メーゾン鴻の巣で開催。

●1/7
このころ、らいてうは
大森町字森ヶ崎の
富士川旅館に投宿していた。
➡「雑感(十九)」

●1/8
紅吉の家で青鞜新年会の案内状を書く。
紅吉、哥津、神近が参加。

越堂、朝倉文夫と歓談する。
➡「雑感(十九)」

野枝は新年会には
貧乏のために参加できず。
➡「雑感(二十二)」

【2月】
●2/1
『青鞜』3巻2号。
野枝「此の頃の感想」

●2/5
尾崎行雄の桂弾劾演説。

●2/8
福田英子「婦人問題の解決」掲載により
『青鞜』3巻2号が発禁になる。

内容ではなく福田と石川三四郎、
平民社との関係に弾圧が加えられた。

前年12月に第二次西園寺内閣が
軍部の圧迫で倒れ、第三次桂内閣に。
その弾圧政策。

社会主義者徹底弾圧主義であった
平塚定二郎、らいてうに憤怒をぶつける。
➡『わたくしの歩いた道』p123

伊藤野枝「此の頃の感想」が
発禁の理由という説もあり。
➡〈『定本伊藤野枝全集』「此の頃の感想」解題〉

●2/10
日比谷公園での桂内閣弾劾国民大会が
暴動化し、各都市に拡散。

●2/11
伊藤野枝(18歳)と末松福太郎との
協議離婚成立。

桂内閣総辞職、2/20に山本権兵衛
(ごんのひょうえ)内閣生まれる。
第一次護憲運動/大正政変。

●2/15(土曜日)
「青鞜社第一回公開講演会」開催。
神田美土代(みとしろ)町の
東京基督教青年会館
/午後12時半〜5時/会費20銭。
聴衆千人。

以下プログラム
保持白雨「本社の精神と
その事業及び将来の目的」

伊藤野枝「この頃の感想」

生田長江「新しい女を論ず」

岩野泡鳴「男のする要求」

馬場孤蝶「婦人の為に」

岩野清子「思想上の独立と経済上の独立」

平塚らいてう「閉会の辞」

野枝、「この頃の感想」
(『青鞜』3巻2号/朝日新聞2/16)
の演題で講演。

大杉これを聴講
「ちょうど、校友会ででもやるように
にこにこしながら原稿を朗読した、
まだ本当に女学生女学生していた彼女」。
➡『死灰の中から』

千人を超える聴衆。三分の二は男性。

主な聴衆は大杉のほか、堺利彦、
女子英学塾の青山菊枝など。
福田英子と石川三四郎のカップルも。

岩野泡鳴と予言者・宮崎虎之助が乱闘。
➡『わたくしの歩いた道』p127

この講演会の反響が大きかったため、
女子英学塾の津田校長が
青鞜を危険思想とみなし、
神近が青鞜社を退社。
➡『元始、女性は太陽であった(下)』309頁

※この講演会については以下の資料。

『山川菊栄全集9 おんな二代の記』に
傍聴していた山川の回想、
『近代思想』1923年3月号の
大杉の感想の引用、
女子英学塾での顛末あり。

『日録・大杉栄伝』によれば、
翌日の朝日新聞、東京日日新聞も報じた。

●2/20
午前1時ごろ、神田三崎町から発火。
神保町方面にかけて二千数百戸が焼失。
野枝「雑感」二十九章で言及。
➡『定本 伊藤野枝全集 第一巻』「雑感」解題

仏英和女学校などが全焼、
女子美術学校も半焼。
➡『「青鞜」の火の娘』p78

このころ、辻と野枝は
芝区芝片門前町
(現・港区大門二丁目と
芝公園二丁目の一部のあたり)の
二階家の二階に住んでいた。
4月初めまで芝にすみ、
また染井にもどった。

辻の家族との同居からの
野枝のストレス解消のためか。
➡『定本 伊藤野枝全集 第一巻』
「雑感」p190
➡『定本 伊藤野枝全集 第四巻』年譜

●2/23
野枝、岩野泡鳴宅に
青鞜講演会の講演料10円を持参する。
➡『定本 伊藤野枝全集 第四巻』年譜

【3月】
●3/1
青鞜三巻第一号から三巻十一号まで、
表紙は紅吉のアダムとイブの版画。

●3/1
『近代思想』1巻6号
大杉「青鞜社講演会」。

●3/26
東京日日新聞、報道。
超人社に同居している
尾竹紅吉の絵『枇杷の実』完成。
尾竹竹波の後援で雑誌を出すことになった。

●3/27(~3/31)
近代劇協会が帝国劇場で「ファウスト」上演。
上山 草人(かみやま そうじん)/ファウスト
伊庭孝/メフィスト

奥村博も出演し、
らいてふが楽屋に真紅のバラの花束を届ける。

●神近市子(25歳)、女子英学塾卒業、
弘前の青森県立女学校英語教師の職を得る。

【4月】
●4/1
『青鞜』3巻4号。
野枝、「この頃の感想」。

青鞜社の事務所が
府下巣鴨町字巣鴨一一六三へ移転。

●4/4か4/5
神近、上野駅を出発。弘前に向かう。
らいてう、紅吉も見送りに来る。

●成瀬仁蔵「欧米婦人界の新傾向」
(『中央公論』4月号)。

●4/20
読売新聞、物集和子の世間の
しきたりに添った(と思われる)結婚を報道。

●4/20
文部省が婦人雑誌関係の
反良妻賢母主義的婦人論の
取り締まり方針を決定。
➡『元始(下)』p459

●4/25
らいてふ「世の婦人達に」掲載の
『青鞜』3巻4号が警視庁高等検閲係から
注意を受ける。
保持、中野警視庁に出頭する。

●4/28
「ホワイトキャップ党」から
青鞜社へ脅迫状が届く。

●四月
岩野泡鳴、清子夫妻が
目黒から巣鴨宮仲に引っ越す。

青鞜社事務所、らいてう、
野枝、野上宅と近くなり、
交流する。
➡『元始(下)』p521

【5月】
●5/1
平塚らいてう著『円窓より』
(東雲堂)出版(発禁)。
家族制度破戒と風俗壊乱。
六月に『扃(とざし)のある窓』
として出版。

●5/1~5/10
「ファウスト」大阪公演。
奥村、大阪かららいてうに絵葉書を送る。

●5/5
弘前の女学校に赴任した神近、
弘前城址公園で花見をする。
このころから、弘前の天主堂のフランス人から
フランス語を教わる。

●野枝『青鞜』3巻5号(附録)に
エレン・ケイ「恋愛と道徳」訳載
(辻潤が訳した)。

●『青鞜』3巻5号「編輯室より」、
青鞜社文芸研究会の中止と
生田長江との訣別。

5/16(金)
木村荘太、青鞜社を訪れ、
野枝に面会を請うが、野枝は不在。
➡「動揺」

●野枝&辻(29歳)北豊島郡巣鴨町上駒込三二九番地
(妙義神社の前)に移転。
同住所の隣家の野上彌生子と交流。
➡『定本 伊藤野枝全集 第一巻』「雑感」解題

●青鞜社、巣鴨町字巣鴨一一六三番地に移転。
➡『定本 伊藤野枝全集 第一巻』「雑感」解題
※『元始(下)』では事務所移転は四月。

【6月】
●6月初め
哥津、らいてう、清子と堀切の菖蒲園に遊ぶ。

●6/8
夜、荘太、手紙1書く。
翌日、投函。

●6/12〜6/13
『中央新聞』に
「屏息せる新らしい女」(上)(下)載る。

(下)に「伊藤野枝は巣鴨小学校の教師
後藤清一郎と好い交情(なか)になって
二三日前に安産があったので
既に家庭の人である」と書かれる。
➡『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「染井より」解題

●6/13
野枝、荘太手紙1を青鞜社で受け取る。

●6/14
野枝、手紙1を書き夕方に投函。

●6/16
夕方、荘太、野枝手紙1を受け取る。

●6/17
荘太、手紙2を書く。

●6/18
朝、野枝、荘太手紙2と
帯封の『ヒュウザン』6月号届く。

●6/23
野枝、荘太に葉書を書く。

荘太、築地の文祥堂(印刷所)
二階の校正室に野枝を訪ねる。

●6/24
朝、野枝、荘太手紙3を受け取る。

野枝、手紙2を書くが投函せず。

野枝、手紙2を書き終えた頃、
荘太手紙4を受け取る。

辻はこの日付の野枝木村荘太への手紙を
死の直前まで持っていて、
伊東キミに形見として渡した。
伊東キミ(旧姓/坂口キミ)は
野枝の叔母、坂口モトの娘。
➡『野枝さんをさがして』

小説「動揺」で公開されているが異同がある。
荘太の住所は麹町区平河町
➡『定本 伊藤野枝全集 第二巻』
「書簡 木村荘太宛」解題

●6/25
野枝、朝、文祥堂に出かける前に
荘太手紙5を受け取る。

野枝、帰宅後に荘太手紙6を受け取る。

●6/26
野枝、文祥堂から
帰宅後に荘太手紙7を受け取る。

荘太、野枝手紙2、3を受け取る。

●6/26
らいてふ、奥村と赤城山麓へ行く。
➡「編輯室より」(青鞜1913年7月号)

新妻莞かららいてうに脅迫の手紙届く。
らいてう「赤城よりN氏に」を
『青鞜』9月号に掲載。
➡『わたくしの歩いた道』p146

●6/27
午前、野枝、荘太手紙8受け取る。

●6/28
野枝、荘太手紙9受け取る。
辻に宛てた手紙も同封されていた。

朝、荘太、野枝手紙4を受け取る。

●6/28
川崎日本蓄音器商会の争議の
調停に友愛会があたる。

●『中央公論』6月号特集
「婦人界の新思潮に対する官憲の取締」
(成瀬仁蔵『罪の一半は女子にもあり」)。

●『太陽』(6/15発行)「近時の婦人問題号」
(下田歌子執筆)。

●6/30
野枝、昼過ぎに荘太からの電報を受け取り、
夕方、荘太の下宿を訪問。

荘太、夕方、辻の家を訪問。

【7月】
●7/1
青鞜3巻7号。
野枝「染井より」。

●7/1
『近代思想』第1巻10号。
大杉「生の拡充

〈征服の事実がその頂点に達した
今日においては、
諧調はもはや美ではない。
美はただ乱調にある。
諧調は偽りである。
真はただ乱調にある。
今や生の拡充はただ反逆に
よってのみ達せられる。
新生活の創造、
新社会の創造はただ
反逆によるのみである。〉

●7/2
野枝と辻、平河町の荘太の家を訪ねる。

●7/6
大杉、寒村と
「サンディカリズム研究会」発足。
辻潤も顔を出す。

●神近市子(25歳)、女子英学塾卒業し
弘前高等女学校に職を得るが、
1学期終業式後、青鞜に在籍していた
ことが発覚し免職。
➡堀場清子『青鞜の時代』p176

『新しい女の裏面』(樋口麗陽著)に
掲載された写真「南郷の朝」の木村政子が
神近と説明されていた。

➡『神近市子自伝 わが愛わが闘い』p114

●『中央公論』臨時増刊
「婦人問題号」(7/15発行)。
晶子が書いた「らいてふ人物評論」に
らいてふショックを受ける。
➡『元始女性は太陽であった』(完)p34

●野枝、ヒポリット・ハヴェルの
エマ・ゴールドマン小伝を読み感激。

Portrait_Emma_Goldman
Emma Goldman(1869年-1940年)
From Wikimedia Commons

●8/1
青鞜3巻8号。
野枝「動揺」発表。
木村荘太「牽引」(『生活』3巻8号)。

●8/1
『近代思想』1巻11号。
大杉「むだ花」

●8/9
新聞『時事新報』に野枝と木村荘太の
恋愛事件についての
「別れたる恋人に対する心持」
3回連載始まる。
➡『定本 伊藤野枝全集 第二巻』
「動揺」解題

8/9はCS生「『牽引』と『動揺』と」
8/10は荘太「『牽引』と私」
8/11は野枝「『動揺』に就いて」
➡『定本 伊藤野枝全集 第二巻』
「『動揺』に就いて」解題

●8/17
らいてう、奥村博に手紙
「八項目の質問状」を出す。
➡『青鞜の時代』

【9月】
●9/1
青鞜3巻9号。
野枝「婦人解放の悲劇ーエマ・ゴールドマン」

らいてう「赤城よりN氏に」。

●9/1
土岐哀果が『近代思想』の姉妹雑誌
『生活と芸術』を創刊。
出版社は西村陽吉が経営する東雲堂。

●9/1
『近代思想』1巻12号。

大杉「鎖工場」。
マルクス批判。

大杉「イグノラント」。
大杉「野獣」
大杉「みんな腹がへる」

●9/20
野枝、長男・一(まこと/〜1975年)を
出産。

『伊藤野枝と代準介』には夏、
野枝は辻と今宿に帰省。
今宿で出産したとある。

※まこと出産後の辻家を描写➡
「惑い」
(『新日本』8巻10号」1918.10.1)

※「惑い」に登場する
龍一のモデルは西原和治。
➡『野枝さんをさがして』(p74)

※辻潤、この年、近所に住んでいた
福田英子によってアナーキスト
渡辺政太郎と知り合う(「ふもれすく」)。

渡辺政太郎は、寺島珠雄『南天堂』によると、
一九一七(大正六)年後半、指ケ谷町九二
(かつて辻一家がいた隣か)に移り、
翌年亡くなっている。

【10月】
●10/1
『青鞜』3巻10号。
「青鞜社概則」を改正、
〈本社は女流文学の発達を計り〉→
〈本社は女子の覚醒を促し〉。

『青鞜』3巻10号を最後に
東雲堂から尚文堂へ。

●10/10
桂太郎、死去。

【11月】
●『青鞜』3巻11号。
らいてふ「『動揺』に現われたる野枝さん」。

山田わか訳「三つの夢」
「三つの夢」は南アフリカの女流作家、
オリーブ・シュライネルの文章の翻訳。
大杉栄が山田わかの訳文をらいてふに送った。
大杉はわかの夫の山田嘉吉に
フランス語を習っていた。

山田わかはアメリカ西海岸の
淫売窟で働いていた時期あり。
➡『元始女性は太陽であった』(下)p500

【12月】
●12/1
『青鞜』3巻12号。
「編集後記」に岡本かの子入院の知らせ。

●12/1
『近代思想』第二巻第三号(十二月号)。
大杉「唯一者-マクススティルナー論」。

大杉「必然から自由へ
フリードリッヒ・エンゲルス」

●12/31
平塚らいてうと奥村博史、
鎧橋(日本橋)そばの仏蘭西料理
「メーゾン鴻の巣」で
生活をともにする誓いを交わす。

※この年の秋、生田春月、春夫、
紅吉、超人社を出る。
長江の病気の噂が耳に入ったからか。

※ 帝国劇場のパンフレットの三越の広告
今日は帝劇 明日は三越」のコピーが流行。
女性画は竹久夢二。

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1912年(明治45年/大正1年)17歳

2014年9月3日 水曜日


【1月】
●1/1
『青鞜』2巻1号「附録ノラ」。
「附録」は女性問題の特集記事のこと。

らいてうが大阪にいた紅吉を
社員として認める。
➡堀場清子『青鞜の時代』p83

●1/1
孫文を臨時大総統(臨時大統領)
とする中華民国成立。

●野枝(17歳)、千代子とともに
佐藤政次郎教頭宅(子供2人)に寄宿。
辻の恋人おきんちゃん
(吉原の酒屋の娘)と遭遇。
「惑い」『青鞜』4巻4号

伊藤野枝全集(上)
伊藤野枝17歳のころ
(『伊藤野枝全集〈上〉』学藝書林)

●1/21
青鞜社、在京会員の新年会を開く。
大森海岸森ヶ崎の料亭旅館・富士川。

長沼智恵子が出席。
宮城房子(のち武者小路実篤夫人)も出席。
宮城は藤井夏という
女名の男(投書家)と同伴。

世話人は荒木郁子。
「富士川」は荒木の懇意な店。
➡『元始、(下)』352頁

午前中から始まり、
午前二時ぐらいまで続いた。
『青鞜』二月号「編集室より」に
レポート掲載。
➡『「青鞜」の火の娘』p37

【2月】
●2/12
清朝の皇帝である愛新覚羅溥儀が退位。
袁世凱が中華民国の大総統(大統領)に就任。

●2/19
哥津に連れられて
紅吉がらいてうの書斎を訪れる。
➡『青鞜の時代』p98

【3月】
●青鞜3月号
岡本かの子の歌「我が扉」。

三ヶ島葭子、青鞜社社員になる。

●野絵、卒業間近のころ
同級生を煙に巻き大言壮語。

「私は卒業すれば九州に
帰らなければなりませんから
しばらくあなた方とはお別れですが、
必ず東京へは出て来るでしょう。
そして、私は人並みの生き方を
しませんからいずれ新聞紙上で
お目にかかる事になるでしょう。
そうでなくて、九州に居るようになれば
玄界灘で海賊の女王になって・・・」
 ➡「伊藤野枝年譜」
『定本 伊藤野枝全集』(第四巻)

●3/24
代準介の実父・佐七死去。
準介、急遽、長崎に戻る。

●3/26
野枝、上野高等女学校卒業式。

●3/27
上野公園の竹の台陳列館(美術館)で
故青木繁遺作展覧会
(『美術新報』主催第三回展覧会の
一部として開催)を辻と野枝が見る。
野枝、上野公園で辻に抱擁される。

野枝が遅れたため、夜11時の汽車に変更。
代一家と新橋駅から博多に帰郷。
(キチと千代子※もうひとりの従姉妹も同行?)
「わがまま」『青鞜』1913年12月号

➡『定本 伊藤野枝全集』(第二巻)「書簡 木村荘太宛」

●3/29
大杉&堀保子、大久保百人町三百五十二へ転居。

【4月】
●4/1
『青鞜』二巻四号。
紅吉、太陽と壷の表紙絵を描く。

●巽画会第十二回展覧会に出品した
紅吉の二曲一双の屏風「陶器」が
三等賞銅牌を受ける。
「富本憲吉と一枝の家族の政治学(2)」

●野枝、婚家に嫁いだ
9日目の朝に婚家を出奔。
叔母・坂口モトや大牟田の友人宅を訪ねる。

●4/10
「ノエニゲタ ホゴタノム」という電報が
上野女学校に届く。

●4/12
末松福太郎から
辻へ抗議の手紙がくる

●野枝のことが学校で問題になり、
辻、自ら上野高女を辞職する。

●野枝、上野女学校の恩師、
西原和明に援助を頼む。

●4/13
啄木(1886~1912)、
小石川区久堅町にて肺結核のため死去。

●4/17
青鞜社員、田端の筑波園に集い、
大阪から上京した岩野泡鳴、清子と会う。

同時期、尾竹一枝(4月9日に一家で
大阪から下根岸へ転居)が
らいてうの円窓の部屋を訪れる。
➡『青鞜の時代』p100
➡『元始、女性は太陽であった(下)』358頁

●4/18
荒木郁の小説「手紙」により
『青鞜』2巻4号(小説特集号)発禁。

夜10時ごろ、巡査と私服の二人
が青鞜社の事務所である物集邸を訪れ、
一冊だけ残っていた青鞜を押収。

●4月末、辻、上野高女を辞職。
「出奔」『青鞜』1914年2月号
➡「従姉へ」『青鞜』
➡神近市子「手紙の一つ」『青鞜』2巻4号

●晩春
野枝、平塚らいてう(1886~1971)に
手紙を書き(九州の住所で)、
数日後、本郷区駒込曙町の
らいてう宅を訪ねる。
➡平塚らいてう
「伊藤野枝さんの歩いた道」

〈どこか動物のそれのような特別に真黒な
瞳をもった豊かな、新鮮な感情の波が絶えず
動いている抜け目のない眼は、彼女がいかに
勝ち気な意地張りな娘であるかを見せている
ようにも思われますし、また話しの度ごとに
鼻を動かして、鼻孔をいくらか
ひろげるような特殊な表情や、
大きなしかし薄い唇の動く
あたりに、何かしら残忍な、野性的は
或るものを思わせるものがありました。〉
➡『わたくしの歩いた道』

●与謝野晶子、夫寛を追ってパリへ。
帽子をかぶるためパリで断髪、
晩年までの定番に。

【5月】
●青鞜社事務所を物集邸から
本郷区駒込蓬莱町万年山
(まんねんざん)勝林寺(臨済宗)に移転。
らいてうの懇意のお寺(海禅寺)の
住職の紹介。
前号が発禁になったため。

物集和子は青鞜社を退社。

●5/5
読売新聞社会面が
「新しい女」の連載をスタート。

田村とし子、林千歳、
長沼智恵子、中野初子など。
林千歳は青鞜社社員の女優。
ズーデルマン「故郷」にマグダの妹役で出演。

●5/13
尾竹紅吉の自宅で青鞜同人会。
紅吉の「陶器」三等賞を祝う集まり。
平塚らいてうと尾竹紅吉が抱擁、接吻。
➡『元始女性は太陽であった』(下)p366

●文芸協会がズーデルマンの「故郷」上演。
上演禁止になる。
『青鞜』6月号、
女主人公マグダの生き方について論評する。

●このころ「五色の酒」
「吉原遊興」事件起きる。
➡『元始女性は太陽であった』(下)p372

【6月】
●辻潤、巣鴨区上駒込四一一番地にて、
野枝と同棲(婚姻届けは大正四年七月)、
母光津、妹恒も同居する。
生活のために陸軍参謀本部の
英語関係の書類を翻訳する。

「僕(辻潤)角帯をしめ、野枝さん丸髷に
赤き手絡(てがら)をかけ、
黒襟の衣物を着し、三味線をひき、
怪しげなる唄をうたった……」
➡「ふもれすく」

●『青鞜』2巻6号「附録(特集)マグダ」。
5月に文芸家協会がズウデルマンの
『故郷』を上演、上演禁止になる。

●『太陽』6月臨時増刊号「近時の婦人問題」

●6/28
神田美土代町の青年会館で
「ルソー生誕二百年記念講演会」。
三宅雪嶺が提唱、堺、高島米峰が発起。

長江、講演する。
社会主義者との交遊始まる。
高畠素之、大杉らも参加。
➡『大杉栄研究』p83

【7月】
●7/1
『青鞜』7月号

紅吉「あねさまとうちわ絵の展覧会」

メイゾン鴻ノ巣(日本橋区小網町鎧箸脇)
の広告が入っているが、
紅吉が取ってきた。
➡『元始、女性は太陽であった(下)』371頁

●7/10
『万朝報』と
7/11(~7/14)『国民新聞』
(「所謂新しい女」)が
「五色の酒」(メイゾン鴻の巣)「吉原登楼」事件を報道。
➡『わたくしの歩いた道』p114
➡『元始、女性は太陽であった(下)』371頁

●7/12
紅吉、高田病院で肺結核の診断を受ける。

7/13、らいてう、紅吉、紅吉の母、
南湖院に日帰りで行く。

7/14、らいてう、紅吉、南湖院に行く。
紅吉、入院。
➡『青鞜の時代』p115

●7/20
「東京朝日新聞」が
明治天皇の病気を報じる号外発行。
「聖上陛下御重体、14日より御臥床あり」

●7/30
午前0時43分、
明治天皇崩御(実際は7/29の22時43分)。

●7月末
野枝、今宿に帰郷。
両親に末松との離縁、除籍を要求。
平塚に手紙を出し帰京の汽車賃の援助を懇願。
平塚、辻潤の家を訪問。

●『中央公論』7月臨時増刊号「婦人問題」

【8月】
●『青鞜』2巻8号
神近市子、
青鞜社の社員に(津田英学塾在籍中)。

神近、7月に「手紙一つ」という
作品をらいてうに送る。
榊○というペンネームを使用。
➡『元始、女性は太陽であった(下)』398頁

●8/17
らいてう、茅ケ崎へ。
南湖下町の良助という
漁師の家に間借りし、
青鞜一周年記念号を編集。
➡『青鞜の時代』p115

●8/18
東雲堂の西村と奥村が南湖院を訪れる。
➡『青鞜の時代』p117

●8/19
紅吉が奥村に手紙を出す。
➡『青鞜の時代』p116

●8/20ごろ
紅吉の手紙を読んだ奥村、
南湖院にらいてうを訪ねる。
らいてう、青鞜一周年
記念号の表紙絵を頼む。

その2、3日後、絵の図案を持って
奥村、らいてうを訪ねる。
この夜、らいてうと奥村、
一部屋に寝る。
➡『元始、女性は太陽であった(下)』

●南郷(馬入川が海へそそぐあたりの河口の
地名)の弁天さまの境内で記念写真を撮る。

らいてう、長江夫妻、紅吉、保持、荒木郁子、
尼崎から来た木村政子。
青鞜2巻9号、1周年記念号に
「南郷の朝」掲載。
表紙は奥村の絵。

この写真を撮影した後、
生田夫妻と別れて
一同がらいてうの宿に集まる。
そこで荒木郁子が生田先生の病気に言及。
➡『元始、女性は太陽であった(下)』

●8/27
らいてう、奥村に
奥村が書いた絵が欲しいとう手紙を書く。
奥村、自画像を届ける。
➡『青鞜の時代』p119

●鈴木文治らが友愛会結成。

【9月】
●『青鞜』2巻9号(1周年記念号)。
神近、実名で小説「手紙の一つ」を書く。

●『新潮』9月号「新しい女」特集。

●9/4
らいてう、帰京。
奥村の自画像を
円窓の部屋の机の脇に飾る。
➡『青鞜の時代』p119

●9/13
明治天皇大喪の礼。
同日夜、乃木希典と妻・静子が自刃。

女子英学塾在学中の神近、青山菊栄を
紹介してくれた元同級生の弔問に行く。

●9/14
紅吉、南湖院から退院。

●9月半ば過ぎ
奥村かららいてうへ
手紙が届く(9/17の日付)。
9/17の日付の同じ文面の手紙は
紅吉にも届く。
➡『青鞜の時代』p135

奥村が書いたとされる「若い燕」の手紙は
新妻莞(後『サンデー毎日』編集長)が
仕組んだ筋書き。

前田夕暮の最新歌集
『陰影』の表紙見返しに
「燕ならばきっとまた、
季節がくれば飛んでくることでしょう」と書き、
城ヶ島に滞在している奥村に小包で送る。
➡『わたくしの歩いた道』p143
➡『元始、女性は太陽であった(下)』

●9月末
野枝、離婚を承諾させる。
平塚からの送金を得て帰京。
➡「従姉へ」青鞜4巻4号

●生活のため翻訳仕事を始めた辻は、
ロンブローゾ『天才論』を6月から
3か月半余りで訳し終わり、
秋頃出版予定の筈が、
佐藤政次郎に紹介された本屋がつぶれ、
その後出版社がなかなか見つからなかった。
(「おもうまま」)

●秋
尾竹紅吉、長江の「超人社」に同居。
紅吉の妹・ふくみに失恋した春夫が
「ためいき」を書く。

●9月
青鞜社社員の上野葉子が佐世保から上京。
らいてうと会う。

【10月】
●10/1
大杉栄(27歳)、荒畑寒村と
第一次『近代思想』創刊
(~1914.9。発禁にならず23冊発行)。
明治社会主義から
大正社会主義への脱皮の第一声。
➡『日録・大杉栄伝』p92

堺利彦「大杉と荒畑」という人物評を書く。
➡黒岩比佐子『パンとペン』p383

発刊資金は大杉の友人、
『実業之世界』の野依(のより)
秀一から金策。
『日録・大杉栄伝』によれば創刊の費用は
大杉の亡き父の軍人遺族
扶助料を抵当にして調達。
➡『大杉栄研究』p100~

近代思想創刊号
第一次『近代思想』創刊号。
左は第二次創刊号

(『大杉栄 伊藤野枝選集 第二巻』
黒色戦線社)

●『青鞜』2巻10号
伊藤野枝の名が社員として初めて載る。
「伊藤野枝 福岡県三池郡二川(ふたかわ)
村濃瀬(ママ)阪(ママ)口方」
二川村大字濃施(のせ)の家は
坂口モトの婚家。
渡瀬(わたぜ)駅前で旅館を営んでいた。
➡「伊藤野枝年譜」
『定本 伊藤野枝全集』(第四巻)

10月から休会になっていた
青鞜研究会を再開。
東雲堂に発売などを任せたから。

火曜と金曜の週二回。
生田長江「モーパッサンの短篇」
阿部次郎「ダンテの神曲」
➡『元始、女性は太陽であった(下)』

●10/17
尾竹竹坡の紹介で
鴬谷の「伊香保」(懐石料理の有名店)で
青鞜1周年記念会。
翌日の万朝報が「新しい女の会」を報じる。

らいてふと神近市子、初対面。
当時、神近『万朝報』の懸賞小説に
応募し「平戸島」が当選する。

らいてう、酔って
便所の草履を履いて座敷まで戻る。

瀬沼夏葉、西崎(生田)花世も出席。
➡『神近市子自伝 わが愛わが闘い』p100
➡『元始、女性は太陽であった(下)』
➡『青鞜の時代』p124

●10/25
東京日日新聞に「新しがる女」6回連載。
(10/25〜10/30)
東京日日新聞に「紅吉より記者へ」上下連載。
(11/1〜11/2)
紅吉が記者に話したことが記事に。
➡『元始、女性は太陽であった(下)』
➡『青鞜の時代』p137

●10/26
大杉、近代劇協会の旗揚げ公演を観劇。

●10/29
退社の決意をした紅吉、
文祥堂に最後の校正に行く。
➡『青鞜の時代』p136

このころらいてう、小林哥津と
東雲堂の若主人西村陽吉の仲が噂になる。
➡『定本 伊藤野枝全集 第一巻』
「雑感」解題

【11月】
●11/1
『青鞜』2巻11号。
野枝「東の渚」

紅吉の書いた「群集の中に交ってから」
「冷たき魔物」が載る。
彼女の青鞜との訣別宣言。

●野枝、
『青鞜』の編集を手伝うようになる。

➡「雑音」(1912年晩秋から1914年ごろの
『青鞜』が描かれている)

●大杉「本能と創造」『近代思想』1巻2号
野枝、辻の影響で『近代思想』を
創刊号から読んだという。
 ➡「伊藤野枝年譜」
『定本 伊藤野枝全集』(第四巻)

●11/3
友愛会の機関紙『友愛新報』創刊。

●11/17
大杉、文芸協会の
『廿世紀』を有楽座で観劇。

●第二次西園寺内閣が倒れ第三次桂内閣。

●下旬
大杉、荒畑が吉原を冷やかす。

●この月、大杉が野依秀市を誘い飲む。

【12月】
●12/1
青鞜2巻12号
牧野静(伊藤野枝のペンネーム)
「日記より」

この月に青鞜叢書第一編として、
岡本かの子処女歌集
『かろきねたみ』出版。
西村から打診されて青鞜叢書に。
➡『元始、女性は太陽であった(下)』415

●12/1
『近代思想』第1巻第3号。
大杉「唯一者 マクス・スティルナー論」。

辻潤、この年または翌年に
『唯一者とその所有』を
読み始めるようになった
(「自分だけの世界」)のは、
大杉のこの記事が契機か。

大杉、書評欄で
「早稲田派の批評家の仲で、
僕は相馬御風氏と
本間久雄氏の文章を好んで読む」。

大杉「法律と道徳」

●このころ
野枝、神田区三崎町三丁目一番の
玉名館を訪れ、紅吉と泊まることになり、
荒木、紅吉、野枝の三人が風呂に入る。
➡「雑感(五)」

●12/19
第一回憲政擁護連合大会が開かれる。
護憲運動の始まり。

●12/25
文祥堂で新年号の校正後、
小網町メイゾン鴻の巣
青鞜社忘年会をする。

●12/27
野枝、らいてうからのハガキが来て、
らいてうの書斎に行く。

●この年、大杉、生田長江と知り合う。
➡『日録・大杉栄伝』p

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1911年(明治44年)16歳

2014年9月3日 水曜日


【3月】
保持研子と母、
荒木郁子の玉名館支店(小石川区高田豊川町→
『「青鞜」の火の娘』p47)に宿泊。
➡『「青鞜」の火の娘』p35

【4月】
●伊藤野枝(16歳)、5年に進級し級長になる。
担任は国語科教師の西原和治。
校内新聞『謙愛タイムス』
(週一回発行)編集長就任。

●4月末
野枝に周船寺高等小学校4年の担当
・谷先生から長い手紙が届く。
5月上旬、谷自殺の報が届く。
➡「背負ひ切れぬ重荷」
『婦人公論』1918年4月号

●辻潤(27歳)、神経衰弱を理由に
精華高等小学校を退職。
西原和治の紹介で上野高等女学校に
英語教師として赴任。
➡「ふもれすく」(『婦人公論』1924年2月号)

バーナード・リーチの夫人が
上野高女の会話の教師をしていた関係から、
バーナード・リーチと知りあう。
バーナード・リーチが桜木町にいた時分、
時々尋ねたり、演奏会に一緒に
行ったりした。(「連環」)

※上野高等女学校、同校教頭・
佐藤政次郎(1876〜1956)と西原和治
(1877・1878〜)と辻の関係
➡『野枝さんをさがして』

※上野高等女学校時代の野枝
➡『自由 それは私自身ー評伝・伊藤野枝』
※野枝と同級生の証言➡
『定本 伊藤野枝全集』(第二巻)の「月報」

●辻と野枝、朝と帰りを共にし
(『東京朝日新聞』一九一六(大正五)年
十一月二十一日号の投書記事)、
辻は野枝の住む叔父の家にも
訪ねたりもしていた。

【5月】
●5/29
らいてう、保持と長江宅を訪れる。
雑誌名の話題になる。

保持案「閨秀文壇」「閨秀文苑」「女流何々」
らいてう案「黒燿」
長江案「ブルー・ストッキング」

鴎外がストッキングに「鞜」という字を
使用していたので「青鞜」にする。

「青鞜」は鴎外の命名というのは誤り。
➡『元始女性は太陽であった』(上)p299

【6月】
●6/1
物集和宅(本郷区千駄木林町9)で
青鞜発起人会を開催。

発起人は以下5人。
らいてう、保持研子(やすもちよしこ)、
中野初子(編集発行人を引き受ける)、
木内錠子(ていこ)、
物集(もずめ)和子。

物集邸に青鞜社の事務所を置く。

5人の発起人により賛助員の依頼をする。
賛助員は長谷川時雨、与謝野晶子、
国木田治子(独歩婦人)、
森しげ女(鴎外夫人)、
小金井君子(鴎外の妹)、田村俊とし子など。

青鞜社社員は発起人を除いて、
野上弥生子、荒木郁子、長沼智恵子など。

雑誌名「ブルー・ストッキング」、
女性の有名人や作家の妻を賛助会員に
というアイデアは長江。
➡『元始女性は太陽であった』(上)p301

●長江、本郷区根津西須賀町に引っ越す。
春夫と同居し「超人社」を名のる。
文壇サロン化する。大杉も訪れる。
➡『知の巨人 評伝 生田長江』p131

【7月】
●1学期末、野枝の心は塞いでいた。
縁談話が進行していたから。
「閉ぢたる心」
(西原和治『新時代の女性』郁分社 1916.9
 ➡『野枝さんをさがして』(p73)

【8月】
●8/7
晶子「そぞろごと」の原稿が青鞜社に届く。
発起人一同、大喜びする。

●8/22
野枝、夏期休暇で帰郷中、末松福太郎
(隣村の周船寺村字飯氏の農家、
末松鹿吉の長男)と仮祝言、
翌日上京。

●東京尾張町に「カフェ・ライオン」開店。

●辻潤、夏に『天才論』の初めの部分を訳す。

●8月下旬
蒸し暑い夜、らいてう、
「元始、女性は太陽であった」を
一気に書く。

【9月】
●9/1
『青鞜』創刊。
9/3の東京朝日新聞に広告。

田村俊子の小説「生き血」掲載。

津田英学塾在学中の神近、『青鞜』創刊号を
三番町の大橋図書館で読む。

●9/2
物集女邸で青鞜社員の研究会開かれる。
田村俊子(日本女子大第一回生。中退)の
個性的な言動に、らいてう呆れる。
➡『元始、女性は太陽であった(下)』342頁

「だれがいったい責任をもってやっていくの」
などと冷笑的にずけずけいうので
社員たちの初対面の印象は悪かった。
尾竹紅吉によれば、
長沼智恵子を連れて編集部に遊びにきたとき、
話にも加わらず壁にもたれて
煙草をふかしていたという。
➡『明治怪女伝』

●本邦初の「人形の家」(松井須磨子)、
文芸協会の坪内逍遥が
自邸内の演劇研究所で上演。

●野枝、夏休み以降卒業までの間、
従姉の代千代子と佐藤政次郎教頭宅に寄宿。
➡「伊藤野枝年譜」
『定本 伊藤野枝全集』(第四巻)

辻の恋人おきんちゃん
(吉原の酒屋の娘)と遭遇。
➡「惑い」『青鞜』4巻4号

【10月】
●仏英和専攻科在学中の小林哥津、
木内錠子の紹介で
青鞜社の社員になる。
➡『元始、女性は太陽であった(下)』360頁

【11月】
●島村抱月訳「人形の家」帝国劇場で上演。
ノラ役の松井須磨子が大当たりをとる。
『人形の家』は「青鞜」(1911年創刊)
とともに「新しい女」の象徴となる。
観劇したらいてうは松井須磨子を
「皮相な演技」と評する。

帝劇は女優と椅子席でも話題になる。

●11/21
野枝、末松家に入籍される。

●11/29
紅吉、叔父の家から大阪に帰り、
「私は入社を欲します」と
らいてうに手紙を書く。
➡らいてう「一年間」
(『青鞜』第三巻第二号)

【12月】
●青鞜12月号。
岡本かの子が青鞜社に入社。

仏英和女学校在学中小林哥津が青鞜社に入社。

●年末、野枝「桜雲会」で上演した
「ベニスの商人」でベラリオ博士役をやる。
また、土井晩翠『天地有情』中の
新体詩「馬前の夢」を朗読。

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1910年(明治43年)15歳

2014年9月3日 水曜日


●4月
野枝(15歳)。
上野高等女学校(下谷区上野桜木町二番地/
現・台東区根岸二丁目、一丁目?)
4年(1年とび級)に編入学。
自由主義的な校風は教頭・
佐藤政次郎の教育方針。
 ➡「S先生に」

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1909年(明治42年)14歳

2014年9月3日 水曜日


●3/25
伊藤野枝(14歳)、周船寺高等小学校卒業。

●4月
伊藤野枝、今宿の谷郵便局
(谷にある今宿郵便局?)に就職。
野枝は14、15歳のころ短歌を作っていた。

死なばみな一切の事のがれ得て
いかによからん等とふと云う
みすぎとはかなしからずやあはれあはれ
(※原文は繰り返しマーク)
女の声のほそかりしかな

『福岡日日新聞』(1923年10月17日)
 ➡『定本 伊藤野枝全集』(第一巻)
「資料篇」
 ➡『野枝さんをさがして』(p3)

●夏
東京の代準介一家が福岡に帰省。
以後、野枝は代準介に女学校入学を
再三懇願する手紙を書く。

●12月末
野枝、女学校編入学準備のため上京。
代家(下根岸81番地)に寄宿。
妹・ツタ、福岡市内に女中奉公に出て、
給金1円50銭のうち1円を今宿の母に送る。

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1908年(明治41年)13歳

2014年9月3日 水曜日


●伊藤野枝(13歳)。
周船寺高等小学校高等科三年修了後、
長崎の叔母・代キチ
(代準介の妻)のもとへ行く。

代準介は当時、長崎市大村町21番地に住み、
三菱重工長崎造船所に材木関係の納入をしていた。
➡「伊藤野枝年譜」
(『定本 伊藤野枝全集』第四巻)

●4/9
野枝、西山女児高等小学校4年に転入学。
➡長崎年表(1908年)

『女学世界』『女子文芸』
(『女子文壇』?)などを愛読か。
 ➡『自由 それは私自身ー評伝・伊藤野枝ー』

『女学世界』(1901明治34創刊)
『女子文壇』(1905明治38〜1913大正2)

【11月】
●代一家が東京で事業を始めることになり上京
(下谷区下根岸81/台東区根岸4、5丁目)。

●11/26
野枝、西山女児高等小学校退学。
今宿へ帰り、周船寺高等小学校に戻る。
担任は女性教師・谷先生。
 ➡「伊藤野枝年譜」
『定本 伊藤野枝全集 第四巻』解題

木下尚江『良人の告白』
(〜の自白?)を愛読していたと

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1907年(明治40年)12歳

2014年9月3日 水曜日


伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1906年(明治39年)11歳

2014年9月3日 水曜日


伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1905年(明治38年)10歳

2014年9月3日 水曜日


●3/27
伊藤野枝(10歳)、榎津尋常小学校卒業。

●4月
野枝、マツが離婚したため今宿に戻り、
約3キロ離れた隣村の
周船寺(すせんじ)高等小学校に入学。
➡「伊藤野枝年譜『定本 伊藤野枝全集』(第四巻)

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1904年(明治37年)9歳

2014年9月3日 水曜日


●6/6
伊藤野枝(9歳)、今宿尋常小学校三年修了後、
叔母マツ(亀吉にはマツ、モト、
キチの3人の妹)の養女となり、
榎津(えのきづ)尋常小学校に転校。
三瀦(みずま)郡大川町
大字榎津620番地の山本直蔵・マツ宅に住む。

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1903年(明治36年)8歳

2014年9月3日 水曜日


伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1902年(明治35年)7歳

2014年9月3日 水曜日


伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1901年(明治34年)6歳

2014年9月3日 水曜日


●4月
伊藤野枝(6歳)、今宿尋常小学校入学。
➡「火つけ彦七」
(『改造』1921年7月夏期臨時号)

●4/20
日本女子大開校。
➡『「青鞜」の火の娘』p36

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1899年(明治32年)4歳

2014年9月3日 水曜日


伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1898年(明治31年)3歳

2014年9月3日 水曜日


伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1897年(明治30年)2歳

2014年9月3日 水曜日


●9月
伊藤野枝(2歳)の妹、
ツタ生まれる(〜1978年6月)。
ツタはのち武部種吉と結婚。

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1896年(明治29年)1歳

2014年9月3日 水曜日


伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1895年(明治28年)0歳

2014年9月3日 水曜日


【1月】
●1/21
未明、福岡県糸島郡今宿村大字谷一一四七番地
(現・福岡市西区今宿1126番地)で
伊藤野枝誕生、戸籍名は「ノヱ」。
第三子・長女。

父・伊藤亀吉(通称は與吉)
1866年(慶応二年)〜1936年。
亀吉は日清戦争に
軍夫として従軍して不在。

母・伊藤ムメ(通称ウメ)
1867年〜1958年。
若狭伊平(伊六)の次女。

長男・吉次郎(1890年〜1908年)、
次男・由兵衛(1892年〜1967年)、
次女・ツタ(1897年〜1973年6月/武部種吉と結婚)、
三男・信夫(1906年/夭折)、
四男・清(1908年〜年)、
五男・良介(1916年/夭折)。
➡「伊藤野枝年譜」
『定本 伊藤野枝全集』(第四巻)

野枝の今宿についての言及は、
➡「無政府の事実」

伊藤野枝年譜 索引

伊藤野枝年譜 1900年(明治33年)5歳

2014年8月9日 土曜日


※このころ、野枝の父・亀吉は
家業再興をはかり、
農産物加工の事業を始めるが失敗。

野枝が小学校に入るころは谷の家屋敷を手放し、
東松原の海沿いの借家に移り
近在の瓦工場の職人になる。
➡「伊藤野枝年譜」『定本 伊藤野枝全集』
(第四巻)

伊藤野枝年譜 索引

ふもれすく年譜 1819年

2014年1月4日 土曜日


ふもれすく年譜索引

伊藤野枝年譜 索引

2013年11月9日 土曜日


【1895年】(明治28年)
【1896年】(明治29年)
【1897年】(明治30年)
【1898年】(明治31年)
【1899年】(明治32年)
【1900年】(明治33年)
【1901年】(明治34年)
【1902年】(明治35年)
【1903年】(明治36年)
【1904年】(明治37年)
【1905年】(明治38年)
【1906年】(明治39年)
【1907年】(明治40年)
【1908年】(明治41年)
【1909年】(明治42年)
【1910年】(明治43年)
【1911年】(明治44年)
【1912年】(明治45年/大正1年)
【1913年】(大正2年)
【1914年】(大正3年)
【1915年】(大正4年)
【1916年】(大正5年)
【1917年】(大正6年)
【1918年】(大正7年)
【1919年】(大正8年)
【1920年】(大正9年)
【1921年】(大正10年)
【1922年】(大正11年)
【1923年】(大正12年)

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