詳伝・伊藤野枝

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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」108回 蕃紅花

文●ツルシカズヒコ 『青鞜』一九一四年三月号に野枝は「従妹に」を書いた。 ……実におはづかしいものだ。 私はあのまゝでは発表したくなかつた。 併(しか)し日数がせつぱつまつてから出そうと約束したので一端書きかけて止めておいたのをまた書きつぎ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」107回 武者小路

文●ツルシカズヒコ 一九一四(大正三)年あたりから、『青鞜』には反論や論争スタイルの文章が掲載されるようになった。 各人の勉強の成果が徐々に実り、反論、論駁の論陣を張れるようになったのだ。 その急先鋒が野枝だった。 武者小路実篤が『白樺』誌...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」106回 御両親様

文●ツルシカズヒコ 『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』によれば、らいてうが実家を出たのは、一九一四(大正三)年一月十三日であった。 らいてうはこの日、女中に手伝ってもらい、円窓の部屋にあった机、本箱、書棚、書物、衣類や手...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」105回 羽二重餅

文●ツルシカズヒコ『青鞜』一九一三(大正二)年十二月号で野枝は沼波瓊音(ぬなみ・けいおん)著『芭蕉の臨終』を紹介している。 先月あたりから私には落ちついて物をよむ暇はなかつた。 今月になつて、よう/\第一に手にしたのがこの「芭蕉の臨終」だつ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」104回 ソニア

文●ツルシカズヒコ 一九一三(大正二)年の秋が深まるにつれ、野上弥生子と野枝の親交も深まりを増していった。 野枝はこう記している。 その頃、私と野上彌生子さんは疎(まばら)な生籬(いけがき)を一重隔てた隣合はせに住んでゐた。 彌生子さんはソ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」103回 少数と多数

文●ツルシカズヒコ 一九一三(大正二)年、秋。 野上弥生子にとって野枝は最も親しい友達になっていた。 九月初旬、二番目の子供を出産するために駒込の病院に入院した弥生子は、二週間目に新たな小さい男の子を抱いて帰宅し、下婢から裏の家にも出産があ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」102回 出産

文●ツルシカズヒコ 野枝は辻の力を借りて、エマ・ゴールドマン『Anarchism and Other Essays』に収録されている「婦人解放の悲劇」を『青鞜』九月号に訳載した。 解放は女子をして最も真なる意味に於て人たらしめなければならな...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」101回 エンマ

文●ツルシカズヒコ 大杉と荒畑寒村が編集発行していた『近代思想』八月号に、「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」が掲載された。 「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」は、エマ・ゴールドマン『Anarchism and Other Essays』に収...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」100回 アンテウス

文●ツルシカズヒコ 野上夫妻の故郷は大分県臼杵(うすき)だったが、野枝の故郷が大分県の隣県である福岡県だったことは、弥生子と野枝に一層の親しみを抱かせた。「ぢやあなたは泳げるでせう。」 「えゝ、あなたは?」 「私も、だけど私は泳ぎは極下手の...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」99回 ジプシイの娘

文●ツルシカズヒコ 一九一三(大正二)年から一九一四(大正三)年にかけて、野枝は隣家に住む野上弥生子と親密な交わりをしていた。 弥生子は『青鞜』の寄稿者であったが、野上邸は野枝が住んでいた借家と生け垣ひとつ隔てた隣り合わせにあった。 辻と野...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」98回 生の拡充

文●ツルシカズヒコ 一九一三(大正二)年七月初旬。 奥山が赤城山から下山してまもなく、「緊急親展」と朱字で書かれた新妻莞からの手紙が、らいてうが滞在している赤城山の宿に届いた。 らいてうの東京の自宅から転送されて来た手紙だった。 啓 私はあ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」97回 赤城山

文●ツルシカズヒコ 一九一三(大正二)年六月末、らいてうは奥村博と新緑の赤城山に出かけた。『青鞜』七月号の文祥堂での校正にらいちょうが不在だったのは、この赤城行のためである。 新緑の赤城の風景のすばらしさについては、らいてうは長沼智恵子から...