詳伝・伊藤野枝

詳伝・伊藤野枝

「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」120回 毒口

文●ツルシカズヒコ 「お前さんも、あんまり呑気だよ。用達しに行ったとき、遊びにいったときとは違うからね。子供を他人に預けてゆきながら、いつまでもよそにお尻をすえていられたんじゃ、預かった方は大迷惑だよ。もう少し大きくなれば、どうにか誤魔化し...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」119回 自己嫌悪

文●ツルシカズヒコ 「ああ、またどうしても行かなければならないのか……」 上野高女五年時のクラス担任だった西原和治の家を訪れると、いつも西原は野枝が黙っていても察して金を出してくれるが、そういう用事で西原に会わなければならないことが、野枝は...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」118回 義母

文●ツルシカズヒコ 野枝は『新日本』一九一八(大正七)年十月号に「惑い」を寄稿している。 創作のスタイルで書いているので仮名を使用しているが、「谷」は辻、「逸子」は野枝、「母親」は辻美津(ミツ)、乳飲み子である「子供」は一(まこと)である。...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」117回 下田歌子

文●ツルシカズヒコ 結局、『青鞜』の「三周年記念号」は十月号(第四巻第九号)になった。 野枝は『青鞜』同号に「遺書の一部より」と「下田歌子女史へ」を書いている。 『定本 伊藤野枝全集 第二巻』の「解題」によれば、「下田歌子女史へ」は『新日本...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」第116回 世界大戦

文●ツルシカズヒコ 一九一四(大正三)年、九月。 創刊「三周年記念号」になるはずだった『青鞜』九月号は、休刊になった。 『青鞜』の一切の仕事をひとりで背負うことになったらいてうは、疲れていた。 部数も東雲堂書店時代を頂点に下り坂に向かう一方...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」115回 ヂョン公

文●ツルシカズヒコ 辻一家が上駒込から小石川区竹早町に引っ越したのは、一九一四(大正三)年の夏だった。 野上弥生子「小さい兄弟」では、時間軸が一九一五(大正四)年に設定されているが、この辻一家の引っ越しについての描写もある。 「いやだな、野...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」114回 三角山

文●ツルシカズヒコ 辻と野枝が北豊島郡巣鴨町上駒込三二九番地から小石川区竹早町八二番地に引っ越し、辻の母・美津、辻の妹・恒(つね)と同居を始めたのは、一九一四(大正三)年の夏だった。 上駒込に住んでいた当時の野枝と野上弥生子の親交については...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」113回 色欲の餓鬼

文●ツルシカズヒコ  野枝は『青鞜』一九一四年七月号に「下田次郎氏にーー日本婦人の革新時代に就いて」(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)を発表。 東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)教授であり、女子教育において良妻賢母思想を基調とした論...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」112回 妙義神社

文●ツルシカズヒコ 一九一四(大正三)年六月、らいてうと奥村は北豊島郡巣鴨町一一六三番地から、北豊島郡巣鴨町上駒込四一一番地に引っ越した。 青鞜社の事務所の住所もここに移ったことになる。 野枝の家とは道路ひとつ隔てた妙義神社前の貸家だった。...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」111回 染井の森

文●ツルシカズヒコ 「散歩いたしませんか」 こう言って誘いに来た野枝と連れ立って、野上弥生子が家から近い染井の森へ行ったのは、ある春の日だった。 野枝は一(まこと)をおんぶしていた。 弥生子は下婢の背中に下の子(野上茂吉郎)を預け、そのかわ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」110回 婦人附録

文●ツルシカズヒコ 一九一四(大正三)年、保持研子(よしこ)がこの年の『青鞜』五月号を最後に青鞜社を去り、創刊時の発起人はらいてうただひとりになった。 『青鞜』八月号が保持の結婚の報を伝えている。 白雨氏……結婚、小野氏と改名。社の事務は全...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」109回 猫板

文●ツルシカズヒコ 野枝が訳した『婦人解放の悲劇』に鋭敏に反応したのが大杉だった。 大杉はまず女子参政権運動者とエマ・ゴールドマンとの違いをこう指摘している。 女子参政権運動者等は、在来の男子の所謂政治的仕事を人間必須の仕事と認めて、女子も...