詳伝・伊藤野枝

詳伝・伊藤野枝

「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」66回 上山草人

文●ツルシカズヒコ 一九一三(大正三)年二月二十日、哥津の家で紅吉がらいてうについて散々語った日ーー。 しゃべった紅吉よりも、野枝はすっかりくたびれて荒木郁子の火事見舞いどころではなくなり、日も暮れたので家に帰ることにした。 野枝が立ち上が...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」65回 平塚式

文●ツルシカズヒコ 三人の話題はいつしか、らいてうのことになった。「紅吉はね、とうとう平塚さんとは絶交よ」「そう、どうして? 本当? 手紙でもよこして?」「ええ、手紙が来たんです。私はなんとも思ってやしません。これから落ちついて勉強するんで...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」64回 神田の大火

文●ツルシカズヒコ 一九一三(大正二)年二月二十日、午前一時二十分ごろーー。 神田区三崎町二丁目五番地(現在の千代田区神田三崎町一丁目九番)の救世軍大学植民館寄宿舎付近より出火した火の手は、折りからの強風に煽られながら朝八時過ぎまで燃え続け...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」63回 姉様

文●ツルシカズヒコ 青鞜社講演会の後、おそらく一九一三(大正二)年二月半ばのころであろうか。 野枝は当時の青鞜社内部の人間関係について、こう記している。 もっとも紅吉はすでに青鞜社の社員ではないのだが。 紅吉と平塚さんの間は旧冬の忘年会以後...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」62回 女子英学塾

文●ツルシカズヒコ「青鞜社第一回公開講演会」の翌日、『東京朝日新聞』は「新しき女の会 所謂(いはゆる)醒めたる女連が演壇上で吐いた気焔」という見出しで、こう報じた。 当代の新婦人を以て自任する青鞜社の才媛連は五色の酒を飲んだり雑誌を発行する...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」61回 青鞜社講演会

文●ツルシカズヒコ 「玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて政敵を倒さんとするものではないか」 立憲政友会党員の尾崎行雄が、桂太郎首相弾劾演説を行なったのは、一九一三(大正二)年二月五日だった。 前年暮れに成立した第三次桂内閣への批判...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」60回 相対会

文●ツルシカズヒコ この発禁になった『青鞜』一九一三年二月号で野枝が月刊『相対』創刊号を紹介している。 今度かう云ふ雑誌を紹介致します。 小さい雑誌ですが極めて真面目なものでかう云ふ種類の雑誌は他にはないさうです。 本誌は小倉清三郎氏が単独...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」59回 新らしき女の道

文●ツルシカズヒコ 『青鞜』一九一三年一月号の附録(特集)は「新らしい女、其他婦人問題に就いて」だった。 『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p422~423)によれば、この特集を組んだ目的はまず対外的なもので、ジャーナ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」58回 夏子

文●ツルシカズヒコ このときの野枝の印象を、神近は4年後にこう書いている。 ……学校の休暇(やすみ)の時、根岸のKのところで逢つたのは正月であつた。 女中のやうな至つて質素な着付けが、お体裁屋の、中流の東京の家庭の人々とばかり接触してゐて、...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」57回 東洋のロダン

文●ツルシカズヒコ 一九一二(大正元)年十二月二十七日、忘年会の翌々日、らいてうから野枝に葉書が届いた。 昨夜はあんなに遅く一人で帰すのを大変可愛想に思ひました。 別に風もひかずに無事にお宅につきましたか。 お宅の方には幾らでも、何だつたら...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」56回 軍神

文●ツルシカズヒコ 紅吉は頑固に黙ってしまった。 荒木の軽いお調子にもなかなか乗ってはこなかった。 しまいにはぐったりして、野枝の膝を枕にして寝てしまった。 哥津はとうとう帰り支度を始めた。 岩野も先が遠いからと仕度を始めた。 野枝の膝には...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」55回 メイゾン鴻之巣

文●ツルシカズヒコ 一九一二(大正元)年十二月二十五日、クリスマスのこの日は『青鞜』新年号の校正の最後の日だった。 帰りにどこかで忘年会をしようと、らいてうが言い出した。  文祥堂の校正室にはらいてう、紅吉、哥津、野枝、岩野清子、西村陽吉が...