詳伝・伊藤野枝

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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」72回 円窓より

文●ツルシカズヒコ『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p458~459)によれば、一九一三(大正二)年五月一日、らいてうの処女評論集『圓窓より』(東雲堂)が発行されたが、発売と同時に発禁になった。「世の婦人達に」が収録さ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」71回 White Cap.

文●ツルシカズヒコ 一九一三(大正二)年四月、青鞜社の事務所は本郷区駒込蓬萊町の万年山(まんねんざん)勝林寺から、東京府北豊島郡巣鴨町大字巣鴨一一六三の借家に移転した。『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p457)によれ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」70回 荒川堤

文●ツルシカズヒコ 野枝と岩野清子がらいてう宅を訪ねると、らいてうは折りよく居合わした。 三人は荒川の方へ歩いて行くことにした。 本郷区駒込曙町のらいてうの家を出て、駒込富士前町の裏手から田端にかけての道は、野枝がよく知っていた。 お天気が...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」69回 国府津

文●ツルシカズヒコ『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p449~450)によれば、 一九一三(大正二)年三月、前年暮れの岡本かの子の処女歌集『かろきねたみ』を青鞜叢書第一編として出版したのに引き続き、『青鞜小説集』が第二...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」68回 枇杷の實

文●ツルシカズヒコ 一九一三(大正二)年四月初旬、辻潤と野枝は芝区芝片門前町の間借り住まいをやめ、染井の家での生活に戻った(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p190)。 上山草人(かみやま・そうじん)の家を訪れた興奮の夜の後も、野枝は紅吉に...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」67回 ファウスト

文●ツルシカズヒコ 奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(p78~)によれば、奥村と声楽家の原田潤が出会ったのは一九一二(大正元)年十一月、文芸協会公演のバーナード・ショーの喜劇『二十世紀』を有楽座で観劇しているときだった。 幕間にふとしたこと...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」66回 上山草人

文●ツルシカズヒコ 一九一三(大正三)年二月二十日、哥津の家で紅吉がらいてうについて散々語った日ーー。 しゃべった紅吉よりも、野枝はすっかりくたびれて荒木郁子の火事見舞いどころではなくなり、日も暮れたので家に帰ることにした。 野枝が立ち上が...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」65回 平塚式

文●ツルシカズヒコ 三人の話題はいつしか、らいてうのことになった。「紅吉はね、とうとう平塚さんとは絶交よ」「そう、どうして? 本当? 手紙でもよこして?」「ええ、手紙が来たんです。私はなんとも思ってやしません。これから落ちついて勉強するんで...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」64回 神田の大火

文●ツルシカズヒコ 一九一三(大正二)年二月二十日、午前一時二十分ごろーー。 神田区三崎町二丁目五番地(現在の千代田区神田三崎町一丁目九番)の救世軍大学植民館寄宿舎付近より出火した火の手は、折りからの強風に煽られながら朝八時過ぎまで燃え続け...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」63回 姉様

文●ツルシカズヒコ 青鞜社講演会の後、おそらく一九一三(大正二)年二月半ばのころであろうか。 野枝は当時の青鞜社内部の人間関係について、こう記している。 もっとも紅吉はすでに青鞜社の社員ではないのだが。 紅吉と平塚さんの間は旧冬の忘年会以後...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」62回 女子英学塾

文●ツルシカズヒコ「青鞜社第一回公開講演会」の翌日、『東京朝日新聞』は「新しき女の会 所謂(いはゆる)醒めたる女連が演壇上で吐いた気焔」という見出しで、こう報じた。 当代の新婦人を以て自任する青鞜社の才媛連は五色の酒を飲んだり雑誌を発行する...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」61回 青鞜社講演会

文●ツルシカズヒコ 「玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて政敵を倒さんとするものではないか」 立憲政友会党員の尾崎行雄が、桂太郎首相弾劾演説を行なったのは、一九一三(大正二)年二月五日だった。 前年暮れに成立した第三次桂内閣への批判...