詳伝・伊藤野枝

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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」42回 吉原登楼

文●ツルシカズヒコ 紅吉こと尾竹一枝は菊坂の女子美術学校を中退後、叔父・尾竹竹坡の家に寄寓していたが、一九一一(明治四十四)年十一月に実家のある大阪に帰郷していた。 紅吉がらいてうの存在を知るきっかけとなったのは、森田草平が『東京朝日新聞』...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」41回 同性愛

文●ツルシカズヒコ 野枝が円窓のあるらいてうの書斎を初めて訪れた日の夜、青鞜社員の西崎花世が友達ふたりを連れてやってきた。 ひとりは西崎が下宿している家の主婦で、もうひとりはやはり社員の小笠原貞だった。 『元始、女性は太陽であった(下)』(...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」40回 円窓

文●ツルシカズヒコ 「雑音」第一回は『青鞜』一九一二年十二月号の編集作業のシーンから始まっている。 野枝が本郷区駒込曙町一三番地のらいてうの自宅を訪れたのは、おそらく十一月も半ばを過ぎたころだろうか。 野枝が三畳ほどの円窓のあるらいてうの書...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」39回 青鞜

文●ツルシカズヒコ 一九一二(大正元)年九月十三日、明治天皇の大喪の礼が帝國陸軍練兵場(現在の神宮外苑)で行われた。 乃木希典と妻・静子が自刃したのは、その日の夜だった。 野枝がらいてうから送ってもらった旅費で帰京したのは、「伊藤野枝年譜」...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」38回 椎の山

文●ツルシカズヒコ  『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p404~405)によれば、野枝から手紙を受け取ったらいてうは、まず辻潤に相談することにした。  小耳に挟んでいた染井という住所を頼りに、らいてうは辻の家を探し当...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」37回 野生

文●ツルシカズヒコ 出奔した野枝に対する親族のフォローが気になるが、矢野寛治『伊藤野枝と代準介』(p74)によれば、代準介とキチが上京し野枝に翻意を促したが「ノエと辻はすでに深い関係となっており、しばらく間を置き、熱の冷めるのを待つことにし...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」36回 染井

文●ツルシカズヒコ 辻潤宅で辻と野枝の共棲が始まったのは、おそらく一九一二(明治四十五)年の四月末ごろである。 僕はその頃、染井に住んでゐた。 僕は少年の時分から、染井が好きだツたので一度住んで見たいと兼々(かねがね)思つてゐたのだが、その...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」35回 出奔(七)

文●ツルシカズヒコ 野枝が出奔したのは一九一二(明治四十五)年四月だったが、その二年後『青鞜』に「S先生に」を寄稿し、出奔したころの上野高女の教頭・佐藤政次郎(まさじろう)の言動を痛烈に批判している。 佐藤に対する批判の要点を現代の口語風に...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」34回 出奔(六)

文●ツルシカズヒコ 野枝は上野高女のクラス担任だった西原和治が送ってくれた、電報為替で旅費を工面し上京した。 上京したのは「十五日夜」に辻が書いた手紙が福岡についた後であるから、一九一二(明治四十五)年四月二十日ころだろうか。 とにかく、野...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」33回 出奔(五)

文●ツルシカズヒコ 一九一二(明治四十五)年四月十五日付けの辻の手紙は、こう続いている。 然し問題は兎に角汝がはやく上京することだ。 どうかして一時金を都合して上京した上でなくつては如何(どう)することも出来ない。 俺は少くとも男だ。 汝一...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」32回 出奔(四)

文●ツルシカズヒコ 辻からの手紙、四月十三日の文面にはこう書いてあった。 今日帰ると汝の手紙が三本一緒にきてゐたのでやつと安心した。 近頃は日が長くなつたので晩飯を食ふとすぐ七時半頃になつてしまふ。 俺は飯を食ふとしばらく休んで、たいてい毎...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」31回 出奔(三)

文●ツルシカズヒコ 金の問題もあった。 着替えも持たず、お金も用意する暇もなく、不用意にフラフラと家を出てしまったのだ。 三池の叔母の家で金を算段するつもりだったが、ついに言い出せなかった。 そして、家出したことが知れそうになって、思案のあ...