ツルシカズヒコ執筆の
伊藤野枝1895-1923「第61回眼鏡」
に絵をアップしました。
1913(大正2)年6月30日の夜、
麹町の木村荘太の下宿を
午後10時ごろ辞した野枝が、
辻の待つ上駒込の家に戻ったところです。
伊藤野枝1895-1923「第61回眼鏡」 by ワタナベ・コウ on pixiv
今の駒込巣鴨あたりは、当時、
田んぼや牧場のある郊外だったようです。
野枝自身も田んぼがどうとか書いてるし、
荘太の友人でもあった詩人の千家元麿
(せんげ・もとまろ1888-1948)は、
「自分は見た」という自然を賛美する詩に
〈巣鴨の大通りを田舎から百姓の車が〉
と書いていたりします。
いやまあ、
そんな詩を引き合いに出すまでもなく、
上駒込というのは、
私が中退した東京外国語大学が
2002年に府中に移転するまであった
北区西ヶ原の近くなので、
100年前のあのへんの「田舎」ぶりは、
アタシにも容易に想像できます。
だって、
アタシは1981年に外語大入学なわけだけど、
二次試験ではじめて巣鴨駅を降りたとき、
「ココ、東京じゃねえだろ!」
って心の中で叫んでたもん。
34年前に上京してわかった現実は、
東京っつったって、
ホントの「都会」はほんの一部で、
その大半は田舎と同じ田舎である、
ってことでしたがね。
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さて、今回の絵の主役は、
辻と野枝が交わした手紙がつまった
「ふたつの大きな袋」です。
「ふたつの大きな袋」としか
野枝は書いていないのですが、
どんな袋だったんだろうと
想像たくまくして、
当時は着物はすべて自作ですから、
その着物のハギレをパッチワークした
大きな巾着袋だったら面白いなと。
動揺(牽引)事件での最大の危機を、
このふたつの巾着袋は見ていた、
ってわけですよ。
小津の映画『晩春』の壷みたいに……。
そして、辻は、
その大きな袋に入れておいた野枝からの手紙を
1944年の死の直前まで持ち歩き、
最後に石井漠に預けるんですが、
1945年、自由が丘にあった石井漠の
ダンススタジオが空襲を受け、
野枝の手紙も焼失してしまいました。
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