『「週刊SPA!」黄金伝説』を読んでいただいた、
講談社の太田克史さんの感想の中に、
「編集部のテンションが下がってしまう原因について、
じっくり読ませていただきたかったです」とあるのですが、
確かにそれは雑誌の宿命とも言われているので、
「雑誌編集部のテンションが下がってしまう原因」について、
ちょっと考えてみたい。
『「週刊SPA!」黄金伝説』に、
〈持続していた現場編集者のテンションがこのあたりで尽きてきた〉
という下りがあるんですが、
「このあたり」というのは91年の冬ぐらいです。
『SPA!』創刊は88年6月だから、創刊から3年半が経過している。
『SPA!』躍進の土台を作った、
2代目編集長の渡辺直樹さんが編集長に就任したのが89年3月なので、
そこから計算しても約3年ぐらい経過している。
当時の『SPA!』には毎週、1色特集1本、カラー特集2本があり、
つまり年間約150本の特集企画をアウトプットしていたわけです。
3年間で450本ですね。
だから、編集部のテンションが下がってしまった理由の第一は、
創刊から突っ走ってきた現場編集者たちが疲れてきた、飽きてきた、
で、特集のネタも尽きてきたからでしょう。
対策としては、新しい人材を導入するという方策がありますが、
『SPA!』にも若くて新しい人材が入ってきましたが、
新人たちの力量と現場の強者編集者との力量の差がありすぎて、
状況が好転するというわけにはいかなかったです。
それと、そろそろ編集長が替わる時期に来ていて、
編集部が以前のように一枚岩になりきれないという理由があったのでは。
92年ごろから、2代目編集長の渡辺直樹さんは、
『SPA!』の「次」を考え始めていました。
渡辺さんは93年に『SPA!』の編集長を僕に譲り、
『パンジャ』という月刊誌の創刊準備を始めるのですが、
その影響もあったと思います。
つまり、渡辺さんが『SPA!』を去った後の身の処し方を、
みんないろいろ考えるようになるわけです。
次の編集長や副編集長は誰になるのか、
渡辺さんについて行った方がいいのか、
『SPA!』に残った方がいいのか……とか。
そうなると、以前のように雑誌作りに専念できないというか、
編集部員の人間関係がギクシャクし始めるというか。
そして、当時の『SPA!』の特集は月刊誌なみの密度の濃さがあった、
っていうのも、自分で自分の首を絞めていた感がありますね。
