ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記
内田魯庵「最後の大杉」
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※
明大和泉図書館で借りて来た
内田魯庵『思い出す人々』。
これは大正14年(1925年)6月に
出版された本の復刻版なんですが、
この中に「最後の大杉」
という文章があります。
大杉栄&伊藤野枝夫妻が
虐殺されたのは
1923年9月16日ですが、
大杉&野枝一家が豊多摩郡
淀橋町柏木に引っ越してきたのが、
虐殺される前月の8月初めでした。
魯庵宅と大杉&野枝宅は隣り同士で、
両家は家族ぐるみの
付き合いをしていた。
魯庵の「最後の大杉」が
大杉一家の生活臭漂う
名作になったのは、
そいう背景があったからです。
関東大震災後の靖国神社境内に
建てられた仮設住宅
From Wikimedia Commons
9月1日の地震の後、
戸外に避難していた魯庵と
大杉が立ち話をするシーンが
「最後の大杉」の中あります。
魯庵「どうだったい。エライ地震だネ。
君の家は無事だったかネ?」
大杉「壁が少し落ちたが、
大した被害は無い。
だが、吃驚(びっくり)した。
家が潰れるかと思った。」
魯庵「下町はヒドからうナ。
安政ほどじゃなからうが
二十七年のよりはタシカに大きい。
之で先づ当分は滅茶苦茶だ。」
魯庵が言及している
「安政」「二十七年の」というのは、
以下の地震のことです。
●安政東海地震(1854年12月23日)&
安政南海地震(同年12月24日)
●明治東京地震(1894年6月20日14時4分)
1868年生まれの魯庵は、
明治東京地震を26歳で体験しているので、
実体験からの言葉だったのでしょう。
安政の大地震は
魯庵が生まれる前だったので、
おそらく親世代からその揺れの
大きさや被害の大きさを
聞いていたのでしょう。
明治東京地震時、
大杉は9歳でしたが
新潟県の新発田にいたので、
その実体験はなかったはず。
明治東京地震時、
8歳だった平塚らいてうは、
麹町区三番町の自宅から
招魂社(靖国神社の旧称)の
境内に避難しました。
関東大震災後、靖国神社には
仮設住宅が建てられましたが、
明治東京地震の際にも
避難場所だったんですね。
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