ポチのクレヤン編集長日記:ポチことツルシカズヒコが書く身辺雑記
平塚らいてうが見た最後の伊藤野枝
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『元始女性は太陽であった-
平塚らいてう自伝(完結篇)』
(大月書店/1973.11.16)によれば、
平塚らいてうが生前の伊藤野枝と
最後に接したのは、
1919年(大正8年)10月5日だった。
その日、友愛会婦人部主催
婦人労働者大会が開かれたのだが、
ワシントンで開催される
第一回国際労働会議代表を
めぐり揉めていた。
政府代表の婦人顧問として
任命されたのが田中孝子だったが、
田中孝子(旧姓は高梨)は
財界人の渋沢栄一の姪であることから、
労働者側からの風当たりが強かった。
司会は市川房枝で、
大会は騒然とした中で進行したが、
なんとか閉会にこぎつけた。
しかし、
騒ぎは閉会後の控え室で起きた。
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野枝が控え室に乱入してきて、
らいてうをジロリと睨み、
田中孝子に烈しい罵倒の
言葉を投げつけたのだった。
「婦人労働者の経験のないあたなに、
婦人顧問をつとめる資格はないのだ。
一刻も早くおやめなさい」
らいてうは
「工場で働く労働者のほかは
労働者じゃないように
言うのは間違いでしょう……」
とたしなめたが、
野枝は黙殺して
プイと背を向けて出て行った。
これがらいてうが最後に目撃した
野枝の姿だった。
野枝が殺される
約4年前の夜のことであった。
「労働者の問題は労働者自身が
解決しないといけない」というのが
大杉栄の考え方なのである。
なぜそうかというと、
労働者の味方のふりをして、
議会制という仕組みを利用し、
無産者政党の勢力を
伸張させたところで、
それは新たな権力を生み
出すことにほかならないから。
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