「詳伝・伊藤野枝」第245回 魔子

文●ツルシカズヒコ

 一九一七(大正六)年九月二十五日、野枝は大杉との間の第一子、長女・魔子を出産した。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、魔子をとりあげた助産婦・北村悦は東京の産婆会の会長で小石川で助産婦をしていた。

 そして、北村悦の夫、北村利吉は警視庁勤務の巡査だったが、魔子をとりあげた北村悦を介する縁で、大杉と北村利吉は親交があったという。

 文学座俳優の北村和夫は、北村利吉・悦夫妻の孫である。

 北村和夫は警視庁の高等刑事だった祖父から直に聞いた話として、こう書いている。

 大杉栄といえば、明治から大正にかけて無政府主義の革命家としてならし、警察にとっては目のカタキの人物でしたが、こともあろうに警視庁勤めの祖父が、この大杉栄と仲がよかったそうなんです。

 たとえば、こんなことがあったと祖父から直に聞いたことがありました。

 あるとき、刑事に追われた大杉栄が祖父を頼ってわが家に逃げ込んできたんですな。

 追ってきた刑事は、わか家の表札を見て、ハタと立ち止まり「北村さんの家ではなぁ……」とあきらめて帰っちゃったそうで、時代のせいかもしれませんが、なんとも妙な話です。

 ご存知のように、大杉は妻の伊藤野枝とともに、関東大震災のとき憲兵隊に虐殺されましたが、ずっと後になって、文学座でも『美しき者の伝説』(作・宮本研)という、大杉栄、伊藤野枝の出てくる大正ロマンチシズムの芝居を上演、評判になったことがあります。

(北村和夫『役者人生 本日も波瀾万丈』_p15)

 「魔子」と命名したのは、大杉だった。

 彼女と僕との間に出来た第一の女の子は、僕等があんまり世間から悪魔! 悪魔! と罵られたもんだから、つい其の気になつて、悪魔の子なら魔子だと云ふので魔子と名づけて了つた。

(「二人の革命家・序」/大杉栄・伊藤野枝『二人の革命家』/日本図書センター『大杉栄全集 第7巻』)

 大杉は安成二郎に葉書を書いた。

 一昨々日女の子が生まれた。

 まだ名はきまらないが、僕は魔子と主張してゐる。

 女中はなし、忙しくてやりきれない。

 原稿は明日書く。

 それで間に合ふだらうか。

 九月二十八日夕(大正六年)

 栄 

 安成二郎様

(巣鴨宮仲から大久保百人町へ)

(「消息(大杉)」/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』)

 「原稿」とは『女の世界』十月号に掲載された「野枝は世話女房だ」のことであろう。

 十月一日、野枝は妹・ツタに手紙を書いた。

 宛先は「大坂市西区松島十返町 武部種吉様方」。

 発信地は「東京市外巣鴨村宮仲二五八三」。

 松屋製二百字詰原稿用紙二枚にペン書き。

 前略 おかわりはありませんか、私も元気でゐます故御安心下さい。

 先日廿五日に女児出産魔子(まこ)と名づけました。

 そちらではもう松茸が出てゐるやうですが、こちらではまだ手に入りません。

 少々でよろしいが送つて貰へませんか、その代り何なりとそちらでおのぞみのものを、こちらからもお送りします。

 何卒よろしくお願いします。

 野枝

 津た子様

「書簡 武部ツタ宛」一九一七年十月一日/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p443)

 そのころ、野枝の郷里の糸島郡一帯では、流行のノーエ節に託して、野枝を揶揄する替え歌が唄われたという。

 腹がふくれて野ー枝

 月が満つれば野ー枝

 いやでもサイサイ

 いやが応でも赤児ができる

 野枝の腹からノーエ

 赤児がうまれたノーエ

 野枝のサイサイ

 腹から赤児がうまれた

 ……世間を騒がせる野枝のことを愧(は)じて、一族の中にはこんど野枝が帰ってきたら尼にして、その曲がった性根を叩き直してやると息巻き、ウメ(※野枝の母・ムメ)の前で鋏をちらつかせる者もあった。

 「そげんことであの子の性根が変わると思うとなら、してみりゃよかたい」

 ウメはそういって薄笑いしていた。

 周囲のすさまじいまでの非難の中で、この言葉はウメが不思議なまでに動じていないことを示している。

(松下竜一『ルイズーー父に貰いし名は』_p32~33)

 野枝は内藤民治が創刊した『中外』十月創刊号に「サニンの態度」を書いた。

 「女流作家の男性観」という欄に寄稿したもので、野枝の他には小口みち、素木しづ(しらき・しづ)、西川文子などが寄稿している。

 野枝は「自分の好きなタイプ、嫌いなタイプの男」について、歯切れのいい文章を書いている。

 どんな性格の男に敬愛を捧げるかと云ふ問いに対して理想を云へば……実在の男ではありませんが、アルツバシエエフによつて描かれた、サニンが好きです。

 何物にも脅やかされず、どんな場合にも、大手を拡げて思ひのまゝに振舞ふ。

 一寸(ちよつと)誰にも真似の出来ない超越した態度が好きです。

 ……若い理想主義者の死に対して、何の躊躇もなしに、その葬式に際して『世間から馬鹿が一人減つたのだ』と平気で云つて退ける彼が、私には少しのわざとらしさも嫌味をなく受け入れられるのです。

 サニンのやうな男なら、一つの命を二つ投げ出しても尊敬を捧げて見たいとおもひます。

 体は出来る丈け男らしい肩と胸を持つた人が好きです。

 しかし、会つた最初にさうした肉体的な印象や圧迫を先きに、与へるやうなのは嫌です。

 顔には随分好き嫌ひがありますが……あんまりテカ/\と血色のいゝのは何となく俗物らしい感がして嫌いです。

 それから髯のないのも嫌ひです。

 それから変にのつぺりした綺麗な所謂美男子は嫌ひです。

 しかし……顔は……表情で極まるものだとおもひます。

 私はひげのない顔は嫌やだとたつた今書きましたけれど、好きな顔があります。

 音楽家の澤田柳吉氏の顔がさうです。

 彼の人のあの蒼白い顔色とこめかみのあたりから頬にかけての神経質な線は、他の誰にも見出せないやうな特別な魅力をもつてゐます。

 それから寄席芸人の猫八、あの男のたゞの時はそれ程何も感心する顔ではありませんが、彼が真剣に虫の鳴声や鳥の声をまねてゐる時は、本当にしつかりしたすきのない、いゝ顔を見せます。

 髯のない嫌な顔では先づ与謝野鉄幹氏。

 あれでも詩人なのかと思ふやうな顔だと私は思ひます。

 関西の方の商家の店に座つてゐる男によくあのタイプを見ます。

 それから役者の吉右衛門の顔。

 舞台に出ると少しつり上つた眼尻から、高いコツコツの頬骨のあたり、何時もかたく結んだ唇のあたり、何を演(や)つてゐても如何にも小心な他人の気持ばかりを覗(うかが)つてゐるやうな佞奸邪智(ねいかんじゃち)と云つた感じを強く与へます。

(「サニンの態度」/『中外』1917年10月創刊号・第1巻第1号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』に初収録/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p441~442)

与謝野鉄幹

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★北村和夫『役者人生 本日も波瀾万丈』(近代文芸社・1997年)

★大杉栄・伊藤野枝『二人の革命家』(アルス・1922年7月11日)

★『大杉栄全集 第7巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★松下竜一『ルイズ–––父に貰いし名は』(講談社・1982年3月10日)

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