詳伝・伊藤野枝

詳伝・伊藤野枝

「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」132回 砲兵工廠

文●ツルシカズヒコ 一九一五(大正四)年一月の末のある日の深夜、山田嘉吉、わか夫妻の家から帰宅の途についた野枝は、水道橋で乗り継ぎ電車を待っていた。 漸くに待つてゐた電車が来た。 ふりしきる雪の中を、傘を畳んで悄々(しほしほ)と足駄の雪をお...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」131回 四ツ谷見附

文●ツルシカズヒコ 女性解放問題にも深い関心を持っていた山田嘉吉が、アメリカの著名な社会学者、レスター・フランク・ウォード(Lester Frank Ward)の講義をすることになり、その勉強会に山田わか、らいてう、野枝などが参加していた。...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」第130回 山田わか

文●ツルシカズヒコ 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、 一九一四(大正三)年十二月に発行され発禁になった『平民新聞』三号を、野枝が隠匿してくれたことを大杉が聞き知ったのは、そのひと月後くらいだった。 一九一五(大正四)年一月二十日ごろ、大杉...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」129回 編輯室より

文●ツルシカズヒコ さらに、御宿に滞在しているらいてうに手紙を書いたこと、らいてうが上京してふたりで話し合ったこと、自分が『青鞜』を引き継ぐことになった経緯を書いた。 助手の資格しかない田舎者の私がどんなことをやり出すか見てゐて頂きたい。 ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」128回 思想方向

文●ツルシカズヒコ 『青鞜』一九一五(大正四)年一月号に、野枝は「『青鞜』を引き継ぐに就いて」を書いた。 野枝はまず、創刊からここまでに到る大づかみの『青鞜』の推移について書いた。 新しきものゝ動き初めたときに旧いものから加へらるゝ圧迫は大...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」127回 貞操論争

文●ツルシカズヒコ 一九一四(大正三)年の『青鞜』を語る上で欠かせないのが、西崎(生田)花世と安田皐月の間で起きた「貞操論争」である。 発端は生田長江主幹の文芸評論誌『反響』九月号に、花世が発表した「食べることと貞操と」という告白的な文章だ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」126回 身の上相談

文●ツルシカズヒコ 野枝が『青鞜』の編集発行人になる件について、『読売新聞』が記事にした。 「原始女性は太陽なり」で婦人の自覚を促した「青鞜」もこの頃幹部の間に意見の扞格(かんかく)を生じたので愈々(いよいよ)平塚らいてう氏は同誌より退隠し...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」125回 引き継ぎ

文●ツルシカズヒコ 一九一四(大正三)年十一月、平塚明『現代と婦人生活』が出版されたが、野枝はその「序」を書いた。 らいてうさま、 ほんとうに私は嬉しうございます。 私はあなたの第二の感想集が出版されるのだと思ひますとまるで自分のものでも出...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」124回 平民新聞

文●ツルシカズヒコ 大杉と荒畑寒村が編集発行する、月刊『平民新聞』創刊号が発行されたのは、十月十五日だった。 しかし、即日発禁になり、この日の正午、印刷所から持ち運ばれるや否や直ちに全部を押収された。 全紙面が安寧秩序に有害だというのが発禁...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」123回 人間問題

文●ツルシカズヒコ 一九一四(大正三)年十月に奥村と千葉県の御宿に行ったらいてうは、当初、上野屋という旅館に宿泊していたが、しばらくして漁師の家の広い部屋を借りた。 野枝が書いた『青鞜』十二月号(第四巻第十一号)「編輯室より」(『定本 伊藤...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」122回 根本問題

文●ツルシカズヒコ 野枝の胸中に今まで抑えに抑えていた辻に対する微細な不満が、頭をそろえて湧き上がってきた。 野枝が言いたいことを言い、したいことをすれば、家の中の人たちの不平や不満は、どれもこれも辻に向かうに決まっていた。 野枝はそういう...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」121回 小石川植物園

文●ツルシカズヒコ 野枝が西原から金策をしてきた日の翌朝。 辻も野枝も義母の美津も、それぞれに不機嫌だった。 野枝は朝の仕事をひととおりしてしまうと、机の前に座って子供の相手をしながら読書を始めた。 野枝にとって読書が最も寛(くつろ)げると...