詳伝・伊藤野枝

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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」114回 三角山

文●ツルシカズヒコ 辻と野枝が北豊島郡巣鴨町上駒込三二九番地から小石川区竹早町八二番地に引っ越し、辻の母・美津、辻の妹・恒(つね)と同居を始めたのは、一九一四(大正三)年の夏だった。 上駒込に住んでいた当時の野枝と野上弥生子の親交については...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」113回 色欲の餓鬼

文●ツルシカズヒコ  野枝は『青鞜』一九一四年七月号に「下田次郎氏にーー日本婦人の革新時代に就いて」(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)を発表。 東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)教授であり、女子教育において良妻賢母思想を基調とした論...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」112回 妙義神社

文●ツルシカズヒコ 一九一四(大正三)年六月、らいてうと奥村は北豊島郡巣鴨町一一六三番地から、北豊島郡巣鴨町上駒込四一一番地に引っ越した。 青鞜社の事務所の住所もここに移ったことになる。 野枝の家とは道路ひとつ隔てた妙義神社前の貸家だった。...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」111回 染井の森

文●ツルシカズヒコ 「散歩いたしませんか」 こう言って誘いに来た野枝と連れ立って、野上弥生子が家から近い染井の森へ行ったのは、ある春の日だった。 野枝は一(まこと)をおんぶしていた。 弥生子は下婢の背中に下の子(野上茂吉郎)を預け、そのかわ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」110回 婦人附録

文●ツルシカズヒコ 一九一四(大正三)年、保持研子(よしこ)がこの年の『青鞜』五月号を最後に青鞜社を去り、創刊時の発起人はらいてうただひとりになった。 『青鞜』八月号が保持の結婚の報を伝えている。 白雨氏……結婚、小野氏と改名。社の事務は全...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」109回 猫板

文●ツルシカズヒコ 野枝が訳した『婦人解放の悲劇』に鋭敏に反応したのが大杉だった。 大杉はまず女子参政権運動者とエマ・ゴールドマンとの違いをこう指摘している。 女子参政権運動者等は、在来の男子の所謂政治的仕事を人間必須の仕事と認めて、女子も...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」108回 蕃紅花

文●ツルシカズヒコ 『青鞜』一九一四年三月号に野枝は「従妹に」を書いた。 ……実におはづかしいものだ。 私はあのまゝでは発表したくなかつた。 併(しか)し日数がせつぱつまつてから出そうと約束したので一端書きかけて止めておいたのをまた書きつぎ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」107回 武者小路

文●ツルシカズヒコ 一九一四(大正三)年あたりから、『青鞜』には反論や論争スタイルの文章が掲載されるようになった。 各人の勉強の成果が徐々に実り、反論、論駁の論陣を張れるようになったのだ。 その急先鋒が野枝だった。 武者小路実篤が『白樺』誌...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」106回 御両親様

文●ツルシカズヒコ 『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』によれば、らいてうが実家を出たのは、一九一四(大正三)年一月十三日であった。 らいてうはこの日、女中に手伝ってもらい、円窓の部屋にあった机、本箱、書棚、書物、衣類や手...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」105回 羽二重餅

文●ツルシカズヒコ『青鞜』一九一三(大正二)年十二月号で野枝は沼波瓊音(ぬなみ・けいおん)著『芭蕉の臨終』を紹介している。 先月あたりから私には落ちついて物をよむ暇はなかつた。 今月になつて、よう/\第一に手にしたのがこの「芭蕉の臨終」だつ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」104回 ソニア

文●ツルシカズヒコ 一九一三(大正二)年の秋が深まるにつれ、野上弥生子と野枝の親交も深まりを増していった。 野枝はこう記している。 その頃、私と野上彌生子さんは疎(まばら)な生籬(いけがき)を一重隔てた隣合はせに住んでゐた。 彌生子さんはソ...
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「あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝」103回 少数と多数

文●ツルシカズヒコ 一九一三(大正二)年、秋。 野上弥生子にとって野枝は最も親しい友達になっていた。 九月初旬、二番目の子供を出産するために駒込の病院に入院した弥生子は、二週間目に新たな小さい男の子を抱いて帰宅し、下婢から裏の家にも出産があ...