詳伝・伊藤野枝

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「詳伝・伊藤野枝」第241回 伊藤野枝論

文●ツルシカズヒコ 『新日本』一九一七(大正六)年七月号・八月号に平塚明「伊藤野枝さんの歩かれた道」が掲載された。 『新日本』はらいてうに「伊藤野枝論」を書いてほしかったのだという。 『新日本』は野枝が同誌四月号に寄稿した「平塚明子論」の対...
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「詳伝・伊藤野枝」第240回 百姓愛道場

文●ツルシカズヒコ 日蔭茶屋事件後、半年くらいの間、大杉は「神近の怨霊」をよく見たという。 ……夜の三時頃、眠つてゐる僕の咽喉を刺して、今にも其の室を出て行かうとする彼女が、僕に呼びとめられて、ちよつと立ちとまつて振り返つて見た、その瞬間の...
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「詳伝・伊藤野枝」第239回 平塚明子論

文●ツルシカズヒコ 野枝は『新日本』四月号には「平塚明子論」を書いた。 らいてうは「最近の我国婦人解放運動の第一人者として常に注目されつゝある」存在だった。 野枝はまず冒頭に自分とらいてうとの関係を書いた。 私は学校を出た許りの十八歳の秋か...
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「詳伝・伊藤野枝」第238回 評論家としての与謝野晶子

文●ツルシカズヒコ 野枝は『新日本』三月号(第七巻第三号)に「評論家としての与謝野晶子氏」(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)を発表した。 作家としてはともかく、「評論家としての与謝野晶子」の批評であり、痛烈な批判だった。 婦人問題に関する発...
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「詳伝・伊藤野枝」第237回 三月革命

文●ツルシカズヒコ 一九一七(大正六)年三月五日、横浜監獄の未決監に収監されている神近に、横浜地方裁判所は懲役四年の判決を下した。 神近は即、控訴した。 三月六日、『東京日日新聞』社会部記者の宮崎光男が、大杉に取材するために菊富士ホテルを訪...
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「詳伝・伊藤野枝」 第236回 自働電話

文●ツルシカズヒコ 一九一七(大正六)年の正月、山鹿泰治が本郷区菊坂町の菊富士ホテルにいる大杉と野枝を訪ねた。 二言三言語り合う内に大杉が、『それより不愉快な以前の問題を解決しやうぢやないか、大体あんな暴行を働いた以上は謝罪から先きにすべき...
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「詳伝・伊藤野枝」第235回 特別要視察人

文●ツルシカズヒコ 大杉の四妹・秋は名古屋市在住の叔父、中根吉兵衛(焼津鰹節製造株式会社社長)宅に同居していたが、この叔父の媒酌で東京で回漕業を営む某氏と婚約、挙式を間近に控えていた。 彼女が自殺したのは一九一六(大正五)年十二月十三日の朝...
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「詳伝・伊藤野枝」第234回 古河

文●ツルシカズヒコ 堤防の中の旧谷中村の土地は、彼のいうところによると二千町歩以上はあるとのことであった。 彼はなお、そこに立ったままで、ポツリポツリ自分たちの生活について話し続けた。 しかし彼の話には自分たちがこうした境遇に置かれたことに...
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「詳伝・伊藤野枝」第233回 菜圃(さいほ)

文●ツルシカズヒコ ようやくに、目指す島田宗三の家を囲む木立がすぐ右手に近づいた。 木立の中の藁屋根がはっきり見え出したときには、沼の中の景色もやや違ってきていた。 木立はまだ他に二つ三つと飛び飛びにあった。 蘆間のそこここに真っ黒な土が珍...
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「詳伝・伊藤野枝」第232回 田中正造

文●ツルシカズヒコ 大杉は乾いた道にステッキを強くつきあてては高い音をさせながら、十四、五年も前にこの土地の問題について世間で騒いだ時分の話や、知人の誰かれがこの村のために働いた話をしながら歩いて行った。 「今じゃみんな忘れたような顔をして...
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「詳伝・伊藤野枝」第231回 廃村谷中

文●ツルシカズヒコ しばらくすると、大杉と野枝の方向に歩いて来る人がいた。 待ちかまえていたように、野枝たちはその人に聞いた。 「さあ、谷中村といっても、残っている家はいくらもありませんし、それも、みな飛び飛びに離れていますからな、何という...
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「詳伝・伊藤野枝」第230回 葦原

文●ツルシカズヒコ 一九一六(大正五)年十二月九日、夏目漱石が四十九歳十ケ月の生涯を閉じた。 翌十二月十日、野枝と大杉は栃木県下都賀郡藤岡町(現・栃木市)の旧谷中村を訪れた。 野枝はこの旧谷中村訪問を「転機」(『文明批評』一九一八年一月号・...