詳伝・伊藤野枝

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「詳伝・伊藤野枝」第229回 センチメンタリズム

文●ツルシカズヒコ 大杉が逗子の千葉病院を退院したのは、一九一六(大正五)年十一月二十一日だった。 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、看病をした野枝と、近くに宿泊して見舞いに通った村木が付き添い、夕刻の電車で本郷区菊坂町の菊富士ホテルに帰っ...
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「詳伝・伊藤野枝」第228回 塩瀬の最中

文●ツルシカズヒコ 日蔭茶屋事件が起きる直前、大杉と野枝の訪問を受けていたらいてうは驚いた。 神近が『青鞜』から離れて以降、らいてうは彼女と疎遠になっていたが、彼女が大杉が主宰するフランス語教室やフランス文学研究会に参加しているらしいという...
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「詳伝・伊藤野枝」第227回 宮嶋資夫の憤激

文●ツルシカズヒコ 十一月十日の『東京朝日新聞』は、五面の半分くらいのスペースを使って、この事件を報道している。 見出しは「大杉栄情婦に刺さる 被害者は知名の社会主義者 兇行者は婦人記者神近市子 相州葉山日蔭の茶屋の惨劇」である。 内田魯庵...
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「詳伝・伊藤野枝」第226回 オースギキラレタ

文●ツルシカズヒコ 一九一六(大正五)年十一月九日未明、神近に左頸部を短刀で刺された大杉は、神奈川県三浦郡田越村(たごえむら)逗子の千葉病院に入院した。 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、大杉の傷は「右下顎骨下一寸の個所に長さ一・八センチ、...
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「詳伝・伊藤野枝」第225回 新婚気分

文●ツルシカズヒコ 『神近市子自伝 わが愛わが闘争』には「私が葉山の宿に着いたのは、夜になっていた。大正五年十一月八日のことである」と記されているが、「十一月八日」は十一月七日の誤記である。 日蔭茶屋に着いた神近が、出て来た女中さんに「大杉...
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「詳伝・伊藤野枝」第224回 第一福四万館

文●ツルシカズヒコ 『神近市子自伝 わが愛わが闘争』に、こういう下りがある。 ある日、大杉氏が私にいった。 「伊藤野枝君が下宿にはいりこんできて困っている」 「どうしたんです? あの人乳飲み児の子どもさんがあるんでしょう?」 「子どもを千葉...
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「詳伝・伊藤野枝」第223回 フリーラブ

文●ツルシカズヒコ 以下、『神近市子自伝 わが愛わが闘争』に沿って、日蔭茶屋事件を見てみる。 大杉が初めて麻布区霞町の神近の家に泊まったのは、一九一五(大正四)年の秋だったという。 私は自分の一生の悲劇は、恋愛というものを、本能によらず、頭...
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「詳伝・伊藤野枝」第222回 豚に投げた真珠

文●ツルシカズヒコ 思い迷っていた神近は一度、蒲団から起き出し、大杉を起こして自分の頭に往来している気持ちを話し、その上で自分と別れてくれないかと頼んでみようかと考えた。 しかし、大杉の思い上がった他人を侮蔑した態度、それに長い間苦しめられ...
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「詳伝・伊藤野枝」第221回 短刀

文●ツルシカズヒコ 大杉が書いた「お化を見た話」が掲載されたのは『改造』一九二二年九月号だったが、この「お化を見た話」の反論という形で神近が書いたのが「豚に投げた真珠」で、同誌の次号(一九二二年十月号)に掲載された。 「豚に投げた真珠」に沿...
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「詳伝・伊藤野枝」第220回 私は何もしない

文●ツルシカズヒコ 日蔭茶屋の道に面した棟に到達した神近は、その一階から二階に通じる階段を駆け上がった。 日蔭茶屋の出入口はこの棟の二階にあったからである。 とつ付の部屋には二三人で飲食したらしいチヤブ台が、その儘(まま)残してありました。...
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「詳伝・伊藤野枝」第219回 陽が照ります

文●ツルシカズヒコ 神近は大杉と誠実な話し合いをしたかった。 その希望が断たれた彼女が床の上に起き上がっていたのは、一九一六(大正五)年十一月九日、零時ごろだったろうか。 眠ることによってすべてを忘れようと努めたが、どうすることもできなくな...
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「詳伝・伊藤野枝」第218回 お源さん

文●ツルシカズヒコ 前回に引き続き、神近市子『引かれものの唄』の記述に沿って、神近が警察に自首するまでを追ってみたい。 一九一六(大正五)年十一月八日、日蔭茶屋のある神奈川県三浦郡葉山村字堀の内の光景について、神近はこう記している。 秋の末...